渋谷コントセンター

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2018年4月27日(金)~4月28日(土)

テアトロコント vol.27 渋谷コントセンター月例公演(2018.4)

主催公演

公演詳細

最高のトレジャーハンティング!
“カガヤ”と聞いて、人は何を連想するでしょう?能登・和倉温泉の人気旅館を思い浮かべた人は結構な旅好き。松本キックさんとお笑いコンビ「松本ハウス」を組む芸人を思い浮かべた人は結構なお笑い好き。そして、マセキ芸能社に所属する新進気鋭のお笑いコンビを真っ先に思い浮かべた、そこのアナタ!自信を持っていいですよ。アナタは真のお笑い通です。表記は“かが屋”。加賀翔さんと賀屋壮也さん。共に1993年生まれという、文字通りの若手です。
舞台は電車の車両。ロングシートに座った加賀さんが大きな声で問いかけます。なぞなぞです。友人や知人にではありません。たまたま乗り合わせた赤の他人になぞなぞです。アナタだったら、どうします?目の前に座っている見ず知らずの人に突然、なぞなぞを出されたら。大多数の人が同じ思いを抱くでしょう。「なんだコイツ。ヤバイんじゃね?」
ところがどっこい、このコントで男が周囲から遠ざけられることはありません。それどころか逆に興味を持たれ、耳元で答えを言う人が続出。でも、なかなか正解には至りません。そんな中、賀屋さんが手を挙げて答えると…見事正解!喜色満面でガッツポーズをする賀屋さん。それを見て羨ましそうな表情を浮かべる乗客たち。そんな車内の光景が目に浮かびます。乗客たちは何とか答えを出そうと加賀さんの前に列をなします。そこで思わぬ展開が。正解を導き出した賀屋さんが「こっちでも聞くから並んで」と列を二手に分けるのです。何という心遣い!何の変哲もない車両が一瞬にしてアミューズメントパークに!車内の温度がグッと上がり、花が咲いたのが見えました。でも、春色の汽車が連れて行ってくれるのは目的の駅まで。幸せな時間は永遠に続くものではありません。加賀さんがとある駅で降りようとすると、偶然、賀屋さんも同じ駅。ホームで電車を見送る二人。嬉しさが込み上げてきた賀屋さんは加賀さんに思い切って声を掛けます。「ちょっと飲みに行きませんか?」でも、期待とは裏腹に怪訝な顔をされ、諦める。ペーソスのあるオチも秀逸です。
よく、人生は旅に例えられます。だとしたら、この場合、電車は社会のメタファーなのかもしれません。見ず知らずの人と心を交わし、心地よい関係を築くことで実りある時間と空間を共有し、豊かな社会を構築できる。でも、とどのつまり、人は孤独な存在に過ぎない。このコントからは、そんな哲学的なメッセージを読み解くことも可能です。二人が意識しているかどうかに関わらず。もしも、無意識だとしたら、それこそ才能の塊。この鑑定書に保証します。“かが屋”という名の原石が輝きを増す日は決して遠くないことを。(市川幸宏)

芸人には敵わない、のか
コントとは何か?ということが、テアトロコントに来る度にわからなくなる。それはある種豊かな体験だと思うし、それをこそ味わうために足を運んでるのだけど、さすがに「わからなすぎだろ!」と憤りと感動が混じったような瞬間に今回立ち会った。
それは、古屋と奥田の演目が静かに終演し、明転。私服のアイロンヘッドが「どうも~、アイロンヘッドで~す!」と駆け足で登場した瞬間だ。この静から動というか、虚から実というか、聖から俗というか、その猛スピードの反転にクラクラしたのだ。どちらも、それぞれの「コント」を全うしているだけである。
古屋と奥田の演目は、『小便は流れて、あたたかくて』一本。単純に言えば「笑いを一つの目的とした演劇」としてのコントだった。不良っぽい男子高校生の二人組。一人が小便を、一人が大便をしている。大便ではなく、出てきたのは初代ポケモンのナゾノクサだった。ナゾノクサはもう一人の血尿をエサにぐんぐん育つ、という話。この到底ありえない設定を、もしかしたらありえるかもという方向に演出していく。だから観客は、「ナゾノクサに与える血尿を出すために、一人がもう一人の腹を殴る」というシーンを友情の結実として受け取る。もしお笑い芸人がこのシーンをやるとしたら、「なんで血尿やないとあかんね~ん、勘弁してくれや~」などと笑わせる方向に持っていくかもしれない。ラスト、ナゾノクサの死を娶る静かなシーンは、「オチ」ではなく「ラストシーン」だった。暗転。観客は、演劇的な感傷に浸っていた。
そして明転。板付きのいない素舞台に、私服のアイロンヘッドが「どうも~、アイロンヘッドで~す!」と駆け足で登場した。おそらく観客全員が「あ、お笑い芸人が来た!」という気持ちになったはずだ。「そういやこれコントの公演だった!」とも。辻井が「コントセンターでしたわ~」と言いながら、これまでの三組との雰囲気の違いを謝罪する。演目は『毛利がバイトの合間に作ったコント集』一本。一本ではあるが、オール新作が五本ほど。恐ろしいのは、コンビ間の打ち合わせやリハーサルの跡がほとんど感じられないことだ。「そんなもの」なくても、コンビの阿吽の呼吸で何とかなってしまう。台本を一語一句詰めなくても、お互いの瞬発力で形になってしまう。衣装替え中の停滞も、火曜版『サザエさん』の鼻歌を歌ってれば吹き飛んでしまう。
この二組の今日の演目を観るだけで、「演劇人」と「お笑い芸人」のアプローチの違いは大体わかってしまうのではないか。わたしが思い出したのは、松本人志が『ビジュアルバム』に収録したコント『いきなりダイヤモンド』にまつわるエピソードである。三十分に及ぶこのコントは、松本と今田耕司の会話だけでほぼすべてが展開される。松本によれば「スタジオ来て、このセットが出来てて、じゃあ何しよっかな~って感じやった」とのことで、この発言の通りなら、事前に書いた台本はない。このコントについて三谷幸喜は、「良い役者と一ヶ月稽古しても勝てない」という旨の発言をしている。
アイロンヘッドを観た古屋と奥田(と作・演出の三浦直之)は、何を思ったのだろうか。ただわたしの胸には、『小便』の中の研ぎ澄まされた一節のセリフが刺さったままだったが。(森信太郎)

かが屋は、弱い目線で誰も傷つけずに笑いの壁を突破する。
【1】明日のアー<演劇人>出演者:五人/★★★☆☆/遠くから羽生くんかと見間違い声が高くなり、すれ違うと声が下がる”ドップラー効果”等、物理現象を会話化させる試みの「会話表現1」。一匹の亀らしきセットの周りに無数の紐が敷かれ、男女は紐の軌道に沿って惑星のように周っている。二人は離れる度に険悪に、近づく度に愛が高まり男は打楽器(ビブラスラップ)を鳴らす。幾度と無く繰り返される愛憎に疲れ果て、いつしか迷子のピザ屋が女の衛星に、最後は亀の上に乗った三人が地球を支える古代宇宙観を模して終わる『会話表現2』計二作品。アカデミックな題材で面白い会話や関係性を描くコンセプトは大好物だが、料理の仕方が、とりあえずやってみた感があり、少し雑な印象があったのは否めない。男女の惑星が互いの距離で愛憎反復する様は多くの共感を得られる設定なので、60分演劇にした名作進化版が見てみたい。
【2】かが屋<コント師>二人組/★★★★★/「ふつうのノコギリよりサビてるノコギリの方が切りやすいものってなーんだ!?」。電車内でナゾナゾを出したタイミングで、友人は駅につき別れてしまう。代わりに赤の他人が隣に座り、再び出題をせがむ。さらに別の他人が手をあげ、耳もとで答えをささやく。しだいに車内に解答者の列ができる『電車』。妻が、くら寿司閉店の噂を聞きつけるが、信じない旦那は店に電話確認し、悔しがる店長の台詞に反省し、くら寿司を思いやる息子の成長に驚く『夫婦』他全四作品。初見だが、センスと完成度の高さに舌を巻く。かが屋の笑いは、特別な状況ではない誰もが感じる日々のありふれた場所から、やさしく非日常の笑いにスライドする瞬間が気が利いていて、何より弱い目線で誰も傷つけずに突き抜ける。『夫婦』は人情噺にも見え、爆笑しながらハンカチで涙を覆う客も見かけたほどだ。今年のキングオブコントFINALにいてほしいし、もちろん再びテアトロコントでも見たい。
【3】古屋と奥田<演劇人>/出演者:二人/★★☆☆☆/授業中、不良高生二人がトイレで一人は小、一人は大を。大のはずのお尻から出てきたのはポケモンの”ナゾノクサ”。殺すつもりが腹をすかせた姿を見かねて、ケンカ後遺症の血尿を餌に、体育館裏で育てることにするが、次第にしおれていくナゾノクサを、二人は食べて成仏させる『小便は流れて、あたたかくて』一作品。依頼した作家劇団の「いつ高」と呼ばれるシリーズのスピンオフ的作品で、これ目当てで来た客も少なくないようだ。話の流れ自体はわかりやすいが、意図は理解しきれず、アフタートークに登場した作家の汗が一番印象的だった。
【4】しずる<コント師>二人組/★★★★☆/「こんな所にいたのか!この革命家!」会社の喫煙所で吸っている男を見つけはやし立てる同僚。「社長に土下座し、役員も集めプレゼンする風雲児だって社内じゃもちきりだぞ!」男はなおも煙草を手にもったまま動かない。大物ぶりに感心しながらプレゼン資料を見せろと同僚がねだると、火事で全て燃えてなくなったという。プレゼンは60分後。クビ待ったなしの大ピンチにも関わらず、親父マリファナ逮捕、財布盗難、太もも肉離れ、盗難車で逃亡、つま先車ひかれる、とあまりの悲劇の連続で、涙もでなければ痛みも感じない体に。命の危険も感じる絶望の中、社内にデータバックアップシステムがあると知ると、嬉しさのあまり号泣、感情を取り戻し、そして体の痛みに悶絶する『喫煙所』他全三作品。恥ずかしながら初見で、ネームバリューのキャッチーさに比べ、ここまで悲哀深いコントをやるコンビだとは知らずに驚きつつも好印象。思慮深く笑える、テアトロコントにはピッタリのコントだった。
【総評】今回は「かが屋」を一推しさせて頂いた。ちなみに『電車』でのナゾナゾの答えだが、自分は「ノコギリクワガタ」しか思いつかなかった。(モリタユウイチ)

それぞれのクリエーション
怒ったあとに褒めることをAからBとして、そのあとに黙ることをCとして、このABCの流れで、なにが起こるかを演劇で検証してみる。ABC.BCA.AAB… なにが起こるのか。明日のアーはこれを稽古という実験を重ねて笑いの産出を考察し、理論的な創作を経て笑いの公式を導き出そうとしている。例えば宇宙に在る天体を人間に見立て、天体が接近する瞬間を人間同士の恋愛関係として観測することで、宇宙を日常レベルに落とし込む構造は面白かった。あるルールのもとで行われるいくつかの実験作品は、今回のテアトロコントを経てどんな成果が得られ、今後どのように活かされていくのか期待する反面、演劇や笑いの数値化できないものを測る基準というものは個人、団体の持つマイノリティであって、導き出された答えは果たして大多数に通用するものなのか、常に更新を迫られる現代の中で公式は存在するのか、今後の動向を見たい。卯月というトリオのコントは、それぞれの役割がしっかりしていて、ボケに対してのツッコミも観客と総意していて心地が良かった。ツッコミの対象への批評が的を得ていて、更にツッコミの中に話を観客に了解させる技があり、観客をコントに引き込む腕力が感じられて、説明という役割がいつの間にか伝わっていて気持ちが良かった。基本的に2人に翻弄される1人のコント構成なので、違う構成の挑戦を観てみたい。ロロの三浦直之が台本を書き下ろした、いつ高シリーズのスピンオフでもある、ヤンキー古谷と奥田の友情物語は、ある日ある生き物を見つけ、育て、そして別れるという話は、2人のヤンキーにも通じる話で、人は出会い、ある時間共に過ごし別れるモラトリアムの中にいる2人のドラマにも繋がる。4月に観てグッとくる人も多かったと思う。そしてヤンキーというものがフィクションと描かれてることに考えさせられた。彼らはもう過ぎ去りしものであるということで、ヤンキーに限らず今後様々なものが過去になり語られていくものになっていくのだと感じた。その過ぎて行く時間の中、学生という限られた時間をあらためて見つめ、現在でも過ぎる毎日は限られたもので再現性はなく、今しかないという時間を感じさせる演劇だった。臭い台詞もあったけれど、自分もその頃はもっと臭いこと言ってたと思うと、恥ずかしくなった。小沢健二の『美しさ』を聴くような気分だった。アイロンヘッドの『毛利がバイトの合間に作ったコント集』を自分が渋谷に観に来ていると思うと笑えて仕方がない。そんなお笑いを仕掛けるアイロンヘッドはバイトの合間に作ったわりにはかなり面白かった。毛利が扮する空気収集家に取材する辻井のコントはあまりにもくだらなく、初対面での気まずい空気、泥棒と勘違いされた時の空気、など見えないけど感じることを形にするといううさんくさい職業だけど「いるかもしれない」と頷いてしまうのは、観ている誰しもがそんな空気を常日頃感じているからで、その共通の認識をコントに持ち込んだことはバイト中に考えたとはいえ秀逸だと思う。なにもないところから笑いを作る商売である本人空気を売るという人物を演じるのも皮肉が効いていて面白い。(島十郎)

明日のアーを参考にコメディを学ぶ
明日のアーは、英会話学習のように日常会話を勉強する『会話表現Ⅰ』と実践的な男女の会話劇『会話表現Ⅱ』(ホームページ引用)の2演目。Ⅰでは、会話の中にパラドックスやドップラー効果などのエッセンスを取り入れてコメディに落とし込む。会話サンプルのパターンを幾つか見せるものなので、飽きが来ず見やすい。どうやったら笑いに繋がるかを見続けるため、とても教科書的であった。
個人的にそこで思い出される事は別役実著の『別役実のコント教室-不条理な笑いのレッスン』である。"死体"または"爆弾"みたいな強烈な異物が出る日常(ここでの日常は、ツッコミが不在、ボケをボケとして捉えず受け入れる、強烈な異物が一ヵ所だけあり他は普通と変わらない、という様な事)を描く事がナンセンスコントの基本と書いていた(気がする)指南的な本で、学生の頃ナンセンスコントを考える上でとても参考にしていた。
また、シティボーイズの『ピアノの粉末』や『廊下を走る人々』と言った演目は、「ピアノの粉末という存在し得ない強烈な異物が日常に溶け込んで存在している事」だけを、「おじさん達がただただ廊下を走っている様」だけを演じていて、そのシンプルさ、またはシンプルな事から派生した事にとても笑った記憶がある。そして別役実にしてもシティボーイズにしても、それがシンプルなものであったからどこか教科書として捉えていた。
明日のアーの『会話表現Ⅰ』はそのサンプル的なものからロングバージョンへというか、それぞれが独立した表現のコントとして広がりがあるものとして見てみたいと思った。そしてそれの表れが『会話表現Ⅱ』の「恋の引力」になっていると思う。勿論、100%の日常とはいかずに、どこか人為的なボケ所、ウケたいという野心はあったにせよ、ピザ屋が衛星になるくだりや基本的は近ければ2人の恋は燃え上がり、遠く離れていくと冷めていく様などの星の運行に則った様は面白しい、この興味深い実験は続けて欲しいとシティボーイズチルドレンとしては思います。
卯月にはキングオブコントへの本気を感じ続ける30分でした。『恋のキューピッド』『地元の知り合い』はトリオならではのただじゃ行かない展開に「この2つでキングオブコント行くのかなぁ」と思ったり、『露出狂』の分かりやすいシステム、『会社にて』の飛び道具的キャラクターと展開の中でも筋を通す様のコントがあったと思えば、『デリヘル』の展開もキャラクターも素っ頓狂なコントもあり。ミニ単独と言える30分を堪能。売れて欲しいと思いました。(菅野明男)

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