2019年8月30日(金)~8月31日(土)
テアトロコント vol.38 渋谷コントセンター月例公演(2019.8)
主催公演
公演詳細
テアトロコントvol.38(8/31)の演目
【Gパンパンダ】『学食』『アイドルコンサート』『中庭の花壇』『二次会カラオケ』の4本。いずれも、星野光樹が演じる、アイドルオタクや〝陰キャ〟を自認する者など一癖あるキャラクターと、一平が演じるその対極に位置するような、世渡りのうまそうなキャラクターとのやりとりで話が進む。星野のキャラクターは、『学食』ではやや類型的な感じがしたのだが、演目が進むにつれて徐々になじんできて、独自の色が出てきたように感じた。最後の『二次会カラオケ』のサラリーマンは、それまでの3つの演目に登場したキャラクターたちが全員まじりあい、内面に溜まったうっぷんが一気に爆発して、反撃に転じたような感があった。自分をさりげなく避けている同期の同僚に恨みに近いものを抱く男が、相手の発言の裏の意味を暴き、矢継ぎ早に問いただしては追いつめていくといった話なのだが、星野(が演じる男)の執念がすさまじく、狂気が笑いを上回っているようにみえた。それはそれで面白くて、芝居を観ている充実感があり、あっけない幕切れが物足りなく感じるほどだった。全体を通して、「なんのために?」「ねんのために」(『学食』)、「ファンとしての真価が問われる」(『アイドルコンサート』)など、要所要所のせりふが効いていて、ダイレクトに耳に響くところが印象的だった。
【ゆうめい】『残暑』。この劇団に関する知識を全く持たずにみたので、冒頭で交わされる4人の役者の自己紹介や雑談の、どこまでが事実でどこまでが虚構(芝居)なのかわからず、しばらくモキュメンタリーを観ているような気分になった。その雑談が1人の個人的回想に収束していって、そこから主軸の物語が始まる。共通の趣味を持っていた同級生の女の子との思い出や、やらなかったことに対して抱き続ける後悔、数年後にその女の子と再会して直面した現実などが、独白と対話を行き来しながらよどみなく描かれる。役者は、芝居の最中に舞台上の小道具を少しずつ動かしていくのだが、それが、時間が絶えず流れていることを観る者に感じさせる効果を生んでいたように思った。女性の役を男性が演じることで、これはあくまでコメディなのだという目配せがなされて、観客は終始、一歩引いた視点から物語をみることが可能になる。後半に入ると、語られてきた物語が現在も進行中であることが示され、ライブ感が創作されていたので、冒頭のやりとりはやはりモキュメンタリー的な表現だったのだろうと、自分は解釈した。ひきつり笑いをする高校時代の悪い友人、前髪が長い現在の友人、職質をする警官など、複数のキャラクターを軽妙に演じ分けていた小松大二郎が印象に残った。
【ガクヅケ】『道』は、通りすがりの人にみずほ銀行までの道順をたずねたら、なぜか歌いながらガストまでの道順を教えられる、といった話。歌が「カントリーロード」なのは、「この道ずっといけば」というフレーズを使いたいからなのだろう。だから、道を教えようという意思があることは伝わってくる。ただ、途中にあるガストにどうしても心惹かれてしまうらしい。相手が歌い終わるまでとりあえず待つ船引のずれたやさしさと、激しいつっこみにも怯まずガストへの愛を歌いあげる木田の一途さ、対話がいつまでもかみ合わないところが、ベタだけれどやはり面白い。『おかあさん』は、子どもが「おかあさんスイッチ」を使って宿題をやろうとしたところ、お母さんに想像していたのとは違うスイッチが入ってしまうといった話。『道』でもそうだったが、相手の勢いに対して両者一歩も引かず、最後まで崩れず、オチに向かってむしろ強度が増していくところがすばらしい。『お父さん』は、「ほうれん草のごまあえ」「もやしの水あえ」といった言葉のチョイスが愉しい。『お客様』は、それまでのせりふ(声)中心のやりとりから、サイレント映画のようなスラップスティックなやりとりに切り替わる。お笑いらしい〆だと思った。
【ミズタニー】『イス取りゲーム』『ネバーエンディングストーリー』。1台の車いすをめぐって2人の女と1人の子ども、付き添いの男女らが争奪戦を繰りひろげるといった話。抽象度の高い、オチのないアニメを観ているようだった。アニメであれば動きや時間はある程度コントロールできるだろうが、それを生身の人間でやっているところがすごい。ミズタニーをみるのは昨年9月に続いて2度目なのだが、似たようなシークエンスを反復する構成が共通している。前回もかなりナンセンスだったが、微妙な差異があったので物語を読み込む余地があり、一方で壮大な仕掛けも機能していた。今回は、立ち位置を入れ替えるという変化はあるものの、動きやせりふはほぼ同じで、三面鏡をのぞき込んでいるような感じというか、それ以上でもそれ以下でもない、というのが率直な印象だった。(大熊)
それが、小説より奇なる事実でなければ。
私落語というジャンルがあります。と言っても、それを掲げているのは、約900人いる落語家の中で笑福亭鶴瓶師匠だけなので、唯一無二のカテゴリーではあるのですが…。何かと言えば、私小説になぞらえた、実体験に基づく創作落語。「青木先生」「長屋の傘」「ALWAYS お母ちゃんの笑顔」などの名作が鶴瓶師の手によって生まれ、磨かれています。
ならば、私演劇があってもいいじゃないか。ゆうめいがそんな発想から一念発起して結成された劇団であるかどうかは全くもって定かではありませんが、彼らはメンバーたちの実話を舞台で描くことに徹した、ある意味、チャレンジングな劇団です。テーマは、どこでも見かけそうな生々しい人々による「なさそうだけどあったこと」。誰もが経験しがちな「あるある」で共感を呼ぼうとしないところに、逆に共感を覚えます。
今回の主役は、朴訥とした雰囲気を纏っている田中祐希さん。地方出身者の悲哀を感じずにはいられない、淡い青春恋愛譚。そこで描かれるエピソードは、確かに「あるある」ではありません。かと言って、笑福亭鶴瓶という特異なキャラクターの芸人だからこそ引き寄せる、ぶっ飛んだエピソードも存在しません。そんなこともあるかもしれない、あっても決して不思議ではない、といった微妙なライン。なので、クスッとした笑いが殆どで、そうそう大爆笑には結び付きません。当人たちもそれは狙っていないのかもしれませんが、欲しがり屋さんの観客たちは少なからず思っているはず。もう一押し、予想外の爆笑が欲しい。
ゆうめいがどこまで実話にこだわっているかは知りませんが、脚色したからと言って目くじらを立てる観客はいないと思います。いくら世の中の不寛容さが増したとはいえ、そこまで悪化してはいないでしょう。私小説にも私落語にも当然、脚色は存在します。いくら事実だという点を強く打ち出していたとしても、つまらない現実より、面白い虚構の方が優先されるのは当然です。だって、客は楽しみたいんだもの。さらに言うと、脚色が許されないと思われがちなドキュメンタリーやノンフィクションにも監督、あるいはライターの主観から脚色は必然的に生まれるもので、それは許容範囲と考えてよいでしょう。
だから、彼らにはもっと遊んでほしい。ゆうめいというネーミングから勝手に連想した、シーナ&ザ・ロケッツの名曲「You May Dream」になぞらえるなら、そう、「You May Make A Story」。(市川幸宏)
「今回は「ゆうめい」について書こうと思ってますそれは何でか」
と言うと8月アタマにあった中延のインストールの途中だビル屋上での「ゆうめい」の前作「ゆうめい発表会vol.2『ファン』」で今回のこのテアトロコントに出る話が出ていたからですそれも公演前とか公演終わりとかの告知タイムとかじゃなくて本番中というか本編の中で「今度のテアトロコントに出るんですけど」的な話とかシーンが出てきましたそれで今回の公演知りました今回のこれが載っている紙にもあると思う」「んですが「今後の出演予定」みたいなのがガッツリ本編に出ちゃってるような状況であと今回の「残暑」でも次の三鷹星のホールでの次作「ゆうめい『姿』」の告知ありましたねそんなように「ゆうめい」の演劇の使い方は他の演劇とは違います」「例えば今回の「残暑」をやることは前作の「ファン」で自分は知ったんですけど前から自分はテアトロコントは知っててというかこうやって批評モニター」「として書かせてもらったりしてるんですけど「30回を最後に最近あんま参加できてなくてそれはなんでかっていうと」という身の上話というか公演と公演の間の期間に何してたかとかを説明することが公演になるようなことが可能なのが「ゆうめい」がやれる演劇の使い方ですまず今回の「残暑」は基本自分が前回見た上に書いてある「ファン」と」「あと更に前の新宿眼科画廊でやってた「父子の展示・公演『あか』」を組み合わせてできてました池田さんのお父さんが話してるパートは「あか」で田中祐希さんが主人公にメインめになったあたりからは「ファン」でしたそう書くと」「「新作タイトル感出して実質ほぼ再演なのか」とかリサイクルかとかめちゃマイナスな見方に持ってけもするのかもしれないんですが「ゆうめい」に関してそれは間違っててそれは確かに近況報告とか聞くのも面白いですが友達と話しててたまに」「もう一回聞きたくなるようなアレ「強度のある思い出話」とか親戚とかの集まりで毎回必ず場が盛り上がる「鉄板エピソード」みたいなものを聞く感覚に近いですさっき「近況報告」と言いましたが」「確かに近況報告というかアップデート起きてるんです前作「ファン」では好きな女の子に「このエピソードを(「ファン」で)上演していいか」と許可取りする場面がありましたがそれが今回はその「ファン」の上演が終わってから今作「残暑」の間にその女の子にもう一度会って「このエピソードを(今度は「残暑」で)上演していいか」と許可取りする場面に変更アップデートがありましたじゃあそれって本当の実話じゃないじゃん?というのならシンプル突き詰めの簡単な話なんですが劇中「こうだったらいいな」が入ってしまうという言及がありますし昔のエピソードの記憶美化でのズレなどの話も出るのでその辺りは厳密に突つくのは瑣末なことでそれどころではありません今回の変更点で一番それが顕著だったのが「「ゆうめい」の俳優・田中祐希さんが女の子に見栄を張るために「ゆうめい」の主宰・池田亮さんの最近の仕事とかをさも自分のことのように言うという」という場面があるのですが今回相手役の変更で前回はその相手の女の子を関彩葉さんが演じてたんですが今回は女装した池田亮さんが相手役を務めてたので「田中さんが女の子に見栄を張るために池田さんの最近の仕事とかをさも自分のことのように(女装した)池田さん本人に言う」という複雑とんでもない変更があり自分が見た回は田中さんはセリフをトチっていましたがその脳内を想像すると「すんなり行くわけがない」と現場に同時に走ってる情報の多さに同じく聞きながらトチりました前作「ファン」が無ければ複雑さはまだ軽減されますが前回を引き連れた記憶で今回を乗り越えようとすると一気に難易度が激上がりするはずです」「こういう経験はみんな何かしらあるかと思うんですが」「「テレビ千鳥」での大悟扮する「サウスポーJr.」が右手と左手の事を意識し過ぎて言い間違えてしまう姿を見ました自分でだとジャッキーちゃんとジャッキー・チェンどちらかを言う時には「ジャ」の瞬間のイントネーションはそれぞれ違うので言う瞬間にはもう決めとかないといけないんですが「チェンじゃない」や「ちゃんじゃない」と一瞬意識に入ることで反対側のイントネーションになってしまい更にこの前友達に電話で聞いたんですけどジャッキーは本来「ジャッキー・チャン」だと言う事でもうお手上げです現実はそれくらい複雑なレイヤーが飛び交っています今ジャッキー調べたらめちゃくちゃ同じ話色んな人が書いてましたがあくまで「ジャ」の発音部分の決定の話です」 何の前触れもなくおもむろに立ち上がる 「少し立たせてください、座ってるのが……。「ゆうめい」についての話に戻りたいのです。この「ゆうめい」にとってもっとも重要なのは」「あのそろそろ」「お字数です」「延長で!」「余裕持って行きたいね!」「ね」(談)(小高大幸)
隣席カップルのように…
《1》【Gパンパンダ】<コント師>2人組/演目:『中庭の花壇』他、計5作品/★★★★☆/
「…僕多分…体は男なんですけど、心はお花なんです!男の子じゃなくて…おしべなんです!」保健体育のLGBT授業に感化され、花の水やリに夢中になる自分をセクシャルマイノリティーだと苦悩する『中庭の花壇』。アイドル、友人、花。対象に違いはあれど、「陰キャが献身を捧げる想いの純度」が通底していて、おかしくも共感しやすく、ずっとジワるコントに仕上がっている。マグマのように鬱屈したバネで、どこまで高く飛べるのか、注目したい。
《2》【ゆうめい】<演劇人>出演者:4人/演目:『残暑』1作品/★☆☆☆☆/
<実話1>実の俳優親子が、祖父母のなれそめを語るエピソード。<実話2>バラエティ番組『学校へ行こう』の告白コーナーで、好きな子を他の男子に奪われた過去を持つ劇団員が、銀座で彼女と再会、テアトロコントに誘い、舞台上から『学校へ行こう』に似せて告白するエピソード。会話よりも語りが多く、30分とは思えない冗長さ。実話、実の親子であれば、リアルな物が伝えられるという原始的な試みへの挑戦は、客席にはそれほど届いていなかったように感じた。エピソードトークならテレビでもYouTubeでも無料で溢れているので、有料舞台で冗長に語ることの価値はどこにあるのか。そこまで自分たちの人生に自信があることに感心はしたが、感動も笑いもしなかった。
《3》【ガクヅケ】<コント師>2人組/演目:『お客様』他、計1作品/★★★★☆/
ピザ屋店員「このチーズ増量クーポン、店舗限定なんでここでは使えないんです…」客「いや、使えるって言われて来てるから。」何度もごねて引き下がらないクレーマー客に、店員「…じゃあ今日だけですよ。少々お待ち下さい」。すると爆音でかかる斉藤和義(ベリーベリーストロング〜アイネクライネ〜)のBGMに合わせ、でかいチーズでクレーマー客をボコボコに殴る店員。よろける客に、サイコロのチーズを地面に転がし、出てたサイコロの目の回数にあわせて、さらにチーズサイコロで殴り、全身全霊のチーズ増量をお見舞いする『お客様』。単純だけど爽快感が半端ない。全ネタ、本当に繰り返しがくどいのだけど、一回笑って少し沈んだ後にまた盛り上がってくるトランス感がクセになる。窮屈でしんどい日本を、リズムやノリでどうにか笑い飛ばせないかという知恵とパッションと苦悩の結晶だった。
《4》【ミズタニー】<演劇人>出演者:6人/演目:『イス取りゲーム』『ネバーエンディング・ストーリー』計2作品/★★★☆☆/
森の中で男女6人が車椅子を奪い合う輪廻話で、二作品の形をとった一作品。異型誇張した演技とセリフ回しが、見るたび何かに似てると思っていたのだが、子供の頃に見た粘土(クレイ)アニメじゃないかと気づいた。妙な言語の妙な動物の動きが、知性を無視して脳に直接こびりつく感じ。テアトロコントで回数を重ね、やりたい世界観も安定してきたように見えるが、ここからどう発展したいのかが気になる。
【総評】かが屋人気の初日をあえて外した二日目観劇。隣席のカップルは、転換の音楽がなるたび、彼氏が彼女の内ももをリズムにあわせスネアがわりに叩いていた。その、ぺちぺちと響くのんきでシュールなスネアの音を聴きながら、いとも簡単にスカートの中に手が届く彼氏のように、自分もコントの核心に触れ、誰かの役に立てるような批評を書きたいと思った残暑厳しい葉月末日のテアトロコントだった。ぺちぺち。(モリタユウイチ)