渋谷コントセンター

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2018年9月28日(金)~9月29日(土)

テアトロコント vol.30 渋谷コントセンター月例公演(2018.9)

主催公演

公演詳細

求められるプラスα~コンセプトカフェの片隅で~
渋谷にギャルカフェができたのは2012年のこと。秋葉原のメイドカフェほど大ブームにはなっていないものの、根強い人気を保っています。ギャルが接客してくれるこの店のルールは、敬語禁止。初回でもタメ口で接しなければなりません。慣れないと、結構高いハードルですが、勇気を振り絞って注文すると「ちょりざーっす!」と答えてくれます。普段、味わえない体験をするには打ってつけかもしれません。しかし、同時に疑問も湧いてきます。そもそも、カフェは何のために存在するのか?喉の渇きを癒すのは言うまでもなく、多くの客が求めているのは安らぎ、くつろぎの空間ではないでしょうか?刺激を求めている人もなくはないと思いますが、その人にはカフェよりもっと刺激的な場所があるという事実を教えておきます。
では、多くの人が安らげる、くつろげる空間はどこなのか?その問いを突き詰め、ハナコが導き出したのが「家」です。コントは客の秋山さんが入店するところから始まります。店内を見回すと、坊主頭の岡部さんが寝そべりながらプロ野球中継を観ています。客と観客はここで気づきます。「はは~ん、彼がお父さんという設定だな」。微動だにしないお父さんから「飲み物は勝手に取って来い」と言われ、冷蔵庫からコーラを持って来る秋山さん。すると、お母さん役の菊田さんがしれっと伝票を持って来ます。客と観客はまたここで気づきます。「こういうシステムの店なんだ」。やがて、お父さんがごく自然に足の爪を切り出します。「めちゃめちゃ家じゃん!」。客と観客が同時に突っ込みます。新聞紙を模したメニューの中には「ほっこり」という名のオプションも。注文すると、お母さんがブドウをのせた皿を持って来て言うのです。「お父さんが一緒に食べたいって言うから取っといたのよ」。うん、確かにほっこりしますね。そして、客の秋山さんが実にいい「ほっこり笑顔」を浮かべるのです。そこにハナコの更なる可能性を垣間見ました。
2018年キングオブコントの覇者となり、一躍、時の人となったハナコ。そこには様々な要因があります。目の付け所と切り取り方、コント師として並外れた岡部さんの表現力。笑いを生み出す要素は既に十分揃っています。しかし、それだけでは、生き馬の目を抜く芸能界を生き抜く力にはなりません。プラスαが必要なのです。カフェにコンセプトが求められるように。恐らく、それが、秋山さんが醸し出す空気、ほっこり感。観客と同じ目線で突っ込み、そして、受け止める。ギスギスした世の中だからこそ、安らぎとくつろぎを求める人が増えています。ハナコはそれに応え得る芸人なのです。(市川幸宏)

ミズタニー。安定の不可思議。
【ロマン峠】<コント師>2人組/★★★☆☆/解散が寂しくて教授が研究を終わらせたがらない『研究チーム』。客が料理を褒めたいのに頑固シェフが厨房から出てこない『シェフ』。優柔不断な彼が、アメリカに着きながら彼女の留学を止めようか迷う『アメリカ留学』。政治家がショートコントならぬ”ショート選挙”で演説する『選挙』。寿司屋の大将が、客にメンヘラのようにつきまとう『寿司屋』、計5作品。意図はわかりやすく、決して退屈ではないのだが、沸点は若干低く、予想外を超えるパワーがもう少しあれば、と期待してまう。「普通がずれている」設定は伝わってるので、「ズレ方」に”角度”か”深度”が必要なのだろう。キャラクターで無理やり温度をあげようとせず、コントと誠実に向き合う姿は好感触。暗転は確かに多く、長い。
【ウンゲツィーファ】<演劇人出演者:6人/★★☆☆☆/セックスレスの恋人。彼女が彼氏に相談すると、性欲無いからと立ち去り、男友達と漫画喫茶に行ってしまい、代わりに終電を逃した彼女の友達がやってきて、酒を交わし管を巻く。漫画喫茶では、友人のTENGAでの自慰行為でどす黒い精液が出て…『自ら慰めて テアトロコント版』一作品。登場人物の抱えている問題と、性的な出来事とのリンクが今ひとつ噛み合わず、意図が掴めそうで掴みきれなかった。チェルフィッチュの演技様式がちらほら垣間見える気もするが、それが効果的かと言われるとそれもよくわからなかった。元の作品を見てみないと評価しきれない。
【ミズタニー】<演劇人>出演者:6人/★★★★☆/「あっはははは。あっはははは。あっははは。飛行機がいっぱいあるね。こんなにあると飛行機の墓場みたい。」航空公園で笑っている恋人達に、元彼女が飲み物を持ってきて乾杯し、おにぎりを頬張ると「航空公園おにぎり殺人事件」と映るテロップ。過去回想を挟みながら、何度もループされる公園での乾杯・おにぎり風景。最後にはなぜか飛行機のプロペラが周りだし、飛ばされまいと三人が身を寄せ合った姿が、おにぎりに見える『三人のおにぎり』一作品。どんな結末を迎えるのか集中してしまったのがバカバカしいくらいの終わり方だったが、ミズタニーの楽しみ方がやっとわかってきた。これは独特な節回しで作られた「歌」で、シーンの繰り返しは「リフ」なのだ。そのビート、リズム、メロディーが好きか嫌いかだけが全てで、意味を求めるのは野暮なのだ。そうわかると、ずっと楽しめるようになってくる。
【犬の心】<コント師>二人組/★★☆☆☆/新入社員である社長の息子が作った書類を、元AV男優である先輩社員が教育する『残業』。暗転を作らないよう長尺コントにした作戦は有難いが、長尺によりコント師特有の瞬発力やキャッチーさが殆ど消えてしまったのが勿体なく感じた。最長でも15分コント2本くらいがいい塩梅なのではと見ている分には感じた。設定は練れていて、登場人物にも深みがあり、むしろお芝居として楽しめた。
【総評】今回は、コント師側のパワーが弱く感じた。金曜のハナコが混雑しそうだったのでずらしたが、キャッチーさが恋しかった。ミズタニーの安定の不可思議さが光って眩しかった。(モリタユウイチ)

テアトロコントvol.30(9/29)の演目
【ロマン峠】 『研究チーム』は女子高生的な“仲良しグループ”マインドが強めの研究主任とその部下、『シェフ』はプライドの高いレストランのシェフ(の通訳の役割を果たすウェイター)と客、『アメリカ留学』は自分では何ひとつ決断できない男とその彼女、『寿司屋』は客がハマチを注文してくれないとキレる寿司職人と客、といずれも一筋縄ではいかない、いってみれば面倒くさい相手との対話が描かれていたが、どの演目もセリフの歯切れがよく、オチがすっきり決まっているところも小気味よくて、普通に見入った。『選挙』も、後半はそうしたやりとりがあったかと思うが、前半のインパクトが強すぎて記憶が薄れている。前半は、街頭演説をしている立候補者とウグイス嬢が、公約を聴衆にわかりやすく伝えようとその場でショートコントを始める、いわば入れ子式になったコント。「芸人がコントを演じる」というごくありふれた絵が、「立候補者とウグイス嬢」という設定を一枚かませることで「立候補者とウグイス嬢がやたら器用にコントを演じる」というビジュアルに転化していて、それだけで十分におかしさがにじみ出ているところに、「まっぴらおか!」でいちいちを締めるスローガンがたたみ掛けられ、笑いのボルテージが加速し、重層的な分厚い笑いに昇華していた。セリフの中では、『シェフ』の「ご機嫌が斜めではなく縦ですね」がよかった。あと、暗転が多いことは(自分は)観客として全く気にならないので、(演じる方は大変かもしれませんが)短い演目もどんどんやっていただきたいです。
【ウンゲツィーファ】 『自ら慰めて テアトロコント版』は、同居している彼女に自慰行為をみられた男が体験する幻想的な一夜の出来事、と解釈した。別々の場所で起きている出来事を、同じ舞台上で境界を曖昧にしたまま並行してみせていくビジュアルが面白い。保険証を持っていないという漫画喫茶で暮らす赤の他人に、主人公がぽろっと「かっこいいですね」と返すところは、相手を傷つけないように形容するべく気を使う若者っぽさが出ていて印象に残った。なぜ友だちのいくお君と隣室の男がオタマジャクシの卵を射精するのか、そもそもなぜそのようなものが出てくるのか、終盤に登場するカエルは誰(何)か、『テアトロコント版』と銘打っているということは別に(フル)バージョンがあって、今回の演目はその序章、予告編に過ぎないのか等々、色々と想像しつつみた。
【ミズタニー】 『3人のおにぎり』は、3人の男女の関係の変化が時間を相前後しながら思わせぶりに描かれるが、目の前で展開するそれらの絵は、最終的になにひとつ意味を結ばない。終盤になって、そもそもこれはコントの舞台であって、自分が前のめりになって観てきたのは大カッコの中の小カッコに過ぎないということに、観ている方があらためて気づく仕掛けになっている。仕掛けを発動させるのは、冒頭部分で舞台の後ろに投射されるタイトル風の文字である。小カッコの中では、テレビや映画の殺人事件ドラマにありがちな誇張した表現(不自然なハイテンション、濃厚なラブシーン、大団円、不穏な音楽、スローモーションetc.)そのものが誇張されて使われ、しつこい反復によって意味を剥ぎとられたセリフで充填されている。そうした表現手法に対する風刺とも、形骸化した表現に一喜一憂しがちな見物客に対する風刺とも受けとれる。「死んだ」はずの航空機が旋回をはじめ風を吹きおこすところは、舞台なら(コントなら)何だってできるという作者の突き抜けた自信のようなものを感じた。三角関係を肉体で表現するラストシーンが素晴らしい。「ゆきちゃん生産性ありそうだし」というセリフが10年後にも普通にギャグとして成立しているとよいと思った。
【犬の心】 『残業』は、仕事ができない社長二世と、その残業に付きあわされる自らも二世である元AV男優の教育係とのやりとり。消極的なツッコミと黙っていても間がもつ芝居には余裕があって、安心してみていられた。後半は教育係の独白がメインになり、すこし蛇足に感じた。セリフの中では「物にあたるのはよくないって知らなかったの?」「スケベのサラブレッドじゃないですか!」、飲み物は何がいいかと聞かれて答える「バニラクリームフラペチーノ」が特に面白かった。(注:セリフはすべてうろ覚えです)。(大熊)

Hanako I&II&III ~熱血三色だんごでも3人のおにぎりでも~
0.ミズタニー//キス芝居は元の名前の「野鳩」(【イプセンの「野鴨」】ではなく)の時からあって、頬をつかむように、両手の親指を相手の唇にかざして、自分の唇と相手の唇に空間を作るようにして、なので実際キスはしていない。の手法はナカゴーに継承されている。やたらキスして、今のシーンはキスいらないだろ、あれ演出家と女優ばっかがキスしてないか、という枝分かれ的に発生した、指を間にはさまない手法はトリコロールケーキに継承されている。【「ほんなわけあるかい!」「でも本当だもんね」】
I.ハナコ:笑けずり期//《カレー屋》は「学習塾」みたいに「状況をはたから見てるような」「秋山が傍観者的につっこむ」「ツッコミ秋山の状況解説が聞き取りやすい」「システムのあるネタ」。ただ「(秋山が)もっと巻き込まれた方がいい」「秋山くんは巻き込まれた方がいい」と言われ「巻き込まれるポジションを作ってみたい」と本人が語り、結果「巻き込まれすぎた」反省を踏まえ、適度に「巻き込まれ」る環境設定がされている。「岡部(※)の顔が面白い」ので「岡部の表情をもっとみたい」。(※「岡部とは」(「岡部がいるから大丈夫」「頼りになる人」「ネタに関してストイック」「ひっぱっていく存在」「責任感の塊」))。
【「ウニミラクル」ではなく】《家カフェ》は実家をテーマにしたカフェが舞台。【あの映画のラタトゥイユを食べるシーン】にもよく似た観客席方向にTVがあるという設定。「カミナリおやじ」でなく静かながら優しいお父さんと「教えるって行為がまずおかしいんじゃないか」とは思いつつもついついスマホの使い方を教えてあげたくなっちゃうくらいにかわいらしいお母さん。「ドラゴンボール29巻」「柔道部物語7巻」読んだり「ゲーム」したりしたくなっちゃうような居心地の良い空間で「「絶対帰りたくない」っていう思いがスゴく強くて」「ああマジで良かった マジで帰りたくなかった」
II.ミズタニー//この建物のどこかで、映画美学校で教えている万田邦敏の映画「接吻」に対しての蓮實重彥の評中の語句「豊かな無表情」(それは小池栄子に対しての賛辞なのだが)を借り受けるならば逆張りで「貧しいオーバーアクション」。三浦哲哉の提唱する【心理表象主義】を突き詰めたところに存在する芝居。喜怒哀楽をその挙動がまま物語り、というか行き過ぎて物語り、というか真面目に受け取るサイズ感を逸し、結果、ギャグマンガ的乖離を引き起こしている。カゲヤマ気象台の「シティIII」で、家を爆弾魔に爆破された女が言う「悲しい…」というセリフ。いかに悲しい時に「悲しい」と言わずに表現するかという競技が長らく行われていたと思うが、ここをもってブレイクスルーがあった。【イタリア式本読み】でなく一発ギャグ先行の口伝であり、【一見静かで実はすごくうるさい】の反対、達成されるものは【完全に"無の状態"】。コンタクトインプロヴィゼーション(笑)というくらいにダンスに接近し、人と人が接近し、シーンがセリフがズラしながら反復され、完全に音として理解されている。その試みには現代演劇のエッジとして新年に催される「これは演劇ではない」「どらま館ショーケース」に名を連ねても良いくらいに場違いじゃないくらいに現代演劇的。ミズタニーの事を【好きになってしまった】(回りくどい言い方をしましたが要はヌトミック、オフィスマウンテン、スペースノットブランクに引けを取らないということ)最後3人がおにぎりになるまで【全部夢だったような気がする】。でも、ハナコとミズタニーが違うって【ちゃんとわかってなかった】やっぱりハナコのことをわたし論じたい!
III.ハナコ:キングオブコント期//キングオブコントの話をしたい。だって笑けずりで「やっぱり最後生放送で戦いたかったです」と言っていたハナコが決勝残った。そしてKOCで「ここまで残ってるのが夢みたいなんで」と言っていたハナコが結果勝った。今回絶対30分で1ネタくらいはKOCのをやるかなと思ってたからそれを映像解析的にハイレゾに分析するという事前準備が消し飛んで、たしかに優勝直後にTVでやったネタやるのはコント好きそうなテアトロコントのお客さんに対して独特のアレというのはわかるけど、いや逆に見たことあるネタを味わいながら見るみたいな逆にそういうフェーズでネタを楽しんでいるくらいにあるよというかそれは嘘でミーハー心でファイナリストネタ見たかったなーというか、新ネタを見たいような決勝ネタを見たいような贅沢な悩み。「菊田はいるか、いらないか」という話は笑けずりでもKOCでも出てましたが、「めちゃ楽ポジション」の話です、絶対必要でしょう、何故なら秋山が紹介映像で言っていたように「展開はコンビよりトリオ びっくり箱的 1人多く使えるってめちゃくちゃでかい」というのはアーヴィング・ゴフマン「もう一人の人間ほど効果的な作因は存在しないように思われる」という言葉と正確に一致(してない箇所は外しました)しているので、ここまでほのめかし続けた映画あれです濱口竜介監督の【寝ても覚めても】ですが、東出をコピって別人にするという技はありなんですが、やっぱ完全な別人が使えるっていう利点はエグいというか、「お笑いコンビ」の限界と思っていて。映画ではどうとでもなるんですが。KOC2本目(1本目の話は?【「犬じゃダメなのか」と言われたら、ダメなんです笑】)の同じ格好をした別の女。映画第三の黄金期を担う濱口竜介・三宅唱の新作における男2女1を反転する形式の、ミズタニーもそうです、いや実際ハナコは男3、追う女追われる男のそれすらも反転し、それを追って陽が差してもいいくらいに、また「君の鳥はうたえる」には染谷というめちゃ楽ポジションも存在し、でも結局全てに共通するのは「女子ムズー」というオチ。ミズタニーとは違ってトリコロールケーキとは同じでハナコのキスは本物でした。(小高大幸)

コント・コントラ・演劇
1番手・うるとらブギーズ ボケ・ツッコミ両方をこなす八木さん佐々木さんの本格コント。『プロポーズ』サプライズみたいなことを演りたい男のそういうのを先回りして段取りチックな状況にイライラした彼女が放った「分かってしまったら意味ないんやー!」は気持ち良かったです。今回うるとらブギーズさんは幕間に『欲張りなラブソング』という映像をながしていたんですが、こういう暗転の間を工夫することは続けた方が良いと感じました。『夢』不良高校生がまこちゃんバーガーに賭けた大きくも小さいゆめのおはなし。今まで世話をかけた先生に第1号ハンバーガーを食べて貰うんです。ハリー・キャラハン曰く「泣ける。」『マリリンモンローゲーム』はもう少し英語ネタのボキャブラリーがないとシンドいですかね。『迷子センター』はセンター側の人の演技力が相当必要とされる演目でした。
さーぁー、ウンゲツィーファですよ。凄かったなー。ウンゲ。演出の本橋龍さんの名前は北海道戯曲賞などで見かけてはいたが作品を観るのは初。いやーすげぇ。久々だったなー小屋に居ながらにして悪夢を味わったのは。朝4時頃のクラブでパチャンガ・ボーイズのレボレドのプレイに身をゆだねて以来だなー。凄いなー。今回の『自ら慰めて』はテ
アトロコント版ということで本尺版はどうなっているのだろうか。本橋氏は、作品の見方をあまり限定されたくないと仰っていて、そこで積み上げられ出現した世界は、セクシャル・ウエルネスとは真反対の正に唯一無二のナイトメアだ。穴に黒く蠢く物体とビジョンを通じての女体入口との接続。それはひとの営みだ。だから、おでんは温かい。
ミズタニーの『3人のおにぎり』は飛行機の墓場こと所沢・航空公園で時間軸を飛び交い展開するおにぎり3WAY。毒入りおにぎり殺人事件のミスリードからおにぎりのあまりの美味しさに墓場で眠っていたプロペラ達も回りだす大団円へ突入するウェルメイド・プレイ。この作品は稽古場で口建てでシーンを構築しているという事で、それもまた驚きでした。
大トリはKOCチャンプ・ハナコ。『カレー屋』のナンおじさん、『殺し屋』の不動産屋さんみたいな殺し屋委託業者。『定食屋』のマスター等、岡部氏がグイグイと引っ張っていく。中でも『家カフェ』は秀逸で、中目にあるようなファニチャーが揃ったカフェを想像して入ったそこは、隙を見せたら落ち着いちゃう程の実家カフェ。出迎えてくれる両親みたいな店員さん。お客が一見さんだとは思わずに上級な接客をするお父さんは今回1番コントを楽しむ場としてのテアトロコントを現出していたのではないだろうか。
そしてアフタートーク。ここでコントと演劇のクロストークになったのだが、ウンゲの本橋氏がツッコミのある・なしについて言及する。「コントの会話って嘘くさいじゃないですか。でも今日観てて内からのツッコミなんだって感じました。」と聞いてハッとする。それって本質じゃないですかね。観客に伝達する仕組み。それを探究するのもコントと演劇が共存するテアトロコントの意義の1つではないかと思った回でした。(イトモロ)

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