渋谷コントセンター

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2017年8月25日(金)~8月26日(土)

テアトロコント vol.21 渋谷コントセンター月例公演(2017.8)

主催公演

公演詳細

切なさで狂わないために~切実『川端』について
夕方のベンチに中年男がひとり、座っている。髪には白が混じり、おでこは遠目からも見えるほど広い。チェックのネルシャツにカーキのチノパン姿で、アルミホイルでくるんだ自作らしきおにぎりを、ヒゲの目立つ口に放り込む。黙々とおにぎりを食べる男は、辛そうではない。夕暮れを、孤独を、むしろ静かに楽しんでいる。彼の名は川端という。そこに現れる、同年代か少し下の、もう一人の中年男。彼はこの場所、ふれあい牧場のかつてのスタッフであり、川端とも面識があった。「アスレチックのお兄さん」であった彼は、数年のブランクを経てこの牧場の園長に出世した。園長は言い辛そうに告げる。利用客から川端に多数のクレームが届いている。川端を見てると「切ない」のだと。
この「通告」の瞬間、客席は爆笑に包まれる。静かに、笑いを交えず続いてきた劇のフェーズがここから変わる。この「じらし」はすごい。体感時間は10分ほどだから、劇の前半1/3をフリに使ったことになる。ドラマも笑いもない10分間を持たせる演技力と、贅沢な時間の使い方。やはり芸人ではない、演劇人のコントだと思った。この瞬間にこんな爆笑が起きたのは、川端の姿が本当に切なかったからだ。展開の少ない劇の中で、観客は川端の切なさを存分に味わう。蓄積されていく切なさをどこに持っていけばいいのか、その方向が示されない。離婚しただの失業しただの、切なさの理由が提示されれば消化できるが、それも無いからただ切ない。観客の切なさの許容量が限界に達した瞬間、園長がクレームを告げる。緊張と緩和。消化できなかった感情が一挙に方向づけられ、観客は笑う。
なぜ笑うのか。なぜ笑いが必要なのか。科学や哲学や文化人類学、様々な観点があるが、わたしが思うに「狂わない為」だ。脳内に、「怒り」「悲しみ」「喜び」といった、分かりやすい感情のフォルダがあると想定する。フォルダには許容量が決められており、脳のはたらきによりフォルダ内は随時処理=削除されていく。感情というファイルをそれらに分類していくと、フォルダが満杯だったり、複雑な感情の為に分類し辛かったりで、フォルダからはみ出すファイルが出て来る。処理が追いつかなくなり、狂気が近づく。その為に笑いがある。笑いによってはみ出したファイル、未処理のファイルを一括処理する。「怖すぎて笑う」「気まずくて笑う」という現象は、このような理由で起きていると思う。
今回観客が体験したのは「切なすぎて笑う」だった。並々と切なさを注入し、仕掛けの瞬間までそれを維持する。こんな高度なことをできる演劇人が、お笑い芸人が、どれだけいるだろうか。この感覚はどこかで味わったなと考えていたが、それは『ごっつええ感じ』の『とかげのおっさん』第一回だった。(森信太郎)

切実さを笑いに変えるプロフェッショナルたち
コメディ映画の傑作「At the terrace テラスにて」(監督は山内ケンジさん)。そこで名演を魅せた岩谷健司さんと岡部たかしさんが「切実」というユニットでコントを演じる。しかも、脚本はふじきみつ彦さん。そう聞けば、期待するなと言われても無理ですよね。
チェックのシャツを着た岩谷さんがベンチでおむすびを頬張っている。そこにスーツ姿の岡部さんが様子を窺うように近づいてくる。中年男性二人による、ちょっと怪しげなやりとりから物語は始まります。岩谷さん演じる川端は、話し掛けてきた男が以前、アスレチックのお兄さんだったことに気づき、再会を喜ぶ。そして、今はこのわんぱくランドの社長だと知ると、持っていたおむすびを嬉しそうにプレゼントする。この辺から観客の心はザワザワし始めます。この男、ちょっと変、気をつけなきゃと。そして、社長が川端さんに話し掛けてきた本当の理由が徐々に明らかになるのです。
わんぱくランドを改革すべく、意見箱の投書に目を向けたところ、施設に関する問題点と同じくらい、川端さんに関する声がたくさん寄せられていたという衝撃の事実。いつも一人でおむすびを頬張り、アスレチックや牛の乳搾り、バーベキューを嬉々として楽しんでいる中年男、チェックさんが「切ない」との声。それを聞き、川端さんは心底、驚きます。「せ、切ない?この私が?」無理もありません。川端さんは純粋にわんぱくランドで過ごす時間に喜びを見出していただけで、切なさを醸し出そうなんて微塵も思っていなかったからです。
ここで皆さんも考えてみましょう。好きなことをたった一人で楽しんでいる。他人の目など気にせず、心から。その時、本人の意に反して、こう思われることがあるのです。「切ない」。テアトロコントのお客さんも例外でないかもしれません。でも、それは決して恥じることではありません。喜劇王・チャップリンの例を出すまでもなく、切なさはペーソスという名の笑いを生みます。自分が気づかないところで周囲に笑いを振りまいているのです。だとしたら、切なさは決して否定すべきものでなく、むしろ肯定すべきものなのでは?
事実、切なさは多くの人々に求められています。映画でも小説でも、切なさは鉄板のキーワード。「切なくていい」とは言いますが、「切なくて悪い」とは言わないでしょう?
川端さんは「切ないから」という理由で出禁になりますが、あまりに切ない。その切なさをポジティブに捉え、わんぱくランドの運営に活かすなんてカタチのオチもあったかなぁと、切なさが充満する会場で一人ポツリと思ったのであります。(市川幸宏)

私、批評モニターは重い客。常にうがった見方を心がけています(主に腕を組んでネタを見ています)。
フレンチぶる【批評モニターならではの目の付け所:映像】。「渦潮」「龍馬の忘れ物」「恋のスイッチ」そして「コントとコントをつなぐ転換の映像」。その全てにポスト・ヴェイパーウェイヴの感性が散見。昼2時間ドラマ、木の実ナナ、オフコース、かたせ梨乃、岩城滉一、三島由紀夫、時代劇、BL、教育ビデオ、トレンディードラマ、リンドバーグ、ツッコミテロップ、次回予告。ちょうどいい芸能人、ちょうどいい曲、映像のコードを利用したネタ作り。これは最新の笑い(以外のジャンルでも同時進行)の文字通り「トレンド」。文脈が必要とするちょうどいいセリフ(最適解)を出力。映像コントに最も真価があらわれ、コント自体もまた映像的。映像圏内グルーミングコミュニケーションはツッコマレビリティがプリセット。その記号のチョイスいいね!となるなる同世代、待望の登場。
2.ミズタニー【批評モニターだからこその目の付け所:不気味な笑い】。ままごと新作「わたしの星」ではカセットテープが、ミズタニー今作ではリモコンが、ケンダル・ウォルトンの言う所の「小道具」に設定される。それは演劇最強論の『「反復」と「パッチワーク」』を明示するアイテムである。同じシーンが繰り返され=「『笑い』と『不気味なもの』は「反復」という現象を対象にして出会い分岐する。(1)」、役者はマンガチックな演技をする=「反復される動作や事態、人形のような人間や人間のような人形(2)」。「時間を操作するリモコンが唯一効かない人とは?」という大喜利の答えとしての「(声が高い)居酒屋の客引き」は、最も笑えて・不気味だった。(引用1:「平凡社ライブラリー『笑い/不気味なもの 付:ジリボン「不気味な笑い」』H・ベルクソン/S・フロイト」Amazonの内容紹介)(引用2:同Amazonの内容(「BOOK」データベースより))
3.切実【批評モニターにしかできない目の付け所:ふじき笑い】。ゴッドタン「私の落とし方発表会」で男やもめのカメラマン役が印象に深い岩谷健司が醸し出す「切なさ」は正しく国宝級でしょう。初めての「ふじき笑い」体験でしたが、「おむすびを頬張っていた所、すいません」「乳を搾ろうという所、すいません」という部分が「ふじき笑い」だったのでしょうか?、「日体大なんてほぼ高卒」という部分?、心苦しい意見を言われ続け過ぎた人間が起こす行動「立ち上がり・そして座るだけ」という部分?、切なくない岡部たかしの方が、岩谷から出る切なさを浴び続けた結果臨界点を超え「駄目だ」といって泣くあの瞬間のこと?、勿論その全てが「ふじき笑い」だったのでしょう。今回は「切なさ」を特化させただけで「ふじき笑い」とは「笑いの別名である(!)」からして結果自由度マックスなので他のネタもめっちゃめちゃ見たくされてしまったのでしょう。
4.チョップリン【批評モニターのみに許された目の付け所:同じネタ】。テアトロコントvol.12の「万引き」と今回の「スーパー」とは同じネタでした。でもそれの何がいけないんだろうと思うんですよ。松本人志の一連の昔のエッセイのどっかにあったはずなんですがミュージシャンは同じ曲やって喜ばれるのに芸人は同じ話や新ネタでないと歓迎されないっていう呪縛今でも現役そうだなと感じます。平成ノブシコブシとかは劇場毎回同じネタをその場その場のフィーリングで書き換えてやっていると聞きます。テアトロコントで玉田企画も何回か同じネタやったらしいですし。同じネタを、回毎のグルーブとか差異を吟味するみたいなのがあっていいと思うし、更にテアトロコントでならより許されると思います。そういう意味で平平平平が出た過去作「捨て子」をリクエストしたいです。何度やった所で絶対に面白いはず。(小高大幸)

「切実」が圧倒的。
【1】フレンチぶる/★★☆☆☆/出演者:二人。木の実ナナの昼ドラパロディの「渦潮」、明治時代の使用人と坊っちゃんの同性愛を描いた『龍馬の忘れ物』、90年代トレンディドラマあるあるを探す『恋のスイッチ』計三作品。意図は伝わるも爆発力に欠け、転換映像も冗長に感じた。むしろトーク中に出てきた、仕事場のジムのインストラクターをネタしたコントが一番面白そうに感じた。
【2】ミズタニ−/★★☆☆☆/『彫刻たちの森』一作品。出演者:五人。森の中、ラジカセに合わせ踊るお嬢様と出会った男が、時間を自在に操る不思議リモコンで欲望のまま暴れるようするが…。ミズタニ−は二度目の拝見。欧州かと思っていたら居酒屋勧誘女性が現れる。掴みどころのない世界観と、型重視の演技形態に、未だ馴染めないのが正直な所。お嬢様が踊っていたSkeeter Davis 「The end of the world」が名曲すぎて帰宅して速攻ヘビロテした。
【3】切実/★★★★★/『川端』一作品。出演者:二人。アスレチックパーク「峯岸わんぱくランド」をこよなく愛するアラフィフおじさんと、三年ぶりに社長に栄転して戻ってきた男性職員の会話劇。アラフィフおじさんへに出禁を命じるまでの流れが、あまりに自然、丁寧、周到、繊細で唸る。設定と会話の可笑しみに何度も笑いながら、おじさんのパークへの愛情と、もう二度と来れない悲しみに涙して心が忙しい。初見でこれだけの傑作だと、ハードル上がりすぎて今後を心配してしまうが、それでも次作品を熱望する。
【4】チョップリン/★★☆☆☆/『スーパー』等三作品。出演者:二人組。万引した老人が、数々の迷宮入り名事件の犯人だと自白し警察連絡を防ごうとする『スーパー』。カップラーメンさえ沸かすのが面倒な夜、大学の友人が尋ねてきて面倒な事が積み重なる『アパートにて』。大げさなコンビニ店員と強盗が、なぜか単語だけをやりとりしながら格闘する『コンビニ』。鼻水をつける癖がある板前を客が注意する『寿司屋』。設定や世界観が成熟している分、展開にさらなる高い沸点を期待してしまった。勢いで強引にひっぱろうとして、やや押し付けようにも見えて観客が共感しづらくなっていた部分もあるかもしれない。
【総評】とにかく「切実」が圧倒的だった。そして何度も拝見するうちにだんだん芸人コントと劇団コントの差などどうでもよくなってきている。どっちも笑えてどっちもいい。それでいいじゃないか。(モリタユウイチ)

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