渋谷コントセンター

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2016年10月28日(金)~10月29日(土)

テアトロコント vol.12 渋谷コントセンター月例公演(2016.10)

主催公演

公演詳細

「放送コード」という「管理」は「人間の行為の無能をひそかに暴露」する
【1】トリコロールケーキ『恋人として』他2作品。
「「花を与えるのは自然。編んで花輪にするのは芸術(ゲーテ)」なら、そこに歯を磨かない女が出てくるのがトリコロールケーキの演劇と言ったところか。」の「(ゲーテ)」や「と言ったところか。」を見逃さないのがトリコロールケーキの演劇である。そして「<これがあなたがお探しの>花」と「<私があなたがお探しでない>歯を磨かない女」<>部分の叙述の対比をより強調するのがよりトリコロールケーキの演劇である。
【2】夜ふかしの会『フルーツバスケット』他4作品。
時間割作成を対局に見立てる際に科目を読み上げる実況(「国数音理英・数社社社理・美美理音家・家HR英体国・体英数国体」)のような基準となる音律を理解した上で、「オニギリで噂を買収する」通常ルールのピッチが上がり切り混乱を来した時に被せる「何かヤバい」や、エロ本が差し出された時の一呼吸置いた「これは元々僕のだ」のタイミングとトーンなどリズム感の良さは5人組の団体芸でこそ培われたものだと感じた。
【3】かもめんたる『学芸会』他2作品。
松尾スズキの「コント「真夜中の桃太郎さん」で犬が語る「キビ団子(リターン)」と「鬼退治(リスク)」のバランスの悪さ、また桃太郎が語る3匹の仲間の非力さなど、今まで描かれた事が多い題材だからこそ「犬の頭とか小せえ」という小さな台詞が凡百のコントとの違いを見せ付けていた。「もっと微妙なニュアンスの言葉はないのかね(つげ義春)」という突き詰めた求道心が故に起こる悲鳴はある意味で反応として正しい。
【4】チョップリン『万引き』他3作品。
フラしか無い高齢の新人落語家「桂三途の川」は滝口悠生の「かまち」に登場する玄関を高座とするアマチュア女性落語家「伊澤さん」を思い出した。「もともと断片的な記憶は、自分の知らない場所や、絶対にそうではなかったはずの景色まで記憶のなかに呼び寄せ、現実の景色と癒着しようとする(滝口悠生)」落語が現実と混交する様を「ドキュメンタリー」と言い得たのは後期小島信夫の問題系。「平平平平」は名前史上一面白い。
【総評】
放送コードの制限でTVではできないネタ、持ち時間の関係でライブでもできない長尺ネタ、それを許す土壌がテアトロコントにはある。30分を自由に使えるということは「おもしろければOK」という最も剥き出しのコードと向き合わざるを得ないということだ。 (小高大幸)

トリコロールケーキは静かに、全員で、出鱈目に乗っかるアプローチ。チョップリンは強烈なツッコミで出鱈目を叩き潰すアプローチ。出鱈目に対する静と動が見られた。
 今回の公演で印象的だったのはトリコロールケーキとチョップリンの出鱈目さの違いであった。トリコロールケーキ『恋人として』、チョップリン『捨て子』について記載する。
トリコロールケーキ『恋人として』は、アイドルとマネージャーのベタなやり取りの中で、“マネージャーとして”“恋人として”“君のお母さんの元カレとして”“君の元ストーカーとして”“仮釈放中の身として”と「~として」で語られる身分や関係性がどんどん出鱈目な方向へエスカレートしていく。それでもまだストーリーは続けられたのだが、最終的には“プロペラとして”“ベルトコンベアーとして”“インクジェットプリンターとして”ただただ機械音を発する所まで行き着く。話が進むにつれベタなストーリー展開が霞んでいき、「~として」で語られる自分自身の突拍子の無さが肥大していく様を描いた。
トリコロールケーキはツッコミが不在で、出鱈目なものが出てきたら全員が静かにそれに悪ノリし、くだらなさをエスカレートさせていった印象であった。
次にチョップリン。どうかしている小林を100%で否定する西野の様に魅力を感じるので、先輩・後輩という間柄の『あんぱん』、3億円事件の犯人だと語る小林を憧れる『万引き』、小林が出ているテレビを見ている設定な為、直接的なやり取りの無い『新人落語家』よりも(小林の98歳新人落語家の振る舞いは最高にどうかしていた)、育てられなくなった子供を西野が捨てた瞬間、黄色のホットパンツ、黄色のピチTシャツ、サングラス、M-1予選のナンバープレートのようなモノが付いたキャップを身に着けた小林がその子供を拾いに来る『捨て子』がなにより記憶に残った。登場の瞬間で出鱈目な狂人だということが分かる小林と、「シャブ打ってるやろ!」と100%の力でそれを否定する西野のシンプルなやり取りに終始笑った。
 今回のテアトロコントでは、出鱈目に対して否定が入るか入らないか、ツッコミがいるかいないか。ツッコミがいない場合は全員で静かにその出鱈目に乗っかる。いる場合は100%の力でそれを叩き潰す。その対比に興味をそそられた。(倉岡慎吾)

初登場のしゃもじ、沖縄弁といい、いちいちコントの間に他愛のない話をする流れといい、これまで登場したどのユニットとも似ていない独特の存在感があった。
 初登場のしゃもじ、沖縄弁といい、いちいちコントの間に他愛のない話をする流れといい、これまで登場したどのユニットとも似ていない独特の存在感があった。確かに30分の使い方は自由なわけで、ネタだけに集中しなければならないという決まりはないが、少なくともここまで観客に向かってのフリートークをだらだらとやったケースは過去にあまりなかったと思う。そのラフさはむしろ好ましいものだった。ネタとしては大切な告白を同窓会で何人もに繰り返していくうちに、飛躍的に告白のスキルが上がっていく『成長』が、綺麗にオチまでするすると進んでいって良かった。
 トリコロールケーキ、最早安定の面白さというべきで、どのネタも結構満足度の高いものだったのだが、唯一気になったのは、『ハル』という以前のテアトロコントで披露したネタを、何故もう一度上演したのか?ということだった。再演してはいけないわけではないし、出演者の人数が前回と変わっているので完全に同じネタをやっているのでもなかったのだけど、それでもやっぱり新作が観たい!新作が!!という個人的なこだわりに気づいた。まあでもお客さんのうち何人がそんなことを気にしているのか定かではないし、私の心が人一倍狭いだけかもしれない。というか多分狭い。
 チョップリンはダントツで「捨て子」というネタが大好き。捨て子した瞬間、明らかにヤバイやつに拾われて、捨てた親が慌てて赤ん坊を取りかえそうとするネタなのだが、明らかにヤバイやつといわれていまこれを読んでいるあなたが想像している十倍ぐらいヤバイと思う。ファッションセンスが酷いというよりは変なこだわりが見えてゾクゾクするし、喋り方がもうなんと形容していいのかよくわからないくらいぶっちぎりでキモい。電車でもし隣に座ってきたら車両を変えてしまうかもしれないほどだ。演技力の賜物。
 ダブルブッキング、個人的にはあまり乗れなかった。特にネタの間に挟まる映像ネタが、男子のグループで行われる悪ノリ、もっと強く言えばいじめをうっすらと想起させるようなものに思えてしまい、ネタの途中で笑う前にドン引きしてしまった。そこからあまり内容が頭に入ってこなかった。これはテアトロコントのアフタートークについてもたまに「ウッ」となる部分だけど、お笑い芸人側から演劇側へのいじりが時折行き過ぎなのではないか?と感じられ、心がスッとさめてしまうことがある。私が敏感過ぎるだけかもしれない、生真面目過ぎるだけかもしれない、それでもやっぱり笑いに来ているのだから、このような不快さに直面せずに済むなら、そうしたいものだ。(綾門優季)

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