渋谷コントセンター

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2022年8月26日(金)~8月27日(土)

テアトロコント vol.58 渋谷コントセンター月例公演(2022.8)

主催公演

公演詳細

荒削りなところも魅力、ぎょねこ
【ぎょねこ】
【ニュース】夕方のワイドショーのような雰囲気で、ニュースキャスターとコメンテーターが隣り合って着席している。ニュースキャスターによる「続いてのニュースです。地震がありました」という声掛けとともに、視聴者から提供された映像が流れる。その視聴者提供の映像は、確かに地震があったことを示すものなのだが、客に提供する唐揚げを床にこすりつけるバイトテロの映像の数秒後に揺れているため、コメンテーターは困惑しつつも、「地震について」コメントする。しかし、その後も全く同じ動画が、違う切り口で流れ続け・・という話である。設定の妙、繰り返し登場する映像を寸分の狂いもなくその場で同じように表現する演技力に惹き込まれる。仕組みが分かった後も、間違い探しをしているかのような、味わいがあった。一方、展開が読めてしまうので、ボケが予想を超えてこないという難点も同時に感じた。
【デスゲーム】目覚めたら手足を縛られている青年。映像越しにゲームマスターから、不条理な現実を突きつけられる。「3分以内に解毒剤を飲まないと死ぬ。解毒剤は、お前の腕の中に入れた」という恐怖の一言だが、青年は、ゲームマスターのマスクがダサいことに言及せずにはいられない。非常に分かりやすい設定であり、すんなりコントに没入できる。一方、ゲームマスターは、サイコパスの代表格のようなイメージがあるが、本コントでは、少々人間味があり過ぎているのでは、とも思った。
【新築】都内に夢のマイホームを手に入れた一家(両親と小学生くらいの子ども1人)。完成直前の内見に訪れた折、ゴジラのような怪獣に東京が襲われてしまう。一家はしばし呆然とした後、発想を転換し、怪獣に家を壊されるまでの数分間に、予定していたであろうルームツアーを詰め込む、という話である。突拍子もない話であって、テンションで押し切るようなコントではあるが、困難な状況下でも前向きな家族の姿勢は思わず笑いを誘う。
【体育倉庫】手違いで体育倉庫に閉じ込められてしまう高校生の男女。女のことが好きなため、男は妙に落ち着いている(というかこの状況を喜んでいる。)。開くための鍵を探しながら、男女はいい雰囲気になるのだが、隣の体育倉庫で同時にたまたま閉じ込められていた教師が登場し、嫉妬ゆえに分かりやすく邪魔をする、という話である。教師が良いスパイスとなって大変面白かった。教師の「同じ密室でも広い密室のほうが怖い」という発言や、ロマンティックなムードを打ち消すために体育館のピアノで「つかもうぜドラゴンボール」という歌詞でお馴染みの摩訶不思議アドベンチャーを奏でる行動など、非常に良かった。コントを巧みにリードするオジマアロー、純粋で応援したくなる佐々木勝男、イキイキとしたボケを見せ、存在感抜群の青木大作戦という三者三様のキャラクターがハマっていた。(あらっぺ)

ナンセンスと不条理で、生と死を見つめて。
腰にロープを巻き付けた男が覗き込むようにしてポツリと呟く。「下に見えてるの、地球ですよね?」
彼を後ろで支える男が笑顔でハキハキと説明する。「ウチのバンジーの怖さ、高さじゃないですよ。地球のどこに落とすかで勝負してますので」
かつて、こんなに興味をそそる掴みがあったでしょうか?
1、2の3でダイブした男が落とされた場所は、捨てた元カノのアパートの前。これは怖い。捨てられた女は狂乱し、刃物を振りかざして襲い掛かると、その瞬間、バンジーのロープが引っ張られ、男は宇宙の彼方に舞い戻ります。そして、我に返った男は素朴な疑問を抱きます。果たして、これはバンジーなのか?すると、バンジーの定義が述べられます。命の安全が保障された状態で死の恐怖に直面する。これがバンジーなのだと。一瞬、納得しかけてしまいますが、いやいや、違う。全員でそう突っ込みたくなる、秀逸なボケです。
演じるのは、警備員さん、こんぽんさん、ニシブチさんからなるハチカイ。結成2年目とは思えない、ハイクオリティのコントでお笑いシーンを席巻する、今、注目のトリオです。彼らの魅力は、ナンセンスと不条理を絡ませつつ、客が今まで体感したことのない独自の世界へと誘うところ。
例えば、見ず知らずの老人の葬儀に導かれる男。言われるがままに花を手向けると、祭壇が巨大な魔物に早変わり。男は丸呑みされてしまいます。皆さん、理解できますか、この状況。何のことやらサッパリかと思われますが、これがステージで展開されると、意味に囚われる間もなく笑ってしまいます。『欽ちゃんの仮装大賞』に出しても遜色ない舞台装置もインパクト大で、大きな笑いを生む要因の一つ。そこへ来て、訳の分からない状況に巻き込まれた男が魔物の正体を尋ねると、チョウチンアンコウが獲物をおびき寄せる光の部分が葬式になっている、葬式に擬態した生き物だ、との答えが返ってきます。「なるほど、そうやったんか!」とは、ならへん、ならへん。それでもストーリーは粛々と進み、観る者をさらなる非日常へと引きずり込みます。袖口を鷲掴みにするかのように、強引に。一見、シュッと見える3人ですが、腕力もなかなかのもの。ニシブチさんは言います。「お笑いは恰好の逃げ場だ」と。何もかも放り出して逃げたくなったその時にハチカイのコントに没入すれば、日常の憂さなど、どこへやら。但し、日常に戻れなくなる危険性があることは皆さんに注意しておきます。(市川幸宏)

飛ぶ、居る、狂う
「さあ、僕たちの脳みその中に入ってきてください」と言わんばかりの破天荒なコント、それ以上に、幕間の映像。ぎょねこの脳みその中にきっと確実にある意味分からなさのかたまりが、早く爆発させてくれ!と唸っているようでした。
映像『腹筋ローラー散歩』が一番好き。腹筋ローラーをやっているとそのまま前へ進みたくなっちゃう気持ち、とてもとても分かる。映像『動物イロモネア』もコント『新築』も、そういう日常のシーンから一気にぶっ飛ばす設定の作り方が、ものすごく上手だなと思いました。キラーワードもコントの中にしっかり敷かれていて、これからその言葉たちが、ぶっ飛んだ設定をもっと立たせてくれる気がします。
世の中全体でかなりコントが流行ってきているけれど、その中でもワタナベは特に強くて熱い…!完全無欠なコントをかかえる先輩たちの中で、ぎょねこはどんなコントを作っていくんだろう。とっても楽しみです。
短めのインターバルをはさんで、劇団普通『電話』。
呪文のような、怪文書のような、古典落語のような。いつまでも聴いていたいような、生々しくてもう二度と聴かないほうがいいような。そして3人の茨城弁の巧みなこと。怖かったです。
話すべき要件があるわけじゃないのに話してる。話してるというか喋ってる。喋ってる状態をかろうじて続けるために何とか喋ってる。家族の、とりわけ物理的に離れてしまった家族の、そういうどうしようもない辿々しさ。あまりに完全に表現されているから、こんな会話を家族とまだしたことがないのに、勝手に「あの日の思い出」となってフラッシュバックしてくる。これがどれだけ恐ろしく、そして稀有なことかと思います。
しかしどうして、人間はこんなにも不器用でぶっきらぼうで、ままならないんだろう。どんなに徳や経験を積んでも、きっと一生こうなんですよね。そういう、完璧じゃないということがちゃんと完璧で、何だか真空の中にいるような30分間でした。ああ、面白かった。
最後はラブレターズ。
ラブレターズはいつでも、コントマン(?)の余裕を感じさせてくれます。「意味分かんないばっかじゃないの」と手放しに落ち着いて大笑いできるありがたさ。
『Vチェック』がとても好きでした。溜口さんの憑依がとんでもない。VTR『塚本テニススクール』も素敵だったな。塚本さんの飄々とした表情が効いていました。
“2人の狂気をコントに映す”ラブレターズの醍醐味は、もう半ば自明かも知れない。だけど今回気付いたのは、そういう狂気の沼にさらにもう一度自ら飛び込んで、もっともっと狂いに行っているということ。なんてかっこいい!これからもずっと「意味分かんないばっかじゃないの」させてください。
余談ですが、私がラブレターズを拝見する時、かなりの確率で『後輩の全国大会』にあたります。もう10回くらい見ているのにずっと面白いです。溜口さんが似合いすぎているのです。いつもありがとうございます。
三者三様、何だかとてもテアトロコントらしい100分でした。(ごとうはな)


普通であることを見せ続ける可笑しみ
ハチカイのネタはどれも「この発想を具現化したい」というところがスタートとなり、ネタが作られていったと思う。『バンジージャンプ』のネタだったら「良きタイミングでバンジーの紐で下手へ強制的に下げてしまう」とか、『葬式』のネタだったら「化け物が人を喰ってしまう」とか。そういった飛んだ発想があるうえで、お笑い芸人特有の声量だとかテンション、間の取り方になっていたのはもったいない気がした。お笑い界のルールに当て込んだようなわざとらしいリアクションや、見やすく聞き取りやすくした声量やオーバーアクションなどは、どこかお笑いワナビー的な痛々しさを伴う。発想は自分たちらしさがあるのに、それをテレビや劇場なんかで見たようなお笑いのルールに当てはめることの似合わなさを感じてしまった。

劇団普通の演目『電話』がすごかったのは、徹底的に”普通”に落とし込んでいたところだと思う。わかりやすい面白ポイントはほぼ置かず(少しはリアクションのループとかで面白ポイントはあったのだが、正直そんなサービス性すら今回の演目にはいらなかったと思う)、3兄妹のちょっとだけ軋轢のあるやり取りを電話という手口を使って、30分のリアルタイム進行のものとして延々と見せる(「もう30分も話しちゃったね」という旨の台詞はゾッとした)。お笑いはfunnyな面白味を見せがちだが、そのfunnyさを徹底的に抑えた結果、interestingな面白味が浮かび上がってくる構造がとても刺激的だった。

「なにか起きるかもしれない」と思って見続けた結果、なにも起きない演劇側。そして、なにか起こそうとして痛々しく感じるお笑い側。

客席と舞台には境界線がある。舞台で行われていることは虚構で、決められた台詞や演出がある。その前提条件があるうえで、今回出演したお笑いマナーに則った(今回はむしろ、お笑いマナーに”縛られた”という感覚を覚えた)人たちは決められた台詞や展開などを過剰に見せていく。それと反対に、演劇の人たちは決められた台詞や演出など存在しないように見せていく(そしてそれはそういう演出である)。演劇側の人たちの演技をしていないように見せる自然さ、お笑い側の人たちの演技を過剰に見せていく不自然さの対比が象徴的な回のように思えた。(倉岡慎吾)


知的でエッジが効いていて、それでいてポップ。
《1》【ハチカイ】<コント師枠>2人組/演目:『葬式』他、計4作品/★★★★☆/
公園で上司に電話しているサラリーマンが「葬式中に電話するやつがあるか!」と見知らぬ人に怒られ、気づけば公園で葬式をしている一群に紛れてしまう。「おじいちゃんはな…死ぬ直前までお前のこと気にしてたよ…花をたむけてやってくれ。」と号泣され思わず流れに任せて献花するも、まったく知らない人の写真を見て、「ちょっとまってくれよ。これ誰?一体なんのための葬式なんだよぉ!」と叫ぶと、背後に巨大な目と口が登場し大きな口が開く。「って俺を食べるための葬式だぁぁ!」と、葬式で人をおびき寄せる生き物に食べられてしまう『葬式』。Aマッソにも似た知的先端系コントでありながら、Aマッソほど客を選ばず楽しみやすい空気があるのは、男2女1三人コンビの妙が、本当は少し尖った作風をポップにしていると思う。社会性がないとパンフ文章にあったが、バンジー・社員旅行・葬式など、描かれる世界観は現代社会にフィットしてるので、単純に集団行動が苦手なタイプなだけの気がしてならない。21年KOKは準決勝、22年は惜しくも二回戦敗退。来年以降が楽しみ。
《2》【フランスピアノ】<コント師枠>2人組/演目:『社長室』他、計5作品/★★★★☆/
社員「経理部部長になって色々分かることありましたよ。あなたの横領とか。この事はしっかりと告発します。あんたもう終わりだよ。」社長「確かに横領は認める。だが君のようなぺーぺーを誰が信じる。」社員「今日の会話、全部録音してます」とテーブルで録音されたiPhoneを再生すると、本題前のギャグに笑う客の声に「…誰だ…こわい…心霊だ…」と驚き震える『社長室』。コントの客席にはお客さんがいるが、“登場人物はそれを知らない体で演じる”というコントの原則ルールを逆手に取った遊びが、構造への挑戦を感じた。不思議な薬を飲むと好きな場所にワープできるがワープ前の体も残るので、体が複製されすぎてしまう『ワープ』も、短編小説のようなアイデアでワクワクさせてくれる。22年、KOK準決勝進出とのことで、結果が楽しみ。
《3》【劇団普通】<劇団枠>出演者:3名/演目:『電話』1作品/★☆☆☆☆/
兄「何か着たらどう?」弟「何かって別に寒くないよ」。疎遠となっていた田舎実家で暮らす兄からの電話を、都会二人暮らしの弟と妹が交互に話す30分。終演後Twitter検索すると、城山羊の会の作演・山内ケンジさんも同回観劇だったようで絶賛ツイッター文を拝見したが、きまずくうっとおしく説教臭い空気が茨城弁で小声のまま現れては消えるさざ波のように永遠と繰り返す様を、どう味わえばいいのかわからず、ひたすら罰ゲームのように耐えていた…というのが正直なところだ。細かい話だが、三人とも電話を耳に当てる感じもなく、弟妹は下を向きながら話していたので、テーブルに電話機かスマホが置いてあったとして、弟妹はテーブル横隣りにいる同士にもかかわらず「さっきお兄ちゃんと何話してたの?」とか、電話の中身が聞こえない前提の会話をしていたので、スピーカーモードなわけでもなさそうだし、ヘッドセットを交換してる様子もないし、一体どういう状況で電話してるのだろう?などと余計なことばかり考えていたが、きっと演技手法的なことでそういうリアリティは超越しているのだろう。女優、鄭亜美さんの声がキレイで透き通っていたのが印象的だった。
【総評】ハチカイとフランスピアノは好きなツボやアプローチが少し似ている気がする。知的でエッジが効いていて、それでいてポップ。転換時を映像・音声ネタで埋めていく手法も同じだったが、正直、時間がかかるような衣装には見えなかったので、あそこまで時間がかかるとは思えない。基本的には音楽だけでテンポよく転換して、ここは長くかかりそうという部分だけ小ネタ転換を用意とかだと見やすい。転換中は、実はお客さんにとっても休憩時間でもあるので、そこまで意味を求めていない。少なくとも自分は音楽さえかかっていれば、一つ前のコントを反すうしたり、この後何しようかなとか、ボーっとする時間を獲得できる。…と、まだまだ書きたいことはたくさんあるが、あんまり長く書いても自分だけフォントサイズを小さくされる刑をくらうのでこれくらいに。今回も沢山の学びを頂いた運営・出演者の皆様に感謝いたします。(モリタユウイチ)

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