渋谷コントセンター

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2018年12月21日(金)~12月22日(土)

テアトロコント vol.32 渋谷コントセンター月例公演(2018.12)

主催公演

公演詳細

底辺を彷徨う男たちが舞う、哀しみのボレロ
小学生の頃を思い出してください。担任の先生が学校を休み、代わりの先生がやって来たら…。それだけでもうお祭りですよね。しかも、その代わりの人が本当は先生でも何でもなく、単なる知り合いだったとしたら…。こんなにワクワクすることはありません。そして、その教壇に立つ、うだつが上がらなそうなオジサンが教えるのは、パチンコのシステム。大きくなったら必ずやるんだからという、もっともらしい理由で噛んで含めるように教えてくれるので、もうウキウキが止まりません。まずはパチンコ台の説明から。見た目はいろいろあるけど中身は一緒、と最初の不安を取り除いてくれます。人間もそうだと。見た目は違うけど、みんな一緒、臓器の入れ物、と目から鱗の喩えで教えてくれるので、オジサンの授業に釘付けです。そして、おもむろに取り出したのが、小さな紙切れが300枚入ったビニール袋。その中に赤い丸が書いてある紙が1枚だけあり、それを引き当てるのがパチンコだという。注意事項も忘れません。引いた紙は必ず元に戻すこと。300分の1の確率の作業を1日13時間やり続ける。これがパチンコの醍醐味だと嬉々とした表情で語るので、子供たちは決心するでしょう。大人になったら真っ先にパチンコをやるぞと。
子供のハートを掴むのが巧い陽気なオジサンを演じたのは、キングオブコント決勝進出経験もある元巨匠の岡野陽一さん。巷ではクズ芸人としての評価も高い、一癖も二癖もある芸人さんです。この日、岡野さんは小学4年生の男の子が5人の怪しげなオジサンと次々に出会うという構成の作品で爆笑の渦を巻き起こしました。
あるオジサンは生きる希望を失い、金持ちの小学生の体にぶつかって入れ替わることで再起を図ろうとし、あるオジサンは深夜、地下鉄の線路に横たわる、生きた龍を持つバイトをし、仕事に意味など求めるなと説く。また、あるオジサンはドブの水を飲んだら100万円くれるという悪趣味な富豪にそそのかされ、健康被害も顧みず、ピエロになりきる。登場するのは、いずれも社会の底辺を彷徨う大人。そこから透けて見えるのは、格差、ブラック企業、パワハラという現代社会を覆う闇。ナンセンスという名のベールで包み、社会の本質を炙り出す。真の社会派芸人をここに見ました。そんな芸人が最後に繰り出したのは、ヘリウム風船で鶏の唐揚げを大空に飛ばそうというシュールなネタ。どんなにあがいても決して叶わぬ鶏の夢。それをせめて死後の世界で叶えたい。果敢に挑戦するオジサンの健気な表情に、来世にすがることしかできない厳しい現実が浮き彫りになり、大爆笑の内側に涙を禁じ得ないのです。(市川幸宏)

本当にだめなおじさんが演じる、変なおじさんのコント
「色気」という言葉がある。手元の『明鏡国語辞典』によれば、「異性を引きつける性的な魅力」というのがその語義の一つである。そんな辞書的な意味からはずれるが、岡野陽一はたいへんに「色気のある」芸人である。もちろんそれは、性的な魅力とは趣が異なる。
この日の岡野陽一は、「町に出没する変なおじさん」のコントを連作で見せた。病欠した担任教師の知人であるというだけで代理教員として小学校の教室に現れ、パチンコの仕組みについて授業をするおじさん。裕福な家の子どもと物理的に衝突することで、映画『転校生』よろしく中身を入れ替えようとするおじさん。大江戸線の線路に寝る龍が床ずれを起こさないように、その龍を手で抱えるバイトを斡旋するおじさん。ドブの水を飲み干すところを成金の知り合いに見せて、報酬をもらおうとするおじさん。動物への愛が強いあまり、鶏肉に風船をつけて再び空を飛ばせてやろうとするおじさん。「変」という言葉の語義の限界に挑むような、「変なおじさん」五連発であった。
ここで岡野陽一本人の話をしたい。失礼ながら、彼自身が「だめなおじさん」なのである。
岡野は1981年11月に福井県で生まれた。2008年に本田和之とコンビ「巨匠」を結成。将来を嘱望されるも、2016年にコンビは解散。それから彼はピン芸人となった。
「だめ」の具体例を挙げよう。一昨年末に彼がバラエティー番組『カイジ』に出演した当時、彼の借金額は700万円であった。優勝者に多額の賞金が約束される同番組の冒頭で、彼は早々に戦いに敗れた。番組中に彼の敗戦の弁が放映されたが、彼はその中で、居酒屋で、おそらくレモンサワーを片手に悔しさを語っていた。たいへん冷たい言い方になって申し訳ないが、飲み代を節約する発想はないのである(番組が支払った可能性はあるが)。
岡野のコントの内容を振り返ろう。これらのコントを彼以外が演じたら、果たしてそれは笑えるだろうか。「変」がすべて「狂気」に変換されて恐怖を呼んでしまうか、リアリティーがないせいで上滑りしてしまうか、そのどちらかであろう。
しかし、岡野は只者ではない。本当にだめなおじさんなのだ。彼の持ち前の「だめ」と、設定の「変」が幸福な化学反応を起こし、楽しいんだか悲しいんだか、面白いんだか寂しいんだかわからない、唯一無二の世界を作り出している。
パチンコ屋の近くには景品を買い取ってくれる店がなぜか必ずあるんだと語るおじさんの後ろに、実際にパチンコが趣味である岡野の姿が見える。お金を稼ぐことは単なる綺麗事じゃないんだと語るおじさんの後ろに、実際に借金に苦しむ岡野の姿が見える。舞台の上で虚実が混ざり合い、我々はおじさんを観ているのか、岡野を観ているのかわからなくなる。たとえ観客が岡野本人の事情を知らなくとも、彼の「実」は肌で感じられるだろう。
芸人にとっての「色気がある」というのは、「魅力的な本性が漏れてしまっている」ということなのかもしれない。少なくともこの日の岡野陽一は、舞台上に立つ芸人や役者のなかで最も色気を放っていた。(森信太郎)

かが屋は笑いで”愛”を体現している。
《1》【かが屋】<コント師>二人組/★★★★☆/「超かっこよくない?」。東京に引っ越す前に友人に漫画を返しに来ると、目も合わせずアップルのAirPods(イヤホン)をつけて自慢してくる友人。あまりにしつこく、今後の友達付き合いを忠告していると「これ、プレゼント、お前のな。引っ越すから」とまさかのサプライズ。動揺していると、イヤホンから槇原敬之の「遠く遠く」を流し、「お前が引っ越すって聴いてから、どんな事伝えたいかなと思って、それだったらBluetoothが一番いいかなって思って。俺らの絆はBluetoothみたいなもんだから!」と叫ぶ。「全然違う…ずっと間違ってる…こんな事されても嬉しくないから…クソッ!」と返した漫画の最後のページに手紙が入ってることを打ち明ける『イヤホン』他計4作品。繊細と優しさを信念に、笑いを突破しようともがくかが屋を見ていると、応援せずにおれない。かが屋は笑いで”愛”を体現している。
《2》【マレビト・コント】<演劇人>出演者:3人/★★☆☆☆/未来から来た息子が金をせびりに来る「未来から来た男」など三演目を暗転なしで展開する演目。複数の書き手による上演が売りの「マレビトの会」がテアトロコントに初登場。清潔感と品のある三人が醸す不思議な空気が魅力だったが、あまりに展開と突破力が弱く、暖房との睡魔にエネルギーがもっていかれ、集中が途切れがちになってしまった。今後の進化に期待。
《3》【THE ROB CARLTON】<演劇人>/★★★☆☆/カタギではない男三人が、命をかけたジャンケンの駆け引きが、いつもの間にかコントを作る話になる『Low-keyed play』一作品。突飛なのに引きつけられるのは会話とキャラクターの妙のなせる技だろう。三人のガタイもバランスよく、生の舞台を成立させる魅力に溢れていた。京都からやってきてくれた事に深く感謝。
《4》【Aマッソ】<コント師>二人組/★★★★☆/「アレゴリー教室へようこそ」。アレゴリー教室に入門し、アレゴリー(比喩)の多様さを学ぶ『アレゴリー』他計二作品。知性で笑いを爆発させるAマッソならではの魅力が今回も炸裂。初見の衝撃を期待するのは無茶だが、持ち時間30分を手なづける方法がだんだんと見つかってきた模様で、幕間の映像も軽い気持ちで見れて塩梅が心地よい。終演後のMCもそつなくこなし、絶好調。来年も期待のコンビ。一部上場は目前。
【総評】殆どの団体が衣装替えをしなくて済む工夫がされていたことで公演全体のテンポが上がってきた。Aマッソのコントに、かが屋の一人が登場し、THE ROB CARLTON で加賀屋のコントが紹介され、一度しかない即席コラボで互いが小気味よく引き立っていた。まさに年内最後のテアトロコントにふさわしい奇跡であり、一つの完成形だった。(モリタユウイチ)

静かなコント
3番手のTHE ROB CARLTON、4番手のAマッソは声や動きが比較的大きく、テンションも高めで所謂“笑わせよう”とする演者の態度が見えやすく、観客側も“笑おう”とする心持ちがしやすかったと思われる。(Aマッソ『里親』はシビアなテーマが題材で2人の演技もその初日の里親/里子関係の静かなたどたどしさがリアルに見えるのだが、その部分はフリで、どうでも良い部分で里子が引っ掛かりまくり嘲笑、里親がキレ戸惑いを起こすという、割と分かりやすいフリボケのコントと思う。)
それに対し1番手のかが屋、2番手のマレビト・コントの静けさで貫く様が個人的に心地良かった。
かが屋は全体を通してそんなに声が大きくなることはない。(ちなみに、違う若手のライブでかが屋を見た時、平場は他の芸人と同じく大きい声で、コントの時は一気に声が小さくなっていて驚いた。使い分けていた。)情緒を使って直接的に自分の感情を露わにする場面も無く、表情や間で登場人物の心情を観客に伝えていた。駆け込み乗車を失敗した人を馬鹿にする目線、逆に心配する目線。演者2人とも純朴そうな顔立ちのためか、余計な情報が無い分、愛らしくと思う。賀屋さんがロン毛な分イケてる風な立ち回りが多いというくだらなさ、短髪の加賀さんがニヤニヤして喜ぶ時のイケてない中学生を思わすことも好感が持てる。低めな日常のテンションで良い意味で与太話を演じる様は、どこか落語における熊さん八つぁんを思い出す。『しぶやらくご』では漫才でPOISON GIRL BANDや風藤松原が出ていたが、コント枠を持ってくるならかが屋が出ている公演も見てみたいと思った。
マレビト・コントは演技に情緒や抑揚を排除した超低温コント群。何でもない顔で笑わせようとしているのか、そうじゃないのかといった台詞がずっと続く。どのコントにもツッコミの存在はあって笑わせる意思はあるはずなのに、そのツッコミに情緒や抑揚はないので、結果的にツッコミというよりは注意とか訂正とかの類の台詞が投げ込まれる状況になる。それを観客側がツッコミと理解して可笑しみを共有する30分は静かに刺激的であった。(菅野明男)

渋谷のカラーズ
フルハウスの場内、状況は既にセットされていた。
かが屋『駆け込み乗車失敗』まず1本目に、このコントを持ってきた感覚。素晴らしいなと思いました。途中までのサイレント、ワクワクしました。しかしペットボトルパコペコの件でリアクションを取らざるを得なくなってしまった。とは言えあの場面を突破出来たならばトンデモナイことになるだろうなと感じることが出来ました。『このあと空いてる?』教室内で起きる『バッファロー‘66』のヴィンセント・ギャロの様な希望と現実と妄想の入り混じった、まあまあなデジャヴ。そして無限ループの気配を感じさせることにも成功していた。『イヤホン』やっぱりイヤかな。友達の耳を一旦通過したイヤホンをプレゼントされるのって。ブルートゥース使えてもイヤかな。でもそんな時は、お礼にその子に貸りたマンガの最後のページにそっと手紙を挟んどこう。BLチックに挟んどこう。『収録風景』声優の講師、難しい役ですね。このコントはリサーチしたのか想像で書いたのかワードが、こちらに届きづらい感がありましたね。
マレビトの会よりマレビト・コント 静かに、しかし正確に脈打つアンビエント・コント。『空中犬』で表現されていた〝けがれ〟の概念は宮崎駿作品を想起させ、と同時に〝イノセント〟な清濁併せ持った存在を感じさせてくれました。そして更に印象に残ったのは、今回の3作品の繋ぎ方。時間の終わりと時間の始まりの朧げさが心地良いのです。
京都からの刺客 THE ROB CARLTON 『Low-keyed play』ホテルの一室のそう大きくはないテーブルで顔を突き合わす3人の男。頭の回転はちとスローだが怪力のビクター。ジョン・ウー演出よろしく懐にニチョケンを忍ばせるホセ。そして白蓮教の高僧にして地上最強の武道家。傲岸不遜な性格で食事の行儀作法にうるさく、女とアメリカ人が大嫌いでおなじみ、映画『キル・ビル』のパイ・メイ(白眉)を思わせるリー。既にカット割りされた様に配置されたソファー、スローモーションを駆使したシーン、かが屋のネタを取り込む即興性。全く映画的である。他の公演の様子を見てもディテールを積み上げている。今回はテアトロコント仕様の30分ということでまとめるのは大変だったと思うが、この3人を神の視点で見下ろす人物は誰なのか?その目的は?その辺りを含めて期待の膨らむ内容だった。
トリはAマッソ。正直勘違いしていた。イメージでは加納さんがキツめな関西弁でガンガンいくという感じだったが実際は村上さんをどうコントロールするかがキーになるのではないかと感じた。失礼なことにライヴ初見で反省しております。『里親』の若干ヘビーなお題からVTRネタ、そして真骨頂の『アレゴリー』へ。全体の構成に見るバランス感覚というか肌感覚。当て勘の良い総合格闘家の最短距離のストレートの印象を持った。備わっていなければ実現出来ない動き。あくまでも今まで自分が観たテアトロコントのキャストの中ではあるが群を抜いていたのではないだろうか。
今回の出演者4組は、ともにそれぞれの全く違う色を放ち、くっきりとした姿を見せてくれた。素晴らしかった。(イトモロ)

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