渋谷コントセンター

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2023年1月27日(金)~1月28日(土)

テアトロコント vol.60 渋谷コントセンター月例公演(2023.1)

主催公演

公演詳細

春に迫る、瞬きの変たち
土曜のお昼のテアトロコント。土曜のお昼にぴったりな、さんだるからスタート。
さんだるのコントには、常温の牛乳みたいな、マッシュポテト食べてる時みたいな、和やかでやわらかい安心感がある。例えばクマと戯れるコントに『自然』というタイトルがついていて、何だか日本昔ばなしみたい・・・と思って見ていたら、その終わりに「にんげんっていいな」が流れてきたり。次のコント『鰻』は、重箱をたまて箱だと疑う人の、もっと日本昔ばなしみたいなお話だったり。そのまどろみはさんだるだけが作れて、さんだるにだけ許される。笑ってる自分もそのまま、やわらかい世界を持って帰れるような気がしてくる。その所以の多くは2人の人柄にあるんだろうけど、2人の顔が持つあの、許してくれる感じ、も大きな理由のひとつだと思います。物語って心の中にしまっておくといつかすっと助けてくれるから、さんだるのコントも、たくさんしまっておきたい。30分間、ずっと春の感じがしました。
打って変わってコメディアス。短い休憩の間に立て込まれた派手な装置が、初見だったコメディアスへの期待値を高めます。そうして登場したのは、紅いツノを生やした白塗りの3人。装置への期待値もツノと白塗りへの「!?」も、しっかり攫ってくれる作品でした。もしコメディアスがEテレに出たら、マセた小学生たちが爆ハマりして絶対大騒ぎになる。私だって学生時代にこの『ヘーメンキカの魔獣』に出会えていたら、数学を諦めずに済んだかも知れない。だから今からすぐにでも、世の中の中学2年生に見せてあげたい。そういう、観る人を思うままに惹きつける上質な「アホらし」でした。ちなみに最後の最後、30分間ずっと装置の中に埋まってた方が出ていらして、4人でのステージだと知りました。最後まで「!?」でした。
トリはガクヅケ。「異常も、日々続くと、正常になる。」という、かつて映画『戦場のメリークリスマス』に宛てられた名コピーがあります。このコピーは時を経て、まったく違う形で、ガクヅケの存在をもそのまま言い得ることになりました。ガクヅケのコントって本当に変。脳が麻痺するくらい同じことが繰り返されて、見てるうちに私たちも変の世界に染まってしまう。ニッポンの社長、軟水など、変を追求するコント師一門の中でも、ガクヅケは一番、何というか瞳の奥底まで真っ黒い変さをしているように思います。そんなガクヅケの真骨頂、楽曲コント。今回はthe pillows「ROBOTMAN」を使った『さよなら』でした。曲とコントの世界観のギャップとか、逆に曲そのものに新しい光景を添えてくれるとか、楽曲コントの楽しみ方はきっとたくさんある。だけど今回気付いたのは、そもそも「同じ何かを繰り返す」ということ自体が、ガクヅケのコントと楽曲との共通点だということ。多くの曲にAメロBメロサビがあるように、ガクヅケのコントにもAメロBメロサビがあって、Cメロが来てラスサビが来る。だからガクヅケの楽曲コントは、神秘とも言えるくらいにキマっているのかも知れません。真っ黒い眼をしたガクヅケの変の真相に、少しだけ迫れた気がしました。(ごとうはな)


すぐそこにある、笑いの宝石。
どうすれば、ブレイクできるのか?長年、芸人をやっていれば誰しも考えることではないでしょうか。ネタが面白いことは最低条件。それプラス、キャラクターとオリジナリティが必要になるでしょう。
スーパーニュウニュウは様々な小道具や被り物などを取り入れた奇想天外なコントを得意とする10年選手のコント師で上記の3要素を兼ね備えています。
定食屋で食事をしている大将さんの目の前に相席で座ったのは、顔面が凸凹した手作り感満載のムーミン。小道具作りを担当する大将さんのお手製です。物欲しそうな顔で食事の様子を眺めていたムーミンは、流れている曲のサビが来たところで、何の前触れもなく、大将さんのコップの水を指でかき回し始めます。「何やってんだよ!」と極めてノーマルに大声で突っ込む大将さん。ムーミンは一転、素知らぬ素振り。被り物なので勿論、表情そのものに変化はないものの、何故かそう見えてしまう不思議な魔力がそこにあります。社会に対する批評性やメッセージ性はまるで無く、ナンセンスの極み。でも、だからこそ、無意識に声を出して笑ってしまいます。
得意の被り物は自動車教習所にやって来た、二頭身の少年アシベにも活かされます。出っ歯を出したり引っ込めたりしていると思ったら、それがゴマちゃんだったなんて展開はシュールすぎて賛否が分かれるネタとも言えますが、大将さんの大声突っ込みが力づくで観客をねじ伏せました。
被り物には被り物だからこそ生み出せる笑いが当然あります。でも、逆に失うものも多いと気づかされます。それは、他の芸人には見られない、ふるやいなやさんの強烈なキャラクター。
医師に扮したふるやさんが患者役の大将さんに向かって真面目な顔で「落ち着いて聞いてください。好きです、付き合ってください」と言った瞬間、広瀬香美さんの「愛があれば大丈夫」が流れるコント「医師からの通告」。検査結果を教えてほしいと懇願する患者に「結果は癌だったんですけど」とさらりと言ってのけたかと思ったら、患者に結婚を断られた時には「なんでダメなんだよ!死ぬ前に医者と結婚できたら嬉しいだろうが!」と逆ギレ。この感情の温度差をハイトーンボイスで見事に表現できるふるやさんは演技者としても注目に値します。どうでしょう?観客の皆さんに問いたいです。彼女が生み出す笑いの方が被り物が生み出す笑いより質量共に勝っているのではないでしょうか?ふるやいなやという唯一無二の逸材を完全に活かしきれた時、コンビは眩しいほどの輝きを見せることでしょう。(市川幸宏)


竹内ズの暴力性
今回のテアトロコントに出演した3組で最も印象に残ったのは竹内ズだった。高校生の男女が登場するコント5つを繋げ合わせ、一つの群像劇のように仕上げた。しかし、竹内ズが披露した5つのコントは実際はそれぞれ独立した一つの作品であり、連作小説のように一つのライブで披露するためにつくられたものではない。台本の作成をしているがまの助けも「今回は5つのコントを無理やり1つに繋げました」と述べている。それでも先に述べたように偶像劇のように、「1つに繋」っているように観られた。それは、全く違うコントであっても、竹内ズのコントの根底には共通のテーマが潜在しているからであろう。
 竹内ズのコントに登場する人間はいつも暴れている。全校生徒に非行の様子を聞かれてしまい開き直る『放送部』、本番で全てを台無しにしてしまう奇行に走る女性との『合唱コンクール』、突如として愛を叫び自転車を走らせる『下校』、可愛らしいキャラクターが園内を破壊して回る『サンリーピューロランド』、台詞がないため詳細が分からないがとにかく何か爆発音の聞こえる『三原色』…。登場人物が何かを叫び、破壊し、暴れ回る様子に観客は笑ってしまうのだ。このような暴力性が竹内ズのコントの特徴であることは、彼らのコントを観た者なら容易に考えられるであろう。それではこの暴力性がなぜ笑いにつながり、彼らのコントの中でどのように作用しているのだろう。
 話は変わるが、何かしらの作品を紹介するときによく「頭を空っぽにして観て欲しい」という文句が使われる。たしかに重大なメッセージ性は感じられない映画や漫画はいくつか挙げられる。お笑い芸人のコントや漫才は大抵の場合は教訓めいたメッセージなどないだろう。しかし、本当の意味で何も考えず「頭を空っぽ」にすることなど不可能だろう。今回のテアトロコントで披露されたコントであってもそうだ。『放送部』では学校の放送室の様子はどうだっただろうと舞台上の余白を埋めるように想像したり、『合唱コンクール』では「女子生徒は男子に怒ったりするよな」というあるあると照らし合わせて「それじゃあこのコントは次にどうなるんだろう」と考えるし、無意識的にも観客は次の展開であったり、背景であったり、一般常識であったりを想起するのである。本当に「頭を空っぽ」にした時は何も感じなくなったときだろう。人間は考えるということから逃れられないのだ。そして竹内ズの暴力性は、この「考える」ということへの抵抗を表しているのだと筆者は考える。
 この世の「意味」や「価値」を剥ぎ取り、全てを台無しにしてしまおうとする衝動。竹内ズのコントの登場人物を動かすのはこの衝動であり、その行為の空虚さはあまりの馬鹿馬鹿しさに接続する。これこそが竹内ズのコントに内在する論理なのであり、それぞれのコントを結びつけているのだろう。
(永田)


記憶の時間軸。
《1》【スーパーニュウニュウ】<コント師枠>男女2人組/演目:『医師からの通告』他、計3作品/★★★★☆/
男性患者「先生…今日呼び出したって事は検査の結果が良くなかったってことですか。僕大丈夫です。教えてください…」女医「落ち着いて聞いてください…好きです。付き合ってください」。高らかに広瀬香美"愛があれば大丈夫"が鳴り響く。オマケのようにガン告知をされ苦情を訴える患者に「落ち着いて!落ち着いて聞いて下さい!・・・好きです。付き合ってください」と再び告白。再び広瀬香美。余命一週間という現実に錯乱する患者に、「…一つだけ助かる方法があります…好き(以下略)」。…と告白→広瀬香美の流れを繰り返す『医師からの通告』、他、計3作品。手間暇かけて作りながらも、見てるほうにはあくまでさらっと楽しめるように配慮され、シンプルでわかりやすいコントが食べやすくありがたい。本来、着替えの退屈しのぎ感のある幕間映像も、手作りの衣装や着ぐるみへのこだわりにフォーカスしたドキュメンタリーとなっていて、自然と暗転後の衣装・着ぐるみにも興味を持ち、飽きさせない構成になっていた。
《2》【コメディアス】出演者:4名/演目:『ヘーメンキカの魔獣』他、計1作品/★☆☆☆☆/
天使との戦いに破れ地上に追いやられた魔族3人が、伝説の魔獣召喚をするための魔法陣を描く『ヘーメンキカの魔獣』1作品。舞台背面に用意された大きな黒板に、定規とコンパスを使い、大きな魔法陣をうまく描くため、魔法学校で習った算数を使いリアルタイムに三人が奮闘する作図コメディ、という正気とは思えないコンセプト。30分が惜しくないのかなと思ったし、実際、魔法陣を描くのは大変で時間超過すらしていたように思うが、観客には受け入れられていたので、貧乏器質で小さな事を気にするような自分では把握できない面白さが秘められているのだろう。
《3》【竹内ズ】<コント師枠>男性2人組/演目:『放送部』他、計5作品/★★★★☆/
女子「私今日、暇だと思ったから家から任天堂Switch持ってきたの」男子「学校にSw?」女子「二人で遊ぼうよ。お酒も飲みましょ。私ハイボールのロング缶飲んでみたかったの」。ハメを外そうとした放送部男女の会話が、マイクがONのまま全校放送されてしまい、取り繕うほど悪状況に、最後は開き直る『放送部』、他、計5作品。前回「テアトロコントVo.55」出演時に披露された、高校生男女の自転車二人乗り青春を描いた『下校』の登場人物を、高校生活3年間5作品分に膨らませた形でのリメイクコント。登場人物が固定された分、前回出演時ほどの自由さは失われるが、その分、出会いから卒業までの一貫した青春の笑いが積層して味わえた。相変わらず安定感のある”でたらめさ”が舞台にきらめいていた。
【総評】当日は、スーパーニュウニュウのシンプルでわかりやすいコントを一番に楽しみ、一晩経った後は、竹内ズの優れたでたらめさと青春の匂いを思い出し、一週間後には、コメディアスの常軌を逸したコンセプトが記憶に残っていた。演劇記憶の時間軸は、コントとは色んな意味で違うのかもしれない。今回も沢山の学びを頂いた運営・出演者の皆様に心から感謝致します。(モリタユウイチ)


お笑いに丁寧すぎると冷めてしまう
この度、60回目の公演となる『テアトロコント』。その3分の2以上は見に行っている私ですが、会場の雰囲気について思うところがあります。開催初期に比べると人の入りもどんどん良くなって、最近だとお笑い側からも演劇側からも「テアトロコントに出たかった」という旨の文言をTwitterや会場パンフの『テアトロコントによせて』でも見かけることが増えました。演者側から一目置かれる興行ということは当然、お客さんも『テアトロコント』というライブを期待して見に行く流れになっていきますが、このライブが特殊なのはお客さんが「お笑いファン」と「演劇ファン」にちゃんと分かれている点だと思います。で、「お笑いファン」は「お目当ての芸人を見に行く」人たち、「演劇ファン」は出演する劇団を知らなくても「『テアトロコント』に出る人たちだから大丈夫だろう」という目線を持った人たち。つまり「お笑いファン=人推し」、「演劇ファン=興行推し」みたいな構図があるかなと思います。

そういう客層であることを意識したときに、これまで何度も遭遇した場面があります。お笑い芸人側のネタのときに微妙に会場との温度感が合っておらず、そのお笑いファンの人たちの少し甲高い笑い声が大きく響く、という場面です。そのときにこのライブのシビアさを感じます。なぜそんなシビアさが発生してしまうのかを考えたときに、この『テアトロコント』というライブではお笑い芸人側の”丁寧さ”がいつも悪い方向に転がっているように思えます。「フリ→ボケ→ツッコミ」という一連の流れがあるとき、「フリ」のときの動作や台詞があまりに説明的で「このあとボケるんだな」という想定が容易についてしまいます。あまりに「ボケ」に持っていくための台詞すぎて不自然に思えるということも少なくありません。その流れで来る「ボケ」は一際声やアクションが大きくて、それに対する「ツッコミ」もリアクションと表情で見せすぎてしまう。「フリ→ボケ→ツッコミ」の一連の流れが赤マーカーで引かれすぎていると言いますか、注目してもらいたさすぎて、何度もお笑いライブを見ている人や『テアトロコント』に来る演劇ファンからすると、説明的すぎて冷めてしまうんだろうなと思います。

その昔『東京ポッド許可局』の中で、米粒写経のサンキュータツオさんがお笑いにおける「ロマン主義」と「自然主義」の話をされていました。「ロマン主義」はいわゆるボケとツッコミの役割がはっきりしていて、なにか不可解なことをする人に対して「なんでだよ!」と言える人のことを指し、「自然主義」はボケに対して戸惑いや「どうしたんですか?」等のお笑いではなく日常的な反応を見せることでリアリティを出す様のことを言います。私はこの「自然主義」のあり方やパターンを知るために『テアトロコント』を見に行っているんだなと思いました。「お笑い」という要素を強く出さず、むしろ消していくスタンスでの見せ方に探求心があるコメディアンたちに『テアトロコント』という舞台に出てほしいなと思っています。(風間聡)

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