渋谷コントセンター

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2024年9月27日(金)~9月28日(土)

テアトロコント vol.70 渋谷コントセンター月例公演(2024.9)

主催公演

公演詳細

生きることは、会話をすること
コントは好きだけど、演劇は普段そんなに観ない人。演劇によく通っていて、最近コントも観るようになった人。どちらもずっと、欠かせない人。コントと演劇が交差するテアトロコントにはさまざまな人が集っているけれど、そんな私たちの大きな共通点はきっとひとつ。「物語が好き」なことだと言えるでしょう。そして、概ねすべての物語は無数の会話から成っている。こんなことはもう、改めて言葉にする必要もないくらいあたりまえの事実なはず。それなのに、木村聡志さん擁するユニット・ハトのフンは、この“あたりまえの事実”のベクトルをさらっと逆転させてしまうような30分を演じ切っていました。
【会話】のための舞台。【会話】のための物語。言葉にするならこういうことでしょうか。作品における主従の主が完全に会話にあって、だってとにかく、会話を書くのが上手すぎる。会話そのものももちろん面白いのだけれど、何というか、表現されている空気や関係性と、会話との距離感が、抜群にちょうどよいのです。そういえば私たちって、伝えたいことを直接会話にできるほど器用な生きものじゃなかったな。言いたいことの、その外側ばかりを縫って生きているんだったな。そんなことを思い出させてくれる、つぶらで、だけどすこし・ふしぎ(SF)な時間でした。
上手すぎる会話にはやっぱり、上手すぎる表現が必要。役者のみなさんは一人のこらず的確でした。モテそうでモテない先輩の雰囲気を完璧に背負った長友郁真さん。逆に、一体どうして気にせざるを得ない挙動がピカイチな、山脇辰哉さん。中尾有伽さん、中村里帆さんがちらっと見せてくれる、平熱だけど意地らしいそれぞれへの好意はとても愛おしかったです。
以前、同じくテアトロコントで演じられた画餅『天才少年』に、こんなコメントを書かせていただいたことがあります。「生きるのに一番大事なのは、名前もつかないような日常の風景なのだと気付かされた」。意味合いは違うけれど、持ち帰った心の温度感は何だかあの日と似ていたな。私たちの生活の真ん中にはいつだって会話があって、私たちは、会話で生きている。そっか、生きることって会話することなのかも。ハトのフンを観た日からずっと、そんなことを思いながら暮らしています。
しっかりと木村作品の虜になり、テアトロコントの後すぐに、映画『違う惑星の変な恋人』を拝見しました。やっぱり上手すぎる会話と、それに加えて“観たことのありそうでない時間軸の使い方”も木村さんの真骨頂なのだと知りました。映画も演劇も、今後の作品がこの上なく楽しみで仕方ありません!(ごとうはな)


システムが強すぎたハトのフン
ハトのフン…後ろのスクリーンに「2024年」の文字が浮かび、ファミレスの設定でしゃべる男女二人。二人がはけて、別の男女二人が舞台に入ってくるときに背景の文字が「2014年」に変わり、設定がレンタルビデオ店になる。このように時系列と舞台設定、人物の入れ替えがスムーズに行われ展開が進んでいく。個人的にはこのシステムを見せられた時点で「参りました」という気持ちになった。時系列が変わる、舞台設定が変わる、人物が入れ替わる、ということを一瞬で、こんなシンプルな形で見せられるとは。ファミレスの背景に「2024年」と書いてあると、箱に座っている男女がファミレスの椅子に座っているように見えるのだが、それがレンタルビデオ店の背景に「2014年」と変わると、その箱が一瞬にして棚の高いところにあるDVDやビデオを取るための台に見える。このシステムを生み出した時点で勝利。もはや内容はなんでもいい。劇の冒頭、女性が男性に検便にまつわる話をする。女性は「”便”っていう言葉がいっぱい出てくるから、それを”向井秀徳”に言い換えよう」と言う。向井秀徳ファンの私は「そう来るか…」と少し訝しみながら展開を凝視したが、途中からその突拍子のなさが馬鹿馬鹿しくもあり、可愛らしくもあったので、嫌な気持ちにはならなかった。ただ、見終えて思うのは、べつに「検便の話」や「向井秀徳」でなくてもいい。前述のシステムに魅了された私は、なんとなくサブカルおじさんがキュンキュンしそうな固有名詞や事象が入っていれば、なんでも大丈夫になっていた。TSUTAYAで高校生男子が意中の女性に勧める映画としての『あの頃ペニー・レインと』、好きな人が野球部なので部のマネージャーになるためにプロ野球選手名鑑の生年月日を必死に覚える女子高生など、30代半ばになりおじさんになり始めてきた自分のような人間がキュンキュンする固有名詞や事象。それが「あの頃は楽しかった」と見ている側を懐古させてしまう、ある意味でクサいくらいの演出。だからこそ、そのようなクサさがあれば話されることはなんでもいい。見せるべきは時系列と舞台設定と人物のスムーズな入れ替えだから。システムの発明にときめき、話されてることのクサさと『あの頃、僕らは純文学だった』という大風呂敷なタイトル。まんまと食い入るように見てしまい、なんとも言えない読後感を味わった。これはお笑いの要素だけでは得られない。
さすらいラビー…なんと言っても中田和伸の身体性である。『知恵原さん』のどこかで見たことがあるような気がするCMキャラクター的な動き、『かわいそうな人』のすべてがうまくいかない人の様子、『和菓子屋』の意中の女性にときめく中学生男子。とにかくそのキャラクターにオーバーに擬態する。でもこの身体性は後発的なものだと思う。『100円』の言葉のやり取り(不倫相手が「私なんて、銭湯のコインロッカーの100円みたいなものだよ」と、すぐ戻ってくる存在の例えを出すが、「その例え方違くない?」と返すコント)が際立ってくる。ある種の喜劇役者的な見せ方重視でテアトロコントに出るなかで、1本だけ言葉のやり取りをフィーチャーしたコントを持ってきてるところが粋だと思った。(カンノアキオ)


100円はコインロッカーの夢を見るか。
《1》【ネギゴリラ】<コント師枠>男2人組/『キャッチ』他、計5作品/★★★☆☆
男「…お兄さんどぉすか?」「…どぉすかお兄さん?」「…仕事帰りですか?」歌舞伎町で、しつこく話しかけてくる男。何度断っても聞いてきて苛立つが、よくよく聞いてみると、「…どぉすか?」ではなく「…どこすか?」と迷子だったという演目『キャッチ』。他の演目も歯医者の診察待ちで沈黙が気まずくて喋り続けて余計気まずい女。デスゲームでワンオペさせられる運営側の男。ゾーンに入っても鈍すぎて拳をよけられない男。待ち合わせで、街のパフォーマーとポーズが揃ってコンビっぽくなる男二人。など、様々な状況の中で「クスっと笑えるカッコ悪さ」みたいなものを焦点にしたコントのように感じた。自分は初見だったが、三回目の出演とのこと。状況の面白さがもう一歩、二歩展開するのを見たくなる自分がいるが、これくらいライトな方が最近のお客さんには楽しみやすいのかもしれない。
《2》【ハトのフン】<演劇人枠>出演:男女2人/『あの頃、僕らは純文学だった』/★★★★☆
女「なんか、何年後かに、十代とか二十代とかを懐かしむ時がくるのって、こういうことなんじゃないかなって」。深夜、飲み会で終電を逃し、ファミレスで他愛もないもない会話をしている友人以上、恋人未満の大学生男女二人。そして数年前、高校時代に、その男性に近づくため野球知識を暗記する回想シーンが描かれるが、現在に戻ると、男性のためだったはずの野球好きが、現在の男性を軽く越えていて、野球の細部なことで口論になり、付き合った直後に喧嘩別れとなる演目『あの頃、僕らは純文学だった』。ウィットにとんだ会話と、しっとりとした質感が、確かに短編映画がスクリーンから飛び出して目の前で喋っているような、なんとも不思議な感覚にさせられる会話劇。女性主導の会話感覚が見ていて気持ちよく、これが初舞台作品とはとても思えない完成度だった。
《3》【さすらいラビー】<コント師枠>男2人組/『100円』他、計4作品/★★★★☆
女『私、銭湯のコインロッカーに入れた100円じゃないんだよ。』男『…ちょっと例え違うんじゃない?』女『じゃあ銭湯のコインロッカーに入れた100円はどんな例えに使えばいいの?』都合のいい関係を終わらせようとした別れを迎えた男女が、銭湯ロッカーのコインの例えにつまづき、そもそもあのコインロッカーの100円は何のためにあるのか?鍵を持って帰らせない抑止力か?コーヒー牛乳を買わせるための購買意欲訴求か?などと妙な考察を始めてしまう演目『100円』。他演目も、喜怒哀楽の変化・状況が多用で、気が付くと引き込まれながら笑ってしまう。本番前に小道具をドンキに買いに行くというアクシデントもあったようで、細部の作りこみが自然と笑いに繋がることを熟知しているのが伝わるコント群が、抜群の安定感だった。
【総評】さすらいラビーの安定感と、ハトのフンの積み重なる会話劇の面白さが印象的な回だった。今回も貴重な学びを頂いた企画運営・スタッフ・出演者の皆様に心から感謝致します。(モリタユウイチ)

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