渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2022年 1月14日(金)~19日(水)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

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1月16日(日)17:00~19:00 柳亭市童 三遊亭遊雀 立川寸志 入船亭扇辰

「渋谷らくご」 想像の快楽を味わう

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プレビュー

 落語を何度聴いても楽しめるのは、想像すること、それ自体が楽しいからです。そして優れた演者による落語は、想像の邪魔になるようなノイズが一切なく、まるで映画館で映画を観るように、雑念から解放されてとても集中できます。それが心地よいのです。公演後は、静かに心地よい疲れもあります。それは、脳の筋肉を使った証拠です。
 この公演のすべての演者さんが、その日あなたのためだけに落語を語ります。気取らない市童さん、軽妙でありながら気を抜かない遊雀師匠、硬そうで柔らかい寸志さん、そしてまるで4Kの映像を観るかのような、余白にも意味がある扇辰師匠。想像の快楽に身を委ねる快楽を体験してくださいね。

▽柳亭市童 りゅうてい いちどう 落語協会
18歳で入門、芸歴12年目、2015年5月二つ目昇進。インスタグラムにラーメンの写真を積極的にアップする。手が素敵だと褒められたことがある。昨年末、ものすごく美味しいクッキーを見つけた、ドイツ語表記のようで読めない。

▽三遊亭遊雀 さんゆうてい ゆうじゃく 落語芸術協会
23歳で入門、芸歴34年目、2001年9月真打昇進。酒豪。飛行機と鉄道が大好き。YouTubeで「スマホたて落語」を配信している、先日衣替えの様子を公開。お肌の保湿を第一に考えキュレルを使用する。夜どんなにお酒を飲んでも次の日の朝にはしゃっきりする。

▽立川寸志 たてかわ すんし 落語立川流
44歳で入門、芸歴11年目、2015年二つ目昇進。編集マンをやめて、落語家になった。チラシの構成から、文章まで編集マンの能力を遺憾なく発揮する。学生時代は本屋さんでバイトをしていた。本を触ると手が乾いてくるので、本を整理するときは軍手をつかう。

▽入船亭扇辰 いりふねてい せんたつ 落語協会
25歳で入船亭扇橋師匠に入門、現在入門32年目、2002年3月真打昇進。iPadを使いこなし、気になったものはすべて写真におさめている。いい気分の時はギターを弾いたり、ピアノを弾きながら歌う。最近は、コーヒー焼酎にはまっている。

レビュー

文:高祐(こう・たすく) Twitter:@TskKoh

柳亭市童(りゅうてい いちどう)-天災
三遊亭遊雀(さんゆうてい ゆうじゃく)-崇徳院
立川寸志(たてかわ すんし)-岸柳島
入船亭扇辰(いりふねてい せんたつ)-雪とん

オミクロンやら仕事の都合やらで2022年の1回目もオンライン視聴となった渋谷らくご。あーあ行きたかったな、と思いつつ、ぬくぬくと部屋で観る楽しさも捨てがたい1月の公演である。

柳亭市童さん「天災」

  • 柳亭市童さん

「天災」の八五郎は人を写す。市童さんのこの日の一席でその印象を確信した。
「天災」の主人公、八五郎はキャラクターの基本としては乱暴者で後先考えない、チャッキチャキの江戸っ子だ。でも市童さんの熊五郎は生真面目と呼びたいほどに単純だ。それが乱暴者という気質と相反していない。単純さが突き抜けていて憎めない。だから周りも喧嘩っ早い熊五郎を、ちょっと疎みながらも愛している。人を写す=演者の性格ということではなく、演者ごとの「八五郎」のキャラクターが異なりまくる、ということだ。市童さんによる単純さの突き抜けた八五郎が新鮮で、噺自体をとても新鮮に聞くことができた。

三遊亭遊雀師匠「崇徳院」

  • 三遊亭遊雀師匠

まくらで語られたのが、なぜ遊雀師匠が遊雀師匠になられたかというお話、つまりなぜ遊雀師匠が落語家の道を選んだかかという話。もともとパイロットになりたかったという師匠、それがある日ふらっと寄席に入って一番後ろで見ていた。自分は全く笑えない、でもそこにいる100~200人がどっと受けている、ワッと思った、おれ、やってみたいな、と思った、という。それで仕事を決めた師匠の決断力には及ばないけれど、その感覚は共有できる。なんかわからん、でもそれをめちゃくちゃ楽しんでいる人がいる、その人たちがゆえに生まれる強い好奇心。その日、遊雀師匠を引き付けてくれた寄席の引力に感謝である。このまくら自体が落語の一編のようだ。
そしてこの日の本編は「崇徳院」。遊雀師匠の手に掛かると、この噺もキャラクターの強弱だけで十分おかしい。恋わずらいでひ弱すぎる若旦那、周囲に振り回されっぱなしの熊五郎、キャラの変わり方がすごい熊五郎のおかみさん、などなど。そして場面描写となると、決して言葉数の多くないシンプルな描写にして、若旦那が見染めたお嬢さんとのしとやかさやら、お嬢さんの手がかりを探し回る熊五郎の疲労っぷりまでが手にとるようにわかる。
遊雀師匠が初めて入った寄席でも「崇徳院」を聞いたのだろうか、そんな想像が働いた。

立川寸志さん「岸柳島」

  • 立川寸志さん

寸志さんの一席を聞くと、物知りになったような気がするのはなぜだろう。勝手な想像だが元編集者の寸志さんは落語に出てくる古いモノをよく知っているのじゃないだろうか。今ではあまり一般的ではないモノが、どのくらいの大きさで、人々がどんなふうに使っていたのか、よく調べていらっしゃるように感じられる。例えば、この「岸柳島」の舞台である舟の大きさ。船頭一人が岸と岸をつなぐために操っているのだからそれほど大きくはないはず。ただ結構な人数が乗っていることは想像に難くない。船頭の漕ぎっぷりと、雁首を拾うから舟を戻せと言われたときの素っ気無い対応、その雰囲気から、混んでいる舟の重さまで感じられる。情報が盛り沢山でもきっちり楽しめる、それが寸志さんの落語であり、勝手に物知りになった満足感まで得られてしまう、一粒で二度美味しい、みたいな一席だった。

入船亭扇辰師匠「雪とん」

  • 入船亭扇辰師匠

この日コロナの濃厚接触者(?)で自宅待機していたサンキュータツオさんに、電話をかけるという荒技から始められた扇辰師匠。マイク越しに聞こえるタツオさんの声が動揺していておかしい。え、本気でかけるんですか、という観客のハラハラと、タツオさんの動揺がリンクしておかしさ倍増だった。そして使い終わったスマホはきっちり前座さんを呼び出して渡す、懐にしまわない、なんかその所作まですべて含めてじわりとおかしい。
この日の本編は「雪とん」、タイトルが謎だが、雪の一夜に裏扉を「とんとん」叩くくだりからきているのだろう。お金持ちだが(どうやら)器量が極端に悪く、かつ田舎なまりのきついお大尽、町内の指折りの美人のお嬢さんを見染めた時点でもはや不運の匂いしかしない。しかし扇辰師匠の田舎大尽にはどうにも肩入れしたくなる。お嬢さんに一目会いたい、会うことができたら、田舎に帰る、そう切々と訴えられては、おかみさんでなくても一肌脱ごうという気になってしまう。
雪の降りしきる寒い夜にお嬢さんのお屋敷にたどり着けなかったお大尽に、いつかちゃんと幸せがきますように、と願わずにはいられない。