渋谷らくごプレビュー&レビュー
2023年 9月8日(金)~12日(火)
開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。
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プレビュー
*配信チケットあり
怖い話、怖いお父さん、高い所が怖い、来月の電気代が怖いなど、怖いにはいろいろな種類があります。まったく違うタイプなのに、どんな落語を演ってもどこかに「怖さ」を帯びてしまう…そんな共通の魅力を持ったお二人、笑二さん・龍玉師匠の1時間公演です。
滑稽噺かもしれないし、怪談噺かもしれない。なにが出るかは当日のお楽しみ!
配信もありますが、ぜひ逃げられない会場で味わっていただきたい! 怖さの余韻に浸りながら帰れること間違いなしです。
▽立川笑二 たてかわ しょうじ 落語立川流
20歳で入門、芸歴12年目、2014年6月に二つ目昇進。2019年と2020年の「渋谷らくご大賞 おもしろい二つ目賞」受賞。沖縄県出身。落語の稽古は近所の公園でおこなう。この5年間、道尾秀介さんが書いたミステリー小説「鬼の跫音」を普及する活動をしている。
▽蜃気楼龍玉 しんきろう りゅうぎょく 落語協会
24歳で入門、芸歴27年目、2010年9月真打昇進。身長が181cmと背が高い。ツイッターではプライベートの様子をツイートすることがなく、いまどのように過ごしているか知ることができない。ものを食べずにひたすら呑むとの噂
レビュー
文:高祐(こう・たすく)
Twitter:@TskKoh
立川笑二-粗忽の釘
蜃気楼龍玉-火事息子
笑二さんと龍玉師匠の二人会。渋谷らくごのこの回のバナー写真は、二人の横顔を写している。顔の造りは(特に前から見ると)かなり違うのだが、二人とも少し下から見上げるようにして前を見ている。
凄み、この二人に共通するものはそれだな、と思った。
「粗忽の釘」は粗忽者(そそっかしい人物)の旦那さんとその奥さん(こちらはしっかり者)のお引っ越しの話。それにしても笑二さんの旦那さんのそそっかしさ、というか斜め上の度合いは、ちょっと群を抜いている。引っ越しの道中もそうだが、極め付けは釘を打った場所を示すときの旦那さん。長屋の隣家にも突き出てしまう長い釘を打ち込み、隣家からどこら辺に釘をうったのかと自分の家から教えてくれと言われて大声でここですと指をさし(隣家からは見えない)、手を叩いてここです、と言い(どこかわからない)、そのあたりの壁を叩けと隣家に言われてようやく釘付近の壁を叩く。そして大して悪びれもしないこの笑二さんの旦那は粗忽というよりあくが強い、という方がしっくりくる。何事も一筋縄では行かない旦那なのだ。
そんな一筋縄でいかない古典が、笑二さんの落語なのだ。
東京が江戸と呼ばれた時分、とある大きな質屋の息子が家出した。両親は息子を勘当、息子は行方知れずになっていた。しかし息子は臥煙、つまり火消しとして、火事から質屋を守ってくれるのだが、という話だ。
臥煙というのは江戸でも正規の火消しというより、やくざ者のような扱いだったらしい。何一つ不自由しない家に生まれた一人息子というのになんの因果か家出をし、勘当したきりになっていた息子が臥煙になっていた、しかもその臥煙が火事から当家を守ってくれたと知った時の父親の狼狽。父親の口から、あんな高いところを飛び回って危険じゃないかと心配な心持ちが口をついて出る。不安な表情はしかし、そのまま「勘当したんだから、赤の他人なんだから」と苦り切った表情に変わる。その不安と諦め、でも生きていてくれたという安堵さえ入り混じる父親の情を龍玉師匠は描いていく。
クライマックスは暗い台所だ。ただでさえ萎縮している上に身体中の彫り物を隠そうとさらに体を小さくする息子に対し、父親は「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始まり」と教えたはずだが、となじっている。この場面、本来であれば息子に親不孝を責める場面なのだろうが、むしろ父親が息子に甘えているように聞こえた。そのくらいの愛情は注いできたのに、わかっているだろう?という父親の甘えと寂しさがぐつぐつ煮詰まって聞こえた。
あと一押し、というところで番頭さんが母親を奥から連れてくる。母親は息子にめっぽう甘くて「私に似た白い肌だから彫り物がよく映える」、ものはいいようだ。この息子に甘い母親が出てきて、まぁこの家族は落ち着くところに落ち着く、きっと良い方向に、と思わせてくれる。こんな仄暗く、少し可笑しみのある人情噺のチョイスが龍玉師匠らしい。
立川笑二-粗忽の釘
蜃気楼龍玉-火事息子
笑二さんと龍玉師匠の二人会。渋谷らくごのこの回のバナー写真は、二人の横顔を写している。顔の造りは(特に前から見ると)かなり違うのだが、二人とも少し下から見上げるようにして前を見ている。
凄み、この二人に共通するものはそれだな、と思った。
立川笑二さん「粗忽の釘」
「粗忽の釘」は粗忽者(そそっかしい人物)の旦那さんとその奥さん(こちらはしっかり者)のお引っ越しの話。それにしても笑二さんの旦那さんのそそっかしさ、というか斜め上の度合いは、ちょっと群を抜いている。引っ越しの道中もそうだが、極め付けは釘を打った場所を示すときの旦那さん。長屋の隣家にも突き出てしまう長い釘を打ち込み、隣家からどこら辺に釘をうったのかと自分の家から教えてくれと言われて大声でここですと指をさし(隣家からは見えない)、手を叩いてここです、と言い(どこかわからない)、そのあたりの壁を叩けと隣家に言われてようやく釘付近の壁を叩く。そして大して悪びれもしないこの笑二さんの旦那は粗忽というよりあくが強い、という方がしっくりくる。何事も一筋縄では行かない旦那なのだ。
そんな一筋縄でいかない古典が、笑二さんの落語なのだ。
蜃気楼龍玉師匠 「火事息子」
東京が江戸と呼ばれた時分、とある大きな質屋の息子が家出した。両親は息子を勘当、息子は行方知れずになっていた。しかし息子は臥煙、つまり火消しとして、火事から質屋を守ってくれるのだが、という話だ。
臥煙というのは江戸でも正規の火消しというより、やくざ者のような扱いだったらしい。何一つ不自由しない家に生まれた一人息子というのになんの因果か家出をし、勘当したきりになっていた息子が臥煙になっていた、しかもその臥煙が火事から当家を守ってくれたと知った時の父親の狼狽。父親の口から、あんな高いところを飛び回って危険じゃないかと心配な心持ちが口をついて出る。不安な表情はしかし、そのまま「勘当したんだから、赤の他人なんだから」と苦り切った表情に変わる。その不安と諦め、でも生きていてくれたという安堵さえ入り混じる父親の情を龍玉師匠は描いていく。
クライマックスは暗い台所だ。ただでさえ萎縮している上に身体中の彫り物を隠そうとさらに体を小さくする息子に対し、父親は「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始まり」と教えたはずだが、となじっている。この場面、本来であれば息子に親不孝を責める場面なのだろうが、むしろ父親が息子に甘えているように聞こえた。そのくらいの愛情は注いできたのに、わかっているだろう?という父親の甘えと寂しさがぐつぐつ煮詰まって聞こえた。
あと一押し、というところで番頭さんが母親を奥から連れてくる。母親は息子にめっぽう甘くて「私に似た白い肌だから彫り物がよく映える」、ものはいいようだ。この息子に甘い母親が出てきて、まぁこの家族は落ち着くところに落ち着く、きっと良い方向に、と思わせてくれる。こんな仄暗く、少し可笑しみのある人情噺のチョイスが龍玉師匠らしい。