渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2018年 10月12日(金)~16日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

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10月13日(土)14:00~16:00 柳亭市童 玉川太福* 雷門小助六 橘家文蔵

「渋谷らくご」古典落語の時間を楽しむ

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プレビュー

 日々、忙しくしていると気持ちまで忙しくなって、人の感情の機微だとか、無駄に見える時間に価値を見いだせなくなってしまいます。休みの日の昼下がり、どこかでだれかと会う前に、落語に流れる時間に触れて、そんな気持ちを一新してみてはいかがでしょう。
 浪曲の太福さんを含めて、トリの文蔵師匠まで、優しく愛らしい時間を感じる2時間です。

▽柳亭市童 りゅうてい いちどう
18歳で入門、芸歴9年目、2015年5月二つ目昇進。先日酔っ払って知らない人たちと阿波踊りを全力で踊った、楽しかったとのこと。貫禄があるので27歳だと思われない。「昭和元禄落語心中」での太鼓の音は市童さんが叩いている。

▽玉川太福 たまがわ だいふく
1979年8月2日、新潟県新潟市出身、2007年3月入門、2012年日本浪曲協会理事に就任。2017年文化庁芸術祭大衆芸能部門の新人賞を受賞。この秋ソニーミュージックから浪曲CDが2枚同時に発売される快挙をなしとげる。ラグビーが大好き。

▽雷門小助六 かみなりもん こすけろく
17歳で入門、芸歴19年目、2013年5月真打ち昇進。演芸資料コレクターの一面も持ち、後輩から甘えられる体質。インスタグラムが猫の可愛い写真で溢れている。必ずスーツで行動するので、焼肉屋さんでもスーツで召し上がる。

▽橘家文蔵 たちばなや ぶんぞう
24歳で入門、芸歴33年目、2001年真打昇進。ツイッターで、朝ご飯や酒の肴など、日々の料理をつぶやいている。最近つくった料理は「鰹と昆布出汁に玉子をあわせた茶碗蒸し」。筋子も自らほぐす。空いた時間にはiPadで麻雀をするほどiPadをつかいこなしている。家にラジオがたくさんある。ずっとつけっぱなし。

レビュー

文:漫才コンビ「キュウ」 ぴろTwitter:@piroguramu 芸人

柳亭市童(りゅうてい いちどう) 「真田小僧」
玉川太福(たまがわ だいふく)・玉川みね子(たまがわ みねこ) 「茶碗屋敷」
雷門小助六(かみなりもん こすけろく) 「辰巳の辻占」
橘家文蔵(たちばなや ぶんぞう) 「佃祭」

◇柳亭市童「真田小僧」

  • 柳亭市童さん

    柳亭市童さん

初めて聞くお話。
真田小僧。ずる賢い子供が悪知恵で親から小遣いをふんだくる話。子供の巧みな喋りに大人が意地を張りながら結局振り回されてしまう。その姿がなんとも滑稽で可笑しかった。そして最後にはなんか 関心させられてしまう。まさに落語のイメージそのままのよう な古くささとポップさのバランスがとれた非常に食べやすいお話。観ている最中、ずっと柳亭市童さんの顔が、なんというか、憎たらしい子供の役にぴったりな顔で、本当にずる賢いクソガキが喋ってる気がして、なんか、かっこよかったです。かっこよかった。柳亭市童さんがかっこいいというか、作り話を通り越して、話の中のクソガキがかっこいなと思わされた時間。それも全部柳亭市童さんの力なのですが。

◇玉川太福、玉川みね子「茶碗屋敷」

  • 玉川太福さん・玉川みね子師匠

    玉川太福さん・玉川みね子師匠

なんだ?知らないやつきたぞ! そう思ったのは出囃子が流れ、玉川太福さんか舞台に出てくる 前の数秒のことだった。舞台の上にいつもの落語家さんの座る台、そして、その横に椅子が一脚。椅子が一脚? あれ?コント?見届け人みたいな役の人がいるのかな? なんてことを脳内で数秒想像していると、出囃子とともに現れたのは落語家さんが1人と、三味線を抱え た女性。え、バンド?
いや、でも、なんか見たことあるようで無いような、あるような光景。そんなふわふわした期待が、数分後「なんじゃこりゃ」 に変わる。浪曲。落語を三味線の音にのせて、歌ったり、喋ったりして見せるもの。凄かった。お話を歌って始まり、セリフになったり、また歌ったり、ひたすら三味線の音と歌とセリフが入り混じる。なんというか、全然違うけれど、まるでディズニー映画を観ているような爽快感。加えて、生で観ているのに編集された映像のようなメリハリのあるテンポ。
1人ミュージカル。そしてちゃんと笑えるエンターテイメント。
話の内容は知っている落語の話だったのもすごく良かった気がする。しっかり浪曲バージョンになっていて、いいなぁ、と、心がふんわりした。

◇雷門小助六「辰巳の辻占」

  • 雷門小助六師匠

    雷門小助六師匠

落語家さんの羽織ってるものを脱ぐタイミングって、必ずしも枕が終わってお話に入る時ではないんだ。少なくともこの日の雷門小助六さんは違った。
あれ?話に入ってるのに脱がないぞ?
でも忘れるわけないよな。演出なのか?
しばらく観ていると、話の中で服装の話題になった時に自然に脱ぎ始めて、ここか、と思う。なるほど、こういう脱ぎ方もあるのかと感動した。
それと同時に、じゃあ、そもそも何で脱ぐんだ?いや、そもそも何でどうせ脱ぐものを着てくるんだ?と思う。僕は、落語は一人で喋っているけれど、お喋りというよりはコントに近いと思っていて、コントの前につかみを入れる人はいない。世界観がガラッと変わるから。でも落語では枕をする。だから枕というツカミをした後で、わかりやすく「本ネタに入りましたよ」の合図で脱いでいるのだと思っていた。ところがそうではなかった。そして、わかりやすい合図がなくても落語は自然に観られた。僕は芸人をしていて、漫才をしているけれど、普段漫才をする時にツカミをしない。僕らの漫才はアドリブも入れずに完全に台本というレールに沿って走る、コントに近いものだ。だからツカミを最初に入れると、ネタに入った時、はっきりと入った感が出てしまって、ピリッとするのが嫌で、やらない。それでよく、なにか落語家さんのように脱ぐものでもあればいいけどなぁと思っていたけれど、そういうことでもなかったことが今日わかった。となると僕らの漫才でも枕というか、つかみはできるのだろうか。もちろん場所によって、必要だと思った時にそういう見せ方を選ぶことも視野に入れられるのだろうか。なんとなく、そんなことを考えていた。

◇橘家文蔵「佃祭」

  • 橘家文蔵師匠

    橘家文蔵師匠

船で死んだと思われた男が、勝手に葬式まで開かれているところへ帰ってくる話。佃祭。前半に散りばめられたフリが、後半にたくさん活かされていて、見所が詰まっていた感じ。ただひたすら、いいネタだなぁと思った。それをしっとり系で演技派な橘家文蔵さんが話すと、さらに味わい深く、面白さが増す。結果、この日一番ウケていた。ネタの力で面白くなっている部分と、なんでもない会話なのに 演技の力で面白くなっている部分、良い落語を観ているとこの2つのお笑いを同時に感じられる。 そういうものを観る度に僕は、つくづく、このネタはいつ誰がどんな頭を働かせて書いたんだろうなと想像させられる。良いネタは良い。これは絶対。だから良いネタを作ることは凄いことなんだ。そういう絶対に変わらないという良さに、僕も心のどこかで憧れている。よく「最近のお笑い」とか「古いお笑い」とか「進化したお笑い」とか言われてたり、自分も意識したりすることあるけれど、基本は普遍的なものなんだと思う。根っこは、面白いか面白くないかだけなわけだし。今日僕が面白いと思った落語も、作られたのはずっと昔なんだろう。

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「渋谷らくご」10/13 公演 感想まとめ

写真:渋谷らくごスタッフ
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