渋谷らくごプレビュー&レビュー
2019年 5月10日(金)~14日(火)
開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。
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プレビュー
初心者向け:細部から全体までを再解釈して、現代にフィットするように古典落語に新たな息吹を吹き込む笑二さん。その才能のほとばしりを感じてください。トリ向きの落語家さんです。今後の50年の落語の繁栄を祝いたくなることでしょう。
アングル:三四郎さん→スピード感のある爆笑。志ん五師匠→しっとり爆笑。小助六師匠→トリを潰さない程度の笑いと「落語聴いたわ」感のある一席。で、笑二さん。こう考えると、人情噺の匂いもしてきました。
▽桂三四郎 かつら さんしろう
22歳で入門、現在入門15年目。疲れた日はサウナに入ってリフレッシュする。「クリスタルガイザー」が好きで、楽屋にあるとテンションがあがる。鯉八さんにそそのかされて大量に手ぬぐいを発注してしまったため、いま大量の在庫を抱えている、BASEにて通信販売中。
▽雷門小助六 かみなりもん こすけろく
17歳で入門、芸歴20年目、2013年5月真打ち昇進。インスタグラムをやっているが、ほとんどの写真が猫、とにかく猫を可愛がっている。スーツにネクタイのフォーマルな洋装で楽屋入りされる、最近はスーツベストを愛用されている。
▽古今亭志ん五 ここんてい しんご
28歳で入門、芸歴16年目、2017年9月真打昇進。平成30年度国立演芸場「花形演芸大賞」で銀賞。渋谷らくごの公式読み物どがちゃがでは、志ん五師匠の似顔絵コラムが掲載中。海が好きで、釣りが好き。
▽立川笑二 たてかわ しょうじ
20歳で入門、芸歴8年目、2014年6月に二つ目昇進。沖縄出身の落語家。飲み会に参加することが多いが、気付くと寝てしまっている。公園のベンチで落語の稽古をする。TBSにて放送中のドラマ「インハンド」に出演。
レビュー
5月14日(火)20:00~22:00 「渋谷らくご」
桂三四郎(かつら さんしろう) 「全くの逆」
古今亭志ん五(ここんてい しんご) 「大山詣り」
雷門小助六(かみなりもん こすけろく) 「猫退治」
立川笑二(たてかわ しょうじ) 「鼠穴」
「春の夢みてゐて瞼ぬれにけり」
ゴールデンウィークも終わり、どことなく倦怠感の漂う渋谷の街。春めいた柔らかな日差しが降り注ぐ日もあれば、ギラリとした夏の日差しに攻められる日もあり、はたして調節しやすい服装とはいったい何なのか、と休み明けのぼんやりした頭で考えながら歩いていると到着。
今月の渋谷らくごの最終公演は、立川笑二さんがトリの会。笑二さんのツイッターを見るとピヨピヨしていた、かわいい。プレビューでは笑二さんの落語について「細部から全体までを再解釈して、現代にフィットするように古典落語に新たな息吹を吹き込む」と評されていて、確かに確かにとうなずく。今日も楽しい二時間が始まる。
桂三四郎「全くの逆」
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桂三四郎さん
「お腹減った」の「全くの逆」とは何か。
「満腹」?
「ご飯済ませた」?
「太った」?
この落語の世界での正解は「背中増えた」である、「背中増えた」。何かがおかしい、ただ何がおかしいのかわからない。明らかに間違っているのだけれども、そうじゃないことはわかるのだけれども。何かがおかしい。 ただ改めて考えてみると、Aの逆はBというのは結構ややこしい。例えば赤の逆は緑である。しかし紅白歌合戦があるのだから、赤の逆は白なのかもしれない。そんなことを考え始めると、どんどんと思考の迷路に入り込んでいく。噺のなかでは、ある物事の全くの逆は何かというのをひたすら掘り下げていく展開。何じゃそりゃと思うものもあれば、言われてみればそうかもしれないと納得しそうになるものまで。何の役にも立たないくだらなさが、心地よく楽しかった。
古今亭志ん五「大山詣り」
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古今亭志ん五師匠
年に一度の楽しみである大山詣りからの帰り道。ついつい気が緩んで酔っ払った男は、禁止されていた喧嘩をしてしまう。あまりの男の態度に腹に据えかねた同行者たちによって、男は寝ている間に坊主にされてしまう。なるほど、スキンヘッドにされてしまう男が噺のなかに登場することと、まくらでのスキンヘッドの話が繋がっていたのかと思わずにんまり。
この後坊主にされてしまった男による復讐がなされるという、かなりヒドイ展開。けれども志ん五師匠のほわほわとしたあたたかい語り口によって、サゲの「おめでたい」が本当にそうだなと思えてくるから不思議なものだ。
雷門小助六「猫退治」
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雷門小助六師匠
何かが原因で床についてしまったお嬢さん。これは恋煩いかと思いきや、その原因は死んでしまった飼い猫が夜に化けて出るためだという。いったい夜中にどんな恐ろしいことをされているのかと思えば、ペロペロなめてくるという。猫だ、どこまでも猫だ。
ここからぞくぞくするような復讐劇が始まるのか、それとも血沸き肉躍るような退治がなされるのかと思いきや、どこか呑気な面々によってわぁわぁと退治が行われる。怖いようでいてバカバカしい、不思議な後味の心地よさ。
立川笑二「鼠穴」
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立川笑二さん
笑二さんの表情を見ているとニコニコと明るい雰囲気もあるのだが、ふいにひんやりと暗い面が顔を出す瞬間がある。噺のなかで「あぁ」や「えぇ」といった言い淀みは少なく、みっちりと稽古をしている姿勢が窺える。そんな噺の心地よいリズムの中に時々とんでもないフレーズを入れてくることによって、プッと噴き出すような一瞬の驚きもあれば、ゾクッとして流石だなという快感を伴うこともあり、とにかくクセになる。何度も聴いたことのあるお馴染みの落語も、他の人ではあまり聴いたことのない珍しい落語まで、どれも笑二さんの調理法で味付けされた作品となっている。だから面白い。
今回の「鼠穴」のなかで、笑二さんによる味付けが色濃く出ている人物は、江戸で成功した兄ではないだろうか。とにかく本当に酷く最低な人間としての描写が、私の中にみっちりと残っている。例えば娘を連れて借金に来た弟に対しては、「落ち目のお前には金を貸せない。そんなに金が必要なら娘を吉原に売り飛ばせばいい」と言い放つ。また金を盗まれて呆然としながら再び兄の家を訪れた弟に向かって、「やっぱり落ち目のやつはダメなんだ、お前なんか首くくって死んじまえ」と、鬼畜ここに極まれりといった言葉が浴びせられる。そんな激しく鋭利な言葉は、ズブリと私の身体の中へと刺しこまれるようだった。
こうした残忍な言葉の痛みは、私の中にある深いところを刺激するように感じられる。
例えば目の前の人がタンスの角に小指をぶつけたとき、自分はぶつけていないのに「痛い」と思うことがある。それは私自身が過去に同じようにタンスの角に小指をぶつけたときの記憶が蘇って「痛いだろうな」と思っているだけなのだが、その瞬間だけは痛みを共通項にして私と目の前の人は繋がっているのではないだろうか。幸せなことだが、私はこの「鼠穴」に出てくるような残忍な言葉を人から言われた記憶はない。けれどもこうした言葉が痛みとして感じられるのは、自分のなかにある痛みの記憶と重なる部分があるからだろう。兄から浴びせられた苛烈な言葉によって、弟と私は深い部分での繋がりが生まれる。それは厳しく辛いことだが、痛みを共有出来る心地よさでもある。
また、こうした残忍な言葉には、見てはいけないものを見せてしまう力がある。それは私たちが生きている現実の裂け目から、ぬっと顔を出してきた何かをふいに見てしまったような興奮へと繋がる。普段はおだやかな人が一瞬だけ見せた冷たい真実の姿かもしれないし、自分の中に巣食う残忍な姿かもしれない。苛烈な言葉を用いることでしか見ることのできない何かが、確かにそこにある。
夢から覚めることによって、弟は火事のなかった世界へと帰還する。あぁよかった助かったと思う気持ちもあるが、この世界でも火事が起これば夢と同じようにならないという保証はない。兄は実はいい人なのかもしれないし、やっぱり嫌な人なのかもしれないし、どちらかに分けることなど出来ないのかもしれない。もし、この世界の現実が夢の世界に侵食されるようなことがあったとしたら、まるで悪夢じゃないかと拍手をしながら考えてしまった。
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「渋谷らくご」5/14 公演 感想まとめ
写真:武藤奈緒美Twitter:@naomucyo
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