渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2020年 9月11日(金)~15日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

イラスト

イラスト

9月12日(土)14:00~16:00 立川こしら 春風亭昇羊 橘家圓太郎 隅田川馬石

「渋谷らくご」爆笑落語会

ツイート

今月の見どころを表示

プレビュー

 落語といったら最初は笑いたい。そんな人にお送りする2時間公演。落語立川流の異端児 こしら師匠から畳みかける言葉の波に身を委ねて楽しんでください。ベテラン圓太郎師匠、そして渋谷らくごの心臓 達人馬石がトリをつとめます。二番目にあがる昇羊さんは唯一の二つ目さんです。個性派揃いの面々のなかで、どれだけ自分を発揮できるか、注目です。

▽立川こしら たてかわ こしら
21歳で入門、芸歴24年目、2012年12月真打昇進。フットワークが軽く、日本のみならず海外でも独演会を開催。緊急事態宣言中には、真っ先に動画配信にシフトした。2005年に開催された愛知万博「愛・地球博」の市民ブースにて作品を展示した。

▽春風亭昇羊 しゅんぷうてい しょうよう
1991 年 1 月 17 日、神奈川県横浜市出身、2012 年入門、2016 年二つ目昇進。飲み会ではペースメーカーとなり、 一番盛り上がった時にしっかりと散会させる技術を持つ。おしぼりやお手拭きはしっかりとたたむタイプ。

▽橘家圓太郎 たちばなや えんたろう
19歳で入門、芸歴39年目、1997年3月真打昇進。怒りん坊なキャラクターで、オヤジの小言マシーンぶりは渋谷らくごでも爆笑を生んでいる。将来PTAの会長になるのではないかと危惧している。普段は優しく、裏表のない気持ち良い人なのです。ラガーマン。

▽隅田川馬石 すみだがわ ばせき
24歳で入門、芸歴27年目、2007年3月真打昇進。フルマラソンのベストタイムは、4時間を切るほどの速さ。読売新聞オンラインでも元気なジョギング姿を披露するなどスポーツに関する連載をもつ。GW明けぐらいから落語をすると汗だくになる。落語が終わったら、汗をぬぐってすぐに帰る。

レビュー

文:高祐(こう・たすく) Twitter:@TskKoh

立川こしら-短命
春風亭昇羊-二階ぞめき
橘家圓太郎-厩火事
隅田川馬石-宿屋の富

たっぷり半年ぶりにライブで観られることになった渋谷らくご。他のお客さんは何か月ぶりなんだろうか、聞いてみたい気持ちがこみあげるが、こんなご時世ではマスク姿でも話しかけらるのは迷惑だろう。全体を見渡すと結構な入りで、座れる席は満席に近い。落語を生で観たい、聴きたいという無言の見知らぬ同志たちとともにひっそり開演を待った。

立川こしら師匠「短命」

  • 立川こしら師匠

こしら師匠の会に向かうときは、いつもハラハラドキドキワクワクする。師匠の頭と口の回転の速さに、ついていけないのではないかというハラハラ、今回はどんな話が振られるのかというドキドキ、わかる話わからない話どちらもあるワクワク。まくらでこしら師匠が、観客の反応を探るように時事ネタを次々繰り出してくれるのが楽しくて仕方ない。申し訳ないのが、こちらがマスク姿であること。目では笑わないほどのニヤリを引き出してくれるのが、師匠のまくらの魅力なのに、今はこちらのニヤリを伝えられない。師匠の言うとおり、「ここでマスクしなくていいのは俺だけ」、そう師匠だけなのです。マスクに表れる個性から、ピーチアヴィエーションの話から、巨人澤村の移籍の話などなど、10分そこそこで繰り出される小ネタの全ては思いだし切れません。
この日の本編は「短命」。「タンメイ」と、普通の単語として言うと、音の高低はなく発音されるのが普通だと思うのだが、こしら師匠はタンを高く、メイを低く言うから、最初「タンメン(湯麺)」に聞こえた。後でキュレーターのサンキュータツオさんも同じく「湯麺」の発音で話していたので、これが落語の題としては正しい発音なのだろう。もちろん、こしら師匠を疑ったわけではありません。
さてその「短命」、ご隠居と、ご隠居に話をもってきたはっつあんの話が、あまりにのんびりしたものだから、これが艶話だと気づくのに時間がかかった。美人の旦那は短命だと言うのを理解させるのに、ご隠居がはっつあんにその場面を具体的に想像させる場面が秀逸で、そこが核心、と言うところで、はっつぁんの夫婦生活が垣間見えてしまうおかしさ。あー、お宅はそうするんですね、いやそこまで聞きたかった訳ではないのだが、まぁ要はそれが短命の原因なので、それでよしとするご隠居がおかしい。きっとこの辺りの、ご隠居がほのめかしの具合、かなり大胆に表現するのかしないのかが、この噺をする落語家の腕の見せ所なのだろう。こしら師匠のはきっとイレギュラーなはずなので、他の落語家の「短命」も楽しみだ。初めて聴く「短命」がこしら師匠でよかった。後で別の落語家で同じ噺を聴くと、こしら師匠が(意外と)王道を行っていたことにも気付いて、勝手に裏切られたような気持ちになるのも、こしら師匠を聴く楽しみなのだ。

春風亭昇羊さん「二階ぞめき」

  • 春風亭昇羊さん

このところ成長著しいと個人的には勝手に感じている二つ目の昇羊さん。変わらず大きな目が印象的だったが、その目に彼の兄弟子、春風亭昇々さんのような狂気が宿ってきたような気がするのは気のせいだろうか。これはもちろん、最大のほめ言葉として受け取っていただきたい。
このコロナ禍、引きこもり全然問題なし、むしろ引きこもっていたいとのこと。その理由が、幼い頃は鍵っ子で、ロボット同士の戦いや、一人で二役ジェンガ、などなど、昔から家の中で一人遊びすることが多かったから、とのこと。そんな妄想暴走のまくらから、妄想癖全開の「二階ぞめき」という噺に入った。
吉原通いが止まらない大家の若旦那、番頭に贔屓の女を見受けしてやるから、どうかうちにいてくれとまで言われるが、吉原という街自体が好きなんだと若旦那は言う。そこで番頭が提案したのが、空いている二階に吉原を再現すること。番頭によって設えられたその二階の吉原(もちろん無人)で、若旦那の妄想が炸裂する。
あくまで若旦那の妄想がメインのお話ではあるのだが、この話で一番狂気じみているのは、番頭ではないだろうか。吉原の女を身請けするためなら帳簿をどがちゃが(!)することも厭わない、さらに吉原に通い詰めた若旦那が興奮するほど、吉原という街を再現してみせるその狂気じみた才覚。「まずは若旦那に」といって若旦那を二階に通しているが、その前に散々妄想して遊んだのは番頭だろう。きっとこの番頭、今じゃ偉そうに若旦那を叱っているが、(少なくとも)若いときはかなり遊んだに違いない。こちらの妄想癖も大いに刺激された昇羊さんの一席だった。

橘家圓太郎師匠「厩火事」

  • 橘家圓太郎師匠

落語の演目(タイトル)は不思議なものが多い。いつかタツオさんが説明してくださったが、落語家同士で、あああの噺ね、とわかれば良い程度なので、結構適当に付けられるものらしい。この「厩火事」と言うのも、ご隠居が女将さんに説く唐土(中国)でのエピソードで、主人が大事にしていた馬が飼われていた厩が、主人のいない間に火事になり、馬もろとも焼け落ちてしまったのだが、主人は馬のことより、家来たちの無事を何より喜んだ、という、本筋ではない逸話を指しているに過ぎない。これだけでも演目になるのだから、これだけ見ると、この噺聴いたことあるはずだけれどなんだっけ?となることが多々ある。
それはさておき、この日の圓太郎師匠も絶好調。ご自身の奥さんの機嫌を損ねてきた、と言うまくらから、機嫌を損ねまくって離縁話を仲人を務めたご隠居に持ち込む髪結いのおかみさんの噺へ。
「髪結いの亭主」といえば、古今東西ぐうたらと決まっている(確か同名のフランス映画でもそうだった)。このおかみさんも、顔こそ「おかめ」と「般若」に似ているらしいが、髪結いらしい働き者。がしかし、人の話は聞かないし、フォローしようと思えば言い返すし、なかなか面倒なおかみさん。ちょっと残念なほど彼女に感情移入できないのが、圓太郎師匠のこの噺のおかみさんの特徴とタツオさんは評していたが、まさしくその通り。結構面倒な女だな、と思ってしまう。
ご隠居さんは、離縁を言い立てるが旦那を惚れ抜いているらしいおかみさんに一つ提案をする。旦那が大事にしている10円(当時は大金)のお椀を事故に見せかけて割ってみたらどうか、そのときお椀を嘆いたら離縁したらいいし、おかみさんの身体を心配してくれたら、夫婦を続けたらいい、と。このおかみさんが旦那を試す場面で、本当におかみさんを心配してくれるのか。
タツオさんはこの場面を「ハラハラ」する、といっておられた。ハラハラと思える人は、きっと人が良いに違いない。こちとら、どんなオチがくるかとニヤニヤが止まらなかった、そしてはっとした。人の欲や不幸を笑う際は注意した方がいい、人のことを笑っているつもりが、自分の黒いものが露呈される瞬間でもある。圓太郎師匠はきっと観客の性格の良し悪しを測ってほくそ笑んでいたに違いない。

隅田川馬石師匠「宿屋の富」

  • 隅田川馬石師匠

この日は、馬喰横山駅で乗り換える電車の話で始められた馬石師匠。最後尾の車両で傘を忘れたまま立ち上がったら、車掌さんが出てきて、傘の忘れたのを指摘してくれた、しかしそのせいか、50cmほどオーバーランしてしまったとのこと。優しい車掌さんですねぇと思っていたところ、師匠は観客の反応が悪いと感じられたのか、まくらなんてどうでもいい、そんなものですよ、などと言いながら本編へ。マスクの下で静かに笑っていた身としては、例え一人であっても笑いを伝えられないのは残念だな、と感じた。やはりマスクでまくらの笑いは難しい。そしてまったく関係ないように見せかけたまくらの舞台、馬喰町に宿屋が並んでいたと言うところから、本編の「宿屋の富」の噺へ。
ある男が、宿屋の主人に案内されて、客として宿にやってくるところから始まる。男曰く、なんでも、千両箱が家に積んであって足をぶつけて痛い(ほど金持ち)とのこと。そうですかぁ、それは羨ましい、と相槌をうつ宿の主人。そんな人のいい宿の主人は、翌日湯島天神で開かれる富くじに参加してくれるように男に頼む。男は千両当たったら五百両を宿の主人にくれてやると言って、掛け金の一分金を主人に渡す。たいして繁盛もしていない宿屋に泊まる男が、金に困らない人間であるはずがない。一分金はその男の有り金全てだったが、はて、どうなるか、その顛末がこの噺。
富くじが開かれるのは湯島天神。その広い境内に集まる人々の興奮を、馬石師匠は丁寧に描写していく。個人的には、閑散としている時にしか行ったことがない湯島天神、そして今のご時世、くじを突く一挙手一投足に、声が上がり、視線が集中するような大人数の集まりに立ち会うことがなくなってしまった身としては、その興奮を十分に想像できず、その場面を堪能しきれなかったような気がしている。残念だったし、馬石師匠に申し訳なかった。でも、そこに集まるくじを買った人間たちの気の狂ったような、いや完全に狂っていた様子は十分に想像ができる。時代によって違うらしいが千両を今のお金にざっくり換算すると一億円くらいだろうか。それこそ宝くじにでも当たらない限り、普通のサラリーマンがひと時に手にする額のお金ではない。当たったら狂うか、認識できずにぼんやりするか、どちらかだろう。桁の違うお金を手にしたときの人間の変わり様は、流行り病を前にして右往左往する人間と同様、時代が変わっても変わりがない、だからこそこの噺は可笑しい。変わらない人間の性を笑え、かつ共感できることを実感した一席だった。

【この日のお客様の感想】
「渋谷らくご」9/12 公演 感想まとめ

写真:渋谷らくごスタッフ
写真の無断転載・無断利用を禁じます。