渋谷らくごプレビュー&レビュー
2018年 4月13日(金)~17日(火)
開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。
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プレビュー
(動画) 立川左談次 たてかわ さだんじ
五街道雲助 ごかいどう くもすけ
渋谷らくごを支えてくださっていた立川左談次師匠が亡くなりました。この回は、師匠本人がなによりも楽しみにしていらっしゃった雲助師匠との競演でした。おなじ釜の飯を食った修行時代、お互いのネタの交換なども頻繁にしていた存在です。
左談次師匠の奥様の許可を得て、昨年九月の左談次師匠の記念公演の高座の様子をお届けします。
※この回は、はじめていらっしゃる人向けではないかもしれません。
▽立川左談次 たてかわ さだんじ
17 歳で入門、1982年12月真打ち昇進。2018年3月19日没。3月11日の渋谷らくごの高座「はじめてのさよなら」が最後の高座となった。
2015年より、渋谷らくごを支えた存在。今月の雲助師匠との競演と、桜を、なによりの楽しみにしていた。
▽五街道雲助 ごかいどう くもすけ
19歳で入門、芸歴51年目。1981年3月真打ち昇進。立川左談次師匠とは寄席の楽屋で前座修行を共にする。黎明期にホームページを立ち上げ、ツイッターも2010年に開始するほど最新の流行にアンテナをはっている。平昌オリンピックに釘付けになる。
レビュー
文:海樹 Twitter:@chiru_chir_chi (今年のお花見は播磨坂の桜並木に行きました。)
4月13日(金)18:00~19:00 「ふたりらくご」
立川左談次(たてかわ さだんじ) 「短命」
五街道雲助(ごかいどう くもすけ) 「死神」
春の一番の楽しみは桜を見ること。空気が暖かくなるにつれて膨らむ蕾を眺めていると、春をしみじみと感じるようになる。今日咲くのか、明日咲くのかと待ちわびる気持ち。開花宣言が出されてからはあっという間にあっちの木も、こっちの木も、すぐに桜の花は満開になって。そしてはらはらと散り始める。
満開の報告が届く頃になると、私の頭の中には江戸時代の僧侶である良寛(1758~1831)の作とされる「散る桜 残る桜も 散る桜」の句が浮かんでくる。
美しく咲き誇る桜の花。地面に横たわる花びら、風に乗って眼前をはらはらと散っていく花びら、まだ枝に残っている花びら。どんな桜の花も必ず散ってしまう定めにある。この句からは当たり前のことで、けれども当たり前だからこそ普段意識することのない真理が感じられる。
あたたかい陽気が続いたせいで、すぐに葉桜になってしまった木々を眺めながら渋谷へとやってきた。ゆったりと座席に身をゆだねているとスクリーンがゆっくりと動いていく。
少しずつ暗闇に目が慣れてくる。
パッと明るくなったスクリーン。少し荒い画面に映し出されたのは、2017年9月10日14時からの渋谷らくごの映像。左談次師匠の落語家生活五十周年記念興行の三日目、私もその場にいて楽しんだことを思い出す。
高座にあがり「今日のところはまだ生きてます」といって笑いが生まれる映像のなか。その時の自分の笑い声もその中にあるのだろう、複雑で言葉にならない気持ちを抱えながら今の私はその様子を見ている。
いつも通りのふわふわっとした感じの左談次師匠。
お客さんに向かって感謝の言葉を口にした後に、らしくないことを言ったなと二カッと笑う姿。
そんな映像を眺めているうちに、映像の中だけでなく私も自然と笑ってしまった。笑ってもいいんだな、そう思えるようになった。
気付けば映像の中で聴こえる笑いと同じくらい、いまのこの真っ暗な空間でも笑いが生まれていた。かるくってふんわりした「短命」。八五郎と隠居さんとのバカバカしいやりとり、八五郎とおかみさんとの心地よいやりとり。あぁこの感じが左談次師匠で、私はとても好きなんだ。
おかみさんと指先が触れ合う、「オレは長生きだ」とサゲを言って高座から降りていく左談次師匠。惜しみのない拍手が映像の中から、それ以上に真っ暗な会場から聴こえてきた。
いつも通りスススササ、っとやってくる雲助師匠。
若かりし頃の左談次師匠との思い出をゆるやかに語る姿は、まるで楽屋にいる相手に向かって話しているんじゃないかというような感じ。ずっと「左談次さん」と呼んで話していたのに、一度だけ「さだやん」と呼んでいて、あぁ、、、といった気持ちになった。
神様についての小噺から「死神」へ。
おかみさんに叱られて外に飛び出した男。気付くと満開の桜の木の下、それを眺めているうちに男は「死にたくなってきちゃったなぁ」と言う場面がとても好きだ。私はその気持ちにとても共感する。満開の桜の美しさの中にある不気味さ、それはどこか死へと通じる回路を感じさせるから。
男の前に現れた死神はスススササっと風に乗って移動する、まるで死という存在は決して逃れることができないと表現しているかのように。
そんな死神が男に伝える呪文は「アジャラカモクレン、サダンジサン、テケレッツのパー」。思わずニヤッとさせる今日のための呪文。
死神に誘われて辿りついた大量の蝋燭の灯に照らされた世界。一本一本が人の寿命となっているなかで、今にも消えそうな一本は男の寿命であることを死神から知らされる。大げさに震わせるのではなく、慎重に慎重に灯心から火を移そうとする男の手先。
そおっと手に持った蝋燭を顔の前に移動させていくことで、無事に火を移すことが出来たのだと安堵する。よかったと思ったその刹那、「ハックシュン」、ゆっくりと倒れていく。
やっぱり死という存在からは決して逃れることができないのだ、そんな当たり前のことを雲助師匠の「死神」から私は感じた。
思い立ったときに見に行かなければ、すぐに散ってしまう桜。
葉桜を眺めながら、ちゃんと見ておけばよかったと後悔しても遅い。
私たちにできることは、今目の前で咲いている花をしっかりと見ることだ。
いや、そんな気負うことなくぼんやりと眺めて楽しむくらいがちょうどいいか。
【この日のお客様の感想】
「渋谷らくご」4/13 公演 感想まとめ
写真:武藤奈緒美Twitter:@naomucyo
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4月13日(金)18:00~19:00 「ふたりらくご」
立川左談次(たてかわ さだんじ) 「短命」
五街道雲助(ごかいどう くもすけ) 「死神」
「散る桜 残る桜も 散る桜」
春の一番の楽しみは桜を見ること。空気が暖かくなるにつれて膨らむ蕾を眺めていると、春をしみじみと感じるようになる。今日咲くのか、明日咲くのかと待ちわびる気持ち。開花宣言が出されてからはあっという間にあっちの木も、こっちの木も、すぐに桜の花は満開になって。そしてはらはらと散り始める。
満開の報告が届く頃になると、私の頭の中には江戸時代の僧侶である良寛(1758~1831)の作とされる「散る桜 残る桜も 散る桜」の句が浮かんでくる。
美しく咲き誇る桜の花。地面に横たわる花びら、風に乗って眼前をはらはらと散っていく花びら、まだ枝に残っている花びら。どんな桜の花も必ず散ってしまう定めにある。この句からは当たり前のことで、けれども当たり前だからこそ普段意識することのない真理が感じられる。
あたたかい陽気が続いたせいで、すぐに葉桜になってしまった木々を眺めながら渋谷へとやってきた。ゆったりと座席に身をゆだねているとスクリーンがゆっくりと動いていく。
立川左談次「短命」
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立川左談次師匠
少しずつ暗闇に目が慣れてくる。
パッと明るくなったスクリーン。少し荒い画面に映し出されたのは、2017年9月10日14時からの渋谷らくごの映像。左談次師匠の落語家生活五十周年記念興行の三日目、私もその場にいて楽しんだことを思い出す。
高座にあがり「今日のところはまだ生きてます」といって笑いが生まれる映像のなか。その時の自分の笑い声もその中にあるのだろう、複雑で言葉にならない気持ちを抱えながら今の私はその様子を見ている。
いつも通りのふわふわっとした感じの左談次師匠。
お客さんに向かって感謝の言葉を口にした後に、らしくないことを言ったなと二カッと笑う姿。
そんな映像を眺めているうちに、映像の中だけでなく私も自然と笑ってしまった。笑ってもいいんだな、そう思えるようになった。
気付けば映像の中で聴こえる笑いと同じくらい、いまのこの真っ暗な空間でも笑いが生まれていた。かるくってふんわりした「短命」。八五郎と隠居さんとのバカバカしいやりとり、八五郎とおかみさんとの心地よいやりとり。あぁこの感じが左談次師匠で、私はとても好きなんだ。
おかみさんと指先が触れ合う、「オレは長生きだ」とサゲを言って高座から降りていく左談次師匠。惜しみのない拍手が映像の中から、それ以上に真っ暗な会場から聴こえてきた。
五街道雲助「死神」
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五街道雲助師匠
いつも通りスススササ、っとやってくる雲助師匠。
若かりし頃の左談次師匠との思い出をゆるやかに語る姿は、まるで楽屋にいる相手に向かって話しているんじゃないかというような感じ。ずっと「左談次さん」と呼んで話していたのに、一度だけ「さだやん」と呼んでいて、あぁ、、、といった気持ちになった。
神様についての小噺から「死神」へ。
おかみさんに叱られて外に飛び出した男。気付くと満開の桜の木の下、それを眺めているうちに男は「死にたくなってきちゃったなぁ」と言う場面がとても好きだ。私はその気持ちにとても共感する。満開の桜の美しさの中にある不気味さ、それはどこか死へと通じる回路を感じさせるから。
男の前に現れた死神はスススササっと風に乗って移動する、まるで死という存在は決して逃れることができないと表現しているかのように。
そんな死神が男に伝える呪文は「アジャラカモクレン、サダンジサン、テケレッツのパー」。思わずニヤッとさせる今日のための呪文。
死神に誘われて辿りついた大量の蝋燭の灯に照らされた世界。一本一本が人の寿命となっているなかで、今にも消えそうな一本は男の寿命であることを死神から知らされる。大げさに震わせるのではなく、慎重に慎重に灯心から火を移そうとする男の手先。
そおっと手に持った蝋燭を顔の前に移動させていくことで、無事に火を移すことが出来たのだと安堵する。よかったと思ったその刹那、「ハックシュン」、ゆっくりと倒れていく。
やっぱり死という存在からは決して逃れることができないのだ、そんな当たり前のことを雲助師匠の「死神」から私は感じた。
思い立ったときに見に行かなければ、すぐに散ってしまう桜。
葉桜を眺めながら、ちゃんと見ておけばよかったと後悔しても遅い。
私たちにできることは、今目の前で咲いている花をしっかりと見ることだ。
いや、そんな気負うことなくぼんやりと眺めて楽しむくらいがちょうどいいか。
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「渋谷らくご」4/13 公演 感想まとめ
写真:武藤奈緒美Twitter:@naomucyo
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