渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2018年 6月8日(金)~12日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

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6月8日(金)20:00~22:00 柳家小せん 三笑亭夢丸 玉川太福* 春風亭昇々

「渋谷らくご」躍動する若手競演

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プレビュー

◎ニコニコ公式生放送「WOWOWぷらすと」中継あり(http://www.wowow.co.jp/plast/

 30代から40代前半、落語家や浪曲師としては「若手」という位置にいる四名の演者。
 すでに各世代を代表する演者さんたちが競演、ひたすら楽しませてくれるバラエティ回です。
 はじめてというお友だちを連れてきても安心できる、もちろん落語ファンも楽しめる番組です。爆笑間違いナシ!

▽柳家小せん やなぎや こせん
22歳で入門、芸歴22年目、2010年9月真打ち昇進。橘家文蔵師匠と入船亭扇辰師匠と音楽ユニット「三K辰文舎」としても活動中。大きな行事の前には、銭湯に行って熱いお湯にじっくりと浸かる。新幹線で帰る時には、少しお酒を嗜んでから帰るタイプ。

▽三笑亭夢丸 さんしょうてい ゆめまる
18歳で入門、芸歴17年目、2005年5月真打昇進。先日両目が腫れ上がってしまった。原因は不明。コージーコーナーの保冷剤で両目を冷やす。先日玉子焼き用のフライパンを購入した。

▽玉川太福 たまがわ だいふく
1979年8月2日、新潟県新潟市出身、2007年3月入門、2012年日本浪曲協会理事に就任。2017年文化庁芸術祭大衆芸能部門の新人賞を受賞。先日、新宿にある寄席・末広亭に出演をした。サウナと水風呂を交互につかりながら稽古をすることがある。

▽春風亭昇々 しゅんぷうてい しょうしょう
1984年11月26日、千葉県松戸市出身。2007年に入門、2011年二つ目昇進。理由は明かされていないがスマートフォンが観られなくなったために、空いた時間に本を読むようになった。山登りに行きたいとのこと。かいけつゾロリが好き。

レビュー

文:海樹 Twitter:@chiru_chir_chi (海に樹と書いて「みき」と読みます。)

6月8日(金)20:00~22:00 「渋谷らくご」
柳家小せん(やなぎや こせん) 「金明竹」
三笑亭夢丸(さんしょうてい ゆめまる) 「徳ちゃん」
玉川太福(たまがわ だいふく)・玉川みね子(たまがわ みねこ) 「地べたの二人 湯船の二人」
春風亭昇々(しゅんぷうてい しょうしょう) 「千両みかん」

「いまなぜ玉川太福なのか」


 いつでも、どの公演にいっても、帰り道によかったなぁという気持ちになる渋谷らくご。

この日も柳家小せん師匠の「金明竹」では、心地よく緩急のある四回の口上にグッと惹きつけられた。また三笑亭夢丸師匠の「徳ちゃん」に出てきたモンスター級の女郎が迫ってくる場面は、思い出すだけでにやにやしてしまう。もちろんトリの春風亭昇々さんの「千両みかん」ではうだるような夏の暑さと、どこかゆがんだ昇々さんの生み出す世界の笑いに巻き込まれていった。

そんなこの日の渋谷らくごのなかで、私は玉川太福さんの「地べたの二人 湯船の二人」を観ながら思っていたことを書いてみようと思う。

玉川太福・玉川みね子「地べたの二人 湯船の二人」

  • 玉川太福さん・玉川みね子師匠

    玉川太福さん・玉川みね子師匠

 「湯船の二人」は、どうやら銭湯に行くのが趣味の一つらしい金井くんと、銭湯経験の浅い齋藤さん。そんな二人が仕事帰りに、商店街から一本入った場所にある銭湯へと一緒に行くことになる物語だ。
浪曲であれば太福さんの「銭湯激戦区」や、落語であれば「湯屋番」などの物語に銭湯は欠かせない。この銭湯、現在都内には560軒程存在するが年々減少傾向にある。遠くない将来これらの物語の前には、銭湯を説明するまくらを入れなければ理解できない日が来るであろう。
こうした銭湯が登場する物語を頭のなかに描くときに、私たちの頭の中にはそれぞれの銭湯がある。他者からは決して覗かれることのない銭湯が、人の数だけそこにはある。

  「湯船の二人」の世界を味わいながら、私のなかで描かれたのは幼少期に祖父母の家の近所にあった二つの銭湯だ。

三ノ輪橋(太福さんの浪曲「三ノ輪橋とか、くる?」の舞台となった町)の側に住んでいた祖父母の家には、お風呂がなかった。一軒家だが古い家であったためか、それとも祖父の趣味だったのか、とにかく湯船もシャワーもなかった。そのため夕方になると歩いて三分程の場所にある銭湯を利用していた。

風格のある外観と天高く伸びた煙突。まるで長い間波に揉まれたガラス片のように角がなくなった「木の札のやつ」を使用する下駄箱。カウンターではなく番台で料金を支払うシステムで、そこにはいつも同じおばちゃんが座っていた。使い込まれて飴色になった脱いだ服を入れるかご、ほとんど力を感じないマッサージ椅子、大きなヘルメットをかぶるような形のドライヤーがある脱衣場。
数十人が入れる浴場には二つの湯船があり、左側のやや大きい湯船には普通のお湯、右側のやや小さい湯船には黒っぽいお湯。その頃の私は底の見えない黒っぽいお湯が怖く、入ったら底が無くてそのまま溺れてしまうのではないかと思っていた。
底の見える湯船に浸かりながら高い高い天井を眺めて、あの位置にある窓はどうやって開け閉めするのだろうと不思議だった。毒蝮三太夫さんがミュージックプレゼントで訪れるような、どこにでもある町の銭湯の一つ。富士山の絵が描かれた浴室の風景は、私のなかの一部となっている。

もう一つの銭湯は祖父母の家から自転車で数分の場所、ジョイフル三ノ輪の外れにある銭湯で通称「赤いお風呂」だ。ここの湯船には肌がピリピリするらしい電気風呂と、遠赤外線のような何かを利用した赤い光が銀の柵の向こう側で輝く浴槽があった。いま思い返すとあの赤い光はいったい何だったのだろうか。あの頃の私はまるで誘蛾灯に近づく虫のように、赤い光をじっと眺めながら少し距離を置いてお湯に浸かっていた。
この「赤いお風呂」に行った際には楽しみがあった。それはお風呂上がりに飲むネクターだ。お風呂上がりの定番のイメージとしてはビン牛乳がある。しかし私の記憶の限りでは一度も飲んだことが無い。よくわからない演歌が流れる脱衣所の椅子に腰掛けて飲むピンク色の缶のネクターは、深く深く私に刻まれている。今でももってりとした桃の味するネクターを飲むと、あの赤いお風呂のことを思い出す。私にとってネクターは甘美な記憶の鍵だ。

 先日祖父母が亡くなってから初めて、とても久しぶりに三ノ輪橋を訪れた。祖父母の家は取り壊されて、新たな家に誰かが住んでいた。歩いて三分程の場所にあった銭湯は無くなり、いくつかの家が建てられていた。赤いお風呂も無くなっていて、アパートが建てられていた。いまはもう、全て無い。

 私のなかで金井くんと齋藤さんの二人が訪れる銭湯は、今は無いこの二つの銭湯の記憶が合わさったものだ。番台で二人のやり取りを見ているのはあのおばちゃんで、着替えを入れるロッカーは二段になっているあれで、浴場の富士山の絵はこんな雰囲気で、と。
たとえ現実の世界には既に存在しない銭湯であっても、私の記憶の中には確かに残っている。そして物語のなかで銭湯が登場する場面を想起する際に、鮮やかに蘇ってくる。私のなかで二つの銭湯は生きている。

優れた物語に触れたときには、自分のなかに鮮やかな像が浮かんでくる。太福さんの声、みね子師匠の三味線の音。それらがとても良かったからこそ、様々な思い出と共に私のなかに鮮やかな像が浮かび上がる。
あの銭湯に入れる二人が羨ましいなぁ、そんなことを太福さんの「地べたの二人 湯船の二人」を観ながら思った。

柳家小せん「金明竹」

  • 柳家小せん師匠

    柳家小せん師匠

三笑亭夢丸「徳ちゃん」

  • 三笑亭夢丸師匠

    三笑亭夢丸師匠

春風亭昇々「千両みかん」

  • 春風亭昇々さん

    春風亭昇々さん



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「渋谷らくご」6/8 公演 感想まとめ

写真:渋谷らくごスタッフ
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