渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2019年 10月11日(金)~15日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

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9月12日(木)20:00~22:00 柳家勧之助 隅田川馬石 雷門小助六 神田松之丞**

「渋谷らくご」松之丞シリーズ! 古典の会

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プレビュー

 真打間近の二ツ目 神田松之丞さんをトリにすえる松之丞シリーズ。
 いずれも古典落語の評価の高い三名の落語家たちが盛り上げます。先々月は、慣れない創作らくごにもチャレンジしてくださった「攻める若手真打」の勧之助師匠、先月は五日間連続で長講に挑んでくださった馬石師匠、王道から珍品まで演目数の豊富な小助六師匠。手練れが揃った古典の会です。最後は講談、松之丞さんです!

▽柳家勧之助 やなぎや かんのすけ
21歳で入門、現在芸歴17年目、2018年9月真打昇進。前回の創作らくごネタおろし「しゃべっちゃいなよ」に緊急参戦した結果、大変な爪痕を残すこととなった。先日、子供を産む夢をみた。

▽隅田川馬石 すみだがわ ばせき
24歳で入門、芸歴26年目、2007年3月真打昇進。フルマラソンのベストタイムは、4時間を切るほどの速さ。夏は汗をたくさんかいて、新陳代謝を高める。近所であれば自転車で行動する。隅田川を自転車で渡るときに感じる風が好き。

▽雷門小助六 かみなりもん こすけろく
17歳で入門、芸歴20年目、2013年5月真打ち昇進。インスタグラムをやっているが、ほとんどの写真が猫、とにかく猫を可愛がっている。前回の渋谷らくごの帰りは、肉鍋を食べて日本酒をたくさん飲んだ。お酒をたくさん飲んだ時はポカリで酔いを覚ます。

▽神田松之丞 かんだ まつのじょう
24歳で入門、芸歴12年目、2012年5月二つ目昇進。2020年2月に真打昇進することが決定。同時に「六代目 神田伯山(はくざん)」を襲名することになった。いま都内のビルボードには松之丞さんの「週刊プレイボーイのグラビア」が掲載されている。

レビュー

文:海樹 Twitter:@chiru_chir_chi(なんてことない動きで腰を痛めた10月)

10月11日(金)20:00~22:00 「渋谷らくご」
隅田川馬石(すみだがわ ばせき) 「金明竹」
柳家勧之助(やなぎや かんのすけ) 「中村仲蔵」
雷門小助六(かみなりもん こすけろく) 「お見立て」
神田松之丞(かんだ まつのじょう) 「神崎の詫び証文」

 朝から天気予報を見ていると、「命を守る行動を」と最新の台風情報を流しながら呼び掛けていた。これは明日からトンデモナイことになるのだろうなと思いつつ、いったい今夜は大丈夫だろうかと不安な気持ちになる。今日の会は22時ごろに終わる予定だが、その頃に渋谷の街で雨風が強まっていたら私はどうなってしまうのだろう。終演後に外に出ると傘が役に立たないくらいの暴風雨、びしょ濡れの中スクランブル交差点を渡っている光景をテレビカメラが映し、その光景は繰り返しニュース報道で流れ続け、私の醜態が世界に晒されるに違いない。いやテレビカメラがなくとも、今はスマフォのカメラで映されてネットで晒されることだってある、そんな姿を自分のツイッターのタイムラインでは見たくない。
そんな不安に怯えながらも、ついつい遊びに行ってしまう。急いで帰ればギリギリ大丈夫なはずという希望的観測を信じつつ、最悪の事態に備えてATMで現金を下ろしてから会場へと向かった。こんな天気であっても会場は大満員で、これから始まる二時間を楽しみにしている人の気持ちがムンムンと充満している。プレビューを読むと今回は「『渋谷らくご』松之丞シリーズ!古典の会」とのこと。いったいどんな二時間になるのかしらん。

隅田川馬石「金明竹」

  • 隅田川馬石師匠

 先月は五日間連続でたっぷりと「お富与三郎」の世界を見せてくれた馬石師匠。濃密な空気も心地よかったけれども、ふわふわした雰囲気の馬石師匠もやっぱり心地よい。
 予定では二番目に高座に上がるはずだったけれども、急遽勧之助師匠と順番が入れ替わったとのこと。やはり台風が近づいてくると、こういうイレギュラーなことがあるのかと思ったが寄席ではよくあることだという話をマクラでふわふわと話していた。確かに末廣亭のツイッターなどを見ていると、当初の予定から全く異なる出演者ばかりの日がある。また実際に寄席へ足を運んだ時も、あれっ書かれている出演者と順番が違うんじゃないかと驚いたこともある。これが電車だったらダイヤはどうなっているのだと大問題になることだろう。そういう小さいことは気にせず、まあこんなこともあるよなと寛容な気持ちになるのも寄席のいいところかもしれない。
 以前馬石師匠推しの人から「馬石師匠の『金明竹』はとてもいい」と伺っていたのだけれども、なかなか見る機会がなかった。大きな演目であったらネタ出しの会などで確実に出会うことが出来る。しかしそれほど大きくない演目の場合、どこで飛び出すかわからないので出会う機会がなかなか作れない。時々ツイッターを流れてくる演目を眺めながら、あっ今日だったかと後悔することもしばしば起こる。なので今日はついに馬石師匠の「金明竹」に出会えたというだけで大満足、よかった。そしてなるほど、これはとてもいい「金明竹」だなとしみじみ楽しい展開だった。
まずは小僧さんが愛らしい。抜けているところもあり、素直なところもあり、ちょっと大人をバカにしている感じがするところも愛らしい。
そして旦那さんが愛らしい。叱っているようでいて強く否定することもなく、ちゃんと一つ一つ考えてからアドバイスをし、もう仕方ないなぁとフォローする姿勢も愛らしい。
さらには女将さんが愛らしい。「ごめんなさい、聞いてませんでした」と素直に言ってしまうところや、小僧さんと一緒に思い出そうとする様子や、何とか一つ一つ記憶を引っ張り出す姿も愛らしい。
 プリンのハチミツ砂糖漬けのように甘美な「金明竹」の世界は、とっても馬石師匠の魅力が満載だった。すべてが愛らしかったなぁ。

柳家勧之助「中村仲蔵」

  • 柳家勧之助師匠

 渋谷らくごに二度目の登場の勧之助師匠。前回は創作らくごネタおろしの会に呼ばれ、ぜひとも次は古典をやりたいと訴えて出演が決まったとのこと。そんな気持ちの入った一席として「中村仲蔵」が始まった。
この日集まっていたお客さん(私も含む)のなかで、松之丞さんの「中村仲蔵」を見たことのある人は一定数いたことだろう。そんなお客さんに対して、自らの得意な演目として「中村仲蔵」をやるという勧之助師匠の選択に「オッ!」という気持ちになった。
自らの才覚によって窮地を好機に変えて出世をしていった中村仲蔵。ただし自分一人の力だけで出世したのではなく、その陰には弟子の出世への道を気持ちよく後押しした師匠の存在、投げやりな気持ちになってしまいそうな部分で支えてくれた女将さんの存在、思わず今日の芝居は最高だったと熱弁してしまうお客さんの存在など、周囲の人々に支えられた姿が描かれている。「人間」は人の間と書くように、周囲の人々との関係性によって一人の人間としての今がある。だからこそ周囲の人々への感謝の気持ちを忘れないでいようと、あらすじだけだと堅苦しくなりそうな展開に思えてしまう。しかし勧之助師匠が物語の途中途中に地の語りで「ふふっ」と笑ってしまうポイントを入れることによって、緩やかな気持ちで楽しむことができた。いい一席だった、満足。

雷門小助六「お見立て」

  • 雷門小助六師匠

 インターバルを挟んで小助六師匠。今月から真打昇進披露興行を行っている小痴楽師匠の打ち上げの席で起こった、ちょっとしたハプニングをマクラで話されていた。どちらかというと私も周囲の空気を察知することが苦手なので、小助六師匠のような人が一人テーブルにいてくれるとありがたい。
 「お見立て」は、悪い人でないのは十分に伝わってくる野暮代表の杢兵衛お大尽と、あんな客には会いたくないと素っ気ない花魁の喜瀬川、そんなお客さんと花魁に挟まれて上手く立ち回ろうとする喜助の三人が登場する。
杢兵衛お大尽に帰ってもらうために、喜瀬川は死んだことにする喜助。なんとか信じてもらおうと、お茶で涙を作ろうとして指先を湯呑に入れると「熱い!」。淹れたてのお茶は確かに熱いよな。悲惨な噓というよりも心地よい噓によって、軽やかな気持ちで笑ってしまう。
ちょうどよい空気でトリの松之丞さんへと繋がっていく感じがとてもいいのだけれども、それを言語化するのが難しい。すごく心地いいのだけれども、何も手元に残っていないようなこの感じ。とにかくとてもいい一席だった。

神田松之丞「神崎の詫び証文」

  • 神田松之丞さん

 「待ってました」の声が掛かって松之丞さんが登場した。最近見るたびにシュッと痩せていく気がする。台風が近づいていることを気にしつつ、短い方と長い方のどちらの読み物にしましょうかとマクラで話してから、やっぱり長い方にと「神崎の詫び証文」へと入っていった。
 愛山先生から伺ったという、赤穂義士伝が今でも愛されている理由は忠君愛国ではなく「別れ」がテーマだからだというお馴染みのマクラ。ふと頭のなかに浮かんできたのは、忠君愛国といった壮大な物語よりも、大切な人との別れという個人的な小さな物語に共感するのだということだった。自分の中にある二度と会うことのない大切な人との別れ、その価値は自分にしかわからないものかもしれないけれども、誰の心の中にもあるような物語だと思う。本当に大切なことに気付いたときには、伝えたい相手はもういないことがある。「神崎の詫び証文」では、そんな神崎与五郎と丑五郎との別れという小さな物語が描かれている。
 赤穂浪士の一人である神崎与五郎が江戸へと向かう道中でのこと。食事のために寄った店で、馬方の丑五郎という酔っ払いから執拗に馬に乗っていけと絡まれる。必要ない、乗らないと断っていた与五郎だが、あまりのしつこさに「馬は嫌いだ」と言ってしまった。この言葉に対して丑五郎は「馬が嫌いでは侍が務まらないだろう」と指摘し、地べたに手をついての謝罪を要求する。私も酔っ払うとついつい気が大きくなってしまうが、丑五郎も本当に侍が手をついて謝るとは思っていなかったのであろう。「この侍が俺に謝るってよ」と周囲に呼び掛けて与五郎の方を向いた時に、実際に土下座をしている姿を見た時の丑五郎の驚きと困惑にも似た表情は、思わずキュウッとした気持ちになる。後に引けなくなった丑五郎は、次に詫び証文を書くことを要求する。書き終わった詫び証文を渡して去ってゆく与五郎の姿に、再びキュウッとした気持ちになる。
 数年後、丑五郎のいる宿場に講釈師がやってくる。その講釈師が物語る吉良邸討ち入りの面々の中に神崎与五郎の名前があることに驚嘆した丑五郎は、どこにいけば与五郎に会って謝罪出来るのかと訊ねる。この時に丑五郎が語る、自分が子どもの時に目の前で父親が侍から悪口雑言を受けて足蹴にされた時の話で、またまたキュウッとした気持ちになる。酔っぱらいのどうしようもない人間のなかにある傷、それがまた新たな傷を生むことになる悲しさ、それでも何とか真っすぐに生きようとするため謝罪をしたいのだという誠実さ。しかし講釈師の口から、与五郎はすでに切腹をしてこの世で会うことは出来ないと告げられる。
 私はこの「神崎の詫び証文」を味わうたびに同じ風景が浮かんできて、その度に深く深く謝りたい気持ちが呼び起される。取り返しのつかないことをした私のなかの記憶と、物語のなかで描かれた取り返しのつかない出来事が重なり、「それじゃあどうすれば、、、」という気持ちになって泣きそうになってしまう。
 周囲の人に助けられ丑五郎は赤穂浪士の眠る泉岳寺へと向かい、墓守として生涯を終える。高齢となった丑五郎が、雪の中を毎朝の墓掃除を終えて帰る道すがら、パタリと倒れて亡くなる姿にまたもやキュウッとした気持ちになる。何かに許されたかのように優しく雪が降り積もっていく様子が見えてくるようであった。

 外に出ると、まだ雨は強く降っていなかった。なんかとてもいい気分の帰り道の足取りは軽い。

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「渋谷らくご」10/11 公演 感想まとめ

写真:武藤奈緒美Twitter:@naomucyo
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