渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2020年 5月8日(金)~12日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

イラスト

イラスト

5月9日(土)14:00~16:00 古今亭志ん五 立川談笑 入船亭扇辰 玉川太福*

「渋谷らくご」バラエティ演芸会 浪曲 玉川太福(だいふく)を聴け!

ツイート

今月の見どころを表示

プレビュー

 浪曲というジャンルになじみはなくても、まず「玉川太福」(たまがわ だいふく)という名前を覚えてください。
 そしてみてください! 希代のエンターテイナー、爆笑必至のパーソナリティ。
 古典落語の志ん五師匠、常に現代的であることに向き合う談笑師匠、先月は「3K辰文舎」バンド公演も成功させてくださった扇辰師匠と、最高に気分のよい空間。
 気づけば、あなたがいる場所は令和から江戸まで自由自在。想像したところがあなたのいるべき場所。
そして最後に浪曲に。大団円の予感、ここから生まれるスター!

▽古今亭志ん五 ここんてい しんご
28歳で入門、芸歴16年目、2017年9月真打昇進。平成30年度国立演芸場「花形演芸大賞」で銀賞。先日、自分で散髪をしてみた。ウォータージェットの技術を認知させる「ウォータージェット寄席」という斬新な企画がネットで公開されている。

▽立川談笑 たてかわ だんしょう
27歳で入門。芸歴28年目。2003年真打昇進。早稲田大学法学部を卒業後、司法試験勉強中に落語に出会い落語家になる。司法試験の暗記法を駆使して、入門してすぐに落語50席を戦略的にマスターする。
今年は急遽の入院と復帰、そして現在はDMMオンラインサロンにて、月額制の音源配信を開始している。

▽入船亭扇辰 いりふねてい せんたつ
25歳で入船亭扇橋師匠に入門、現在入門30年目、2002年3月真打昇進。iPadを使いこなし、気になったものはすべて写真におさめている。最近は、ラーメンや餃子をつくっている。自宅のベランダに咲いている花を愛でている。

▽玉川太福 たまがわ だいふく
1979年8月2日、新潟県新潟市出身、2007年3月入門。JFN系列にて放送中の「ON THE PLANET」のパーソナリティとして、毎週火曜日25時から出演中。最近はお取り寄せした「草加健康センターのトマトサンラータンメン」に感動して、再度注文した。

レビュー

文:高祐(こう・たすく) Twitter:@TskKoh

古今亭志ん五-紺屋高尾
立川談笑-イラサリマケー
入船亭扇辰-蒟蒻問答
玉川太福/玉川みね子-男はつらいよ 寅次郎忘れな草

東京の5月はびっくりするように暑い日も、逆に寒い日もあるけれど、若葉の色がだいぶ濃くなり、住宅街にはジャスミンの匂いが濃く漂うような美しい季節だ。ユーロスペースのある丸山町は自然で季節を感じることは難しいけれど、まだぎりぎり汗をかかずに坂を登りきれることで季節を感じていたように思う。今月はそれもかなわないが、一方で普段は会場に来られない方とも一緒に鑑賞できる機会にもなった。指定されたURLをクリックして、画面の前にちんと座って開演を待った。

古今亭志ん五師匠「紺屋高尾」

  • 古今亭志ん五師匠

お客さんがいない状況を落語家らしくとらえていた志ん五師匠、「お客さんが一人という状況は池袋演芸場で慣れている、それより一人少ないだけ」とのこと。ゼロとイチでは全く違うと思っていたが、師匠にかかればたった1の違い、なのだ。
志ん五師匠の師匠である志ん橋師匠とのエピソードが熱く語られたのち、本編「紺屋高尾」に入った。公演後、サンキュータツオさんがこの噺は普通仲入り前か大トリで話されるものとおっしゃっていたが、個人的にも大トリでしか聞いたことがなかったので驚いた。が、どんな形であれいい噺はいい噺、志ん五師匠の安定した語り口で、染物屋の六兵衛親方に奉公する弟子の久蔵が、花魁の高尾に惚れる様子が語られていく。 紺屋高尾といえば久蔵が高尾を花魁道中で見初めて、恋煩いで寝込んで、と知ったかぶりで聞いていたのだが、以前に聞いたことと違ったな、とか、前にあの噺家さんのときはどう語っていたっけ?という場面に、結構な確率で出くわした。例えば身分を偽って会いにいった花魁に、翌朝自分は職人であることを告白する場面。これまで聞いてきた噺では、いつも久蔵から花魁の高尾に告白していたが、志ん五師匠は高尾が嘘を見破るという設定にしていた。こちらの方が、高尾に久蔵の真心を感じてもらうことが難しそうなのだが、何の違和感もなく、志ん五師匠の久蔵は、高尾の心を掴んだのだった。
噺の選び方といい、噺の細部といい、沢山の楽しい発見や裏切りに出会えた一席だった。

立川談笑師匠「イラサリマケー」

  • 立川談笑師匠

前に出てきた志ん五師匠の「紺屋高尾」に、最近問題発言をして物議を醸したあるコメディアンを思い出した、とか、若い環境活動家の彼女出てこなくなりましたね、グレたんじゃないですかね、などと、談笑師匠は今時な話題でまくらを始めた。ユーロスペースまでの渋谷の道中もしっかり観察していて、ラブホテルから出てくるおじさんとお姉さんが二言三言交わして別れていたと語っていたが、その描写がとても落語的に感じられて、顔も知らない二人なのに想像がふくらんだ。
このあと何がくるのかとドキドキしながら待っていた本編は、「イラサリマケー」という新作落語。帰ってひとりでコンビニ弁当を食べるのも侘しいから、ととあるサラリーマンが入ったのは、肌の色の少し浅黒い外国人の店員が、「イラサリマケー」と迎えてくれる飲食店、ビールの一杯目の注文時から怪しい日本語を話すその外国人が勧めてくるメニューが謎すぎる、いやエロすぎる、というお噺。メニュー一つ一つが、サラリーマン自身復唱するのも憚られるほどの単語の羅列で、店員の台詞を言いながら、師匠が思わず、「人がいないと強いね、お前は」と突っ込んでいたところがおかしかった。談笑師匠といえども、こういうネタをやるときは、やはり際どい言葉をどれほど復唱していいのかは、観客の反応をみながらやるのだろう。談笑師匠にとって、どの程度ギアを踏み込んだ仕上げにしたのだろうか。
談笑師匠のご自身のオンラインサロンの案内もあったので、そのギアの度合いを知るべく、あとで覗こうと思っている。

入船亭扇辰師匠「蒟蒻問答」

  • 入船亭扇辰師匠

月に2回は散髪されるという扇辰師匠、今回は35日ぶりに散髪ができてさっぱりとされたとのこと。いつにもましてキリッとした師匠の語りは、談笑師匠をくさしたのち、「蒟蒻問答」の小気味よい親分の噺に入っていった。
今は檀家数自体がだいぶ減っているのだろうが、寺の坊主というのは今でも檀家たちの間で噂になりやすい。あそこの坊主は金に目がないとか酒癖が悪いといった話は、田舎では聞かない話ではない。この噺のように、坊主のなり手がいないから他所からきた暇な人間を坊主にした、というエピソードはさすがにあまりないだろうが、誰でもいいからとよそ者を坊主に仕立て、さらに土地の者がにわか坊主をそそのかす様子は、坊主と言えども人間は人間、というちょっと軽い扱いがみえて可笑しさを誘っていた。
オンライン公演のおかげで扇辰師匠の魅力を感じられたのは、修行僧が問答に答えるよう、坊主に扮した蒟蒻屋の親方に迫る場面のこと。扇辰師匠の視線がまっすぐ自分に向いていた。会場だったら、その目力を真正面で受けられるのは、特定の列にいる、しかもその目線と同じ高さにいる観客だけだ。これが生中継のオンライン配信だと、今、自分がまっすぐ見つめられていると勘違いでき、さらにその目力に圧倒された。扇辰師匠にオンライン公演の魅力を教えていただいた一席だった。

玉川太福さん、玉川みね子師匠 「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」

  • 玉川太福さん、玉川みね子師匠

冒頭、お二人で姿を見せて、みね子師匠を画面の中央側に寄せようとする太福さんの心遣いに、まず心が温まった。
この日の演目は、渥美清が主人公の車寅次郎を演じる「男はつらいよ」の11作目、「寅次郎忘れな草」という映画の浪曲バージョン。渥美清の活躍は十分に記憶にある世代でも、「男はつらいよ」の1本もフルで見通したことがない、という人もいる。私もその一人だがそれでも、この浪曲を聞いていると、あの寅さん、さくら、リリーの表情が、頭の中で自由に動いていく感覚は、まさにいわゆる古典作品を聞いたり読んだりするときの喜びそのものだった。
夜の帝釈天に響いたという、リリーの歌声がどんなものなのか、とか、リリーと彼女の母のやりとりを聞いてこの母親はどんな人間なのか、などと想像力が強く刺激された。映画と比較して視覚情報が少ないせいか、登場人物の複雑な思いにまで聴く者の想像が広がっていく。わがままに聞こえるリリーの母親の過去はどんな複雑なものなのか、ふすま越しに横になるリリーと寅さんが一晩語り合うってどんなことを、なのか(語り合うだけなのか、本当に)、などなど。しまいにはリリーの声を聞いていたであろう帝釈天の気持ちまで考えてしまった。すべては太福さんの語りとみね子師匠の三味線だけなのに、言外も含めた情の濃いやりとりに心動かされた。
太福さんとみね子師匠もおそらくこの1〜2ヶ月は一緒の練習もままならなかっただろうと思われるのに呼吸もぴったりで、その息遣いまで聞こえてきた公演だった。
のっぴきならない用で席を外したタイミングがあり、一部聞き逃してしまった。間違いがあったら申し訳ない。オンライン公演の弱点の一つにしてやられた。

サンキュータツオさんが公演後に、「開口一番で紺屋高尾をかけるとは。普通は場を温める必要があるけれど、そうする必要もないのだから」というようなことをおっしゃっていた。コロナ禍ののち、生の落語会のニューノーマルがあるとしたら、こういう番狂わせ、つまり大ネタと言われる噺が順序問わずかけられることが一般化する、ようなことがあるかもしれない。場を温めるということはどういうことなのか、大ネタで場を温めて何が悪いのか。特に、二つ目も真打も関係なく出番が組まれる渋谷らくごから、落語会のニューノーマルは生まれるのではないか、そんな予感を持った回だった。

写真:渋谷らくごスタッフ
写真の無断転載・無断利用を禁じます。