渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2015年 12月11日(金)~15日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

イラスト

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12月14日(月)20:00~22:00 春風亭昇々、柳家ろべえ、神田松之丞、立川談笑

「渋谷らくご」談笑おじさんに飛びかかる、昇々、ろべえ、松之丞!

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プレビュー

お客さんと談笑師匠に、いま一番見せたい二つ目(のなかからスケジュールの合った人)、というコンセプトの番組です。

 談笑師匠は、いま勢いのある二つ目であり、『現在落語論』を出版した立川吉笑さんの師匠で、あの談志師匠の直弟子です。昨年12月の渋谷らくご(「ひとりらくご」)以来のご出演です。この師匠の魅力は、どんなお客さんの需要にも応えられる懐の深さです。落語を聴く人によって、落語に求める「芸術性(いいもの見た感)」と「大衆性(楽しさ)」の配合のバランスがちがいます。芸術8、大衆2、でも、芸術2、大衆8でも、この師匠は対応できるのです。もちろん自分のスタイルや目指すバランスというものというのは当然おありだと思いますが、今年は前に二つ目が3人登場します。しかも個性豊かな3人です。勢いのある昇々さんが笑わせて、落ち着きのあるろべえさんが聴かせ、談笑師匠と初競演の松之丞さんがみっちり古典、あるいは爆笑の創作をなさったとして、そのときの空気に合わせたなにかをなさってくださるはずです。後ろにどっしりと構える真打の師匠がいらっしゃるからこそ、また二つ目さんたちも奔放に輝けるというもの。

 若いパワーを感じて談笑師匠が、この渋谷らくごをどういう空気にしてくださるのか楽しみな夜です。人気者にしか見えていない風景というものがあります。そのオーラを客席の皆さまにも感じ取っていただきたいと思います。

レビュー

文:ちあき Twitter:@chiaki_ichi 女 会社員 趣味:アウトドア、サイクリング

12月14日(水) 20時~ 22時「渋谷らくご」
春風亭昇々( しゅんぷうてい しょうしょう ) 「お見立て(おみたて)」
柳家ろべえ( やなぎや ろべえ ) 「初天神(はつてんじん)」
神田松之丞( かんだ まつのじょう ) 「赤穂義士銘々伝 勝田新左衛門(あこうぎしめいめいでん かつたしんざえもん)」
立川談笑( たてかわ だんしょう ) 「シャブ浜」

師匠が暴走する師走の回

落語好きにとって12月はとてもわくわくする時期。四季それぞれに噺があるけれど、冬、特に年の瀬を題材にした噺はとても多いです。その多くが心温まる人情噺。有名なところだと「芝浜」や「文七元結」。夫婦や家族の絆を噛みしめ、心穏やかに年を越す、なんて素敵なんでしょう。しかしシブラクにそんな生易しい感性はありません。心穏やかどころか、心がざわつく、まさにシブラクらしい師走の回。

お見立て/春風亭昇々さん

  • 春風亭昇々さん

    春風亭昇々さん

「お見立て」という噺は決して珍しいものではなく、他の噺家さんもよくかける有名な噺です。喜瀬川花魁が面倒な客・杢兵衛を追い返すため、自分は病気だと言えと喜助に言いつける。喜助が喜瀬川の言うとおり伝えると、杢兵衛さんは見舞いに行きたいと言いだす。だったら自分は死んだと言えとまたしても喜瀬川に頼まれた喜助。そのとおりに伝えると、杢兵衛さん今度は墓参りに行きたいと言いだす。喜助は杢兵衛さんを連れて存在しない墓へ墓参りへ行くことに…。
この噺は、喜瀬川花魁のわがままな態度、自惚れやの杢兵衛さんの勘違いぶり、その二人の板挟みになる喜助の困惑、登場人物の性格、状況が個々に際立っているのですが、それを狂人・昇々さんが演じるのですから、もはや極まっています。とにかく面倒くさそうな喜瀬川に、その頼みをまた面倒くさそうに伝える喜助、この二人も凄いのですが、昇々さんの「お見立て」の主役はなんてったって杢兵衛さん。田舎訛りでいかにも芋っぽくて、喜瀬川が裏で嫌っているのも露知らず、喜瀬川が自分に惚れこんでおると思いこみ、挙句の果てに彼女が自分に恋焦がれて死んだという嘘を本気にして自らを責める強烈勘違い野郎!イケメンな昇々さんなのに、この杢兵衛さんを演じている時はどう見たって格好よく見えやしない。落語のキャラクターはなんだかんだで憎めない人が多いのですが、この杢兵衛さんに限っては苛立ちを覚えるほどのナルシストっぷり。昇々さんの「お見立て」はこの日2回目だったのですが、たぶん何度見たってこの杢兵衛さんは好きになれない自信がある!でもなんだか病みつきになるのです。

初天神/柳家ろべえさん

  • 柳家ろべえさん

    柳家ろべえさん

ろべえさんの師匠、柳家喜多八師匠は人気、実力ともに現在の落語家の中でもトップクラスのお方。常にけだるそうな、やる気のなさそうな、面倒くさそうな、そんな雰囲気で話し始めるのに、噺が終わるころには客席を爆笑の渦を起こす凄い方です。そのお弟子さんであるろべえさんを見るのはこの日が初めてでしたが、驚いたのはろべえさんの語り口、仕草、所作が喜多八師匠そっくりなこと。どんなに師弟といってもここまで似ることができる?というくらいそっくり。完コピと言っていいくらい。
ネタは「初天神」。私は喜多八師匠の「初天神」は見たことないのですが、ろべえさんの「初天神」を見ていたら不思議とそれを演じている喜多八師匠が見えてくるような気がします。年初めの天神様の縁日に嫌々息子を連れていくお父さん、おねだりしないという男の約束を交わして家を出たはずなのに、息子はやっぱり駄々をこねる。息子はどこで覚えたのやらずる賢い手口で父を困らせ、結局飴に団子にと買わされる始末。息子のおねだりを面倒臭そうに聞く父の姿は喜多八師匠そのもの。でも、それはものまねじゃないのです。喜多八師匠がやるとおり演ずることで、師匠の視点から見える世界を自分も見ようとしているような、そんな風に感じたのは私の深読みでしょうか。
落語の世界には”化ける”という言葉があり、これは落語家さんがいい意味でがらりと変わることを指します。ろべえさんはこのまま喜多八師匠と同じ地点から世界を見つめ続けるのか、それとも今後別の場所を見つけ世界を見るようになるのか。同じものを見るにしても、場所が違えば、角度が違えば、全く違って見えるもの。正解も間違いもない世界だからこそ、これからろべえさんがどうなるのか、とても楽しみです。

赤穂義士銘々伝 勝田新左衛門/神田松之丞さん

  • 神田松之丞さん

    神田松之丞さん

この日が赤穂浪士討ち入りの日だということで、赤穂義士銘々伝より勝田新左衛門をかけてくれました。そうそう、こういうのが年末の楽しみなのです。
赤穂藩の廃藩で浪人となり、大根売りとなった勝田新左衛門、その妻子を引き取った舅の重兵衛が偶然彼を見つける。舅の頼みの通り妻と息子へ会いにいく新左衛門。成長した息子は父に自分の手習いを見せる。そこに書かれていたのは「いろはにほへとちりぬるを…」。諸行無常を詠んだその歌を見た新左衛門、翌日の討ち入りのことなど何一つ口にせず、ただ息子の手習いを褒め、妻子へ別れを告げ家を後にする。翌日銭湯で吉良邸への討ち入りを聞いた重兵衛は、そのなかに新左衛門が含まれていたことを知る。松之丞さんのおっしゃる通り「別れ」を描いたドラマです。
松之丞さんは何をやらせたって面白いので、あまりマクラで噺の説明をするところなど見たことないのですが、この日「この噺は初めの十分は面白くない、但し十一分目から面白くなる」と説明をつけてらっしゃいました。私を含め講談に慣れ親しんでいない者にとって、こういうちょっとしたヒントがあると噺の入り方が全く変わるんじゃないでしょうか。落語や講談、特に講談は意外と集中力がいるので、どこが山場かわかると聞いている方も力の配分が分かるのですごく助かります。事実最初の十分あまり笑う場面も大きな展開もないのですが、初めの説明があったので何の違和感もなく力を抜いて聞け、その後の大事なシーンで一気に集中して感情を揺さぶられる体験が出来ました。単なるテクニックというよりは、「みんなに講談のよさを知ってもらいたい」という松之丞さんの想いから生まれたアイデアでしょう。彼が講談再興の担い手であることは間違いありませんが、その陰にしっかり裏打ちされた彼の講談への愛情と自信をまた一つ見たような気がしました。

シャブ浜/立川談笑師匠

  • 立川談笑師匠

    立川談笑師匠

笑えるネタでも泣けるネタでもなんでも来いなこの師匠がこの日何をかけるのか、個人的にはとても楽しみにしてました。年末だしやっぱり芝浜だろうなー、芝浜聴けちゃうんじゃないかなーなんてウキウキしていたのですが、マクラの早い段階で芝浜はやらないと断言。文七元結もつい最近かけたからという理由で却下。そして始まった噺。「ねえねえ、お前さん、起きてよ、仕事行ってくれよ」という台詞はどう考えたって「芝浜」。てっきり師匠が心変わりしたのかと思いきや、その数十秒後、その亭主は魚屋でなくトラックの運転手であることが知らされ、客席は「そうきたか!」という興奮と「どういうこと?」と困惑でざわめきます。ネタは「芝浜」の改作、「シャブ浜」。主人公の男は元暴走族総長、働きもせず金もないのに毎日シャブを打ちまくる。妻に止められてもやめず、挙句の果てに身ごもった彼女に暴力をふるってまでシャブを買う金をせびる。金が底をつき、幻覚が見えるまでになっても打ち続け、妻にも見放され、ついぞ人生を滅ぼす。噺の筋は「芝浜」と変わりませんが、そのエッヂの効き方は正に立川流。人情噺を聴けるとでも思ったのかと嘲笑うかのように男はキメまくる。たしかに「芝浜」も酒びたりの男の再生の噺ではありますが、「シャブ浜」の男は余りにも深く堕ちすぎて、ラストシーン、男が試される場面は正直彼が再生したと言えるのかが分かりません。むしろまだ再生したとは言い切れない、あるいは永遠に再生出来ないのではないか、そんな不安を観客につきつけます。けれどそれまで張りつめていた噺に急に笑いがもたらされるのはその直後。男にとっては妻の愛情が、観客にとっては笑いが、この噺の救いとなります。本当落ちぶれるっていうのは、そして本当に再生するってのは、そんな綺麗ごとじゃすまないんだ。談笑師匠流の人情噺です。

全員が持ち時間オーバーで予定時刻の22時を30分以上もオーバーするほどの熱気溢れる回。月曜日から凄いもの聞いてしまったなぁという余韻に浸りつつも、「芝浜」が聞けなかったのが悔しいのでやっぱり鈴本演芸場の「芝浜を聴く会」(※)に行こうかなと思いながら帰るのでした。

※毎年12月に上野の鈴本演芸場では「芝浜を聴く会」と題して、10日間連続、毎日別の噺家さんが「芝浜」を演じています。ご興味ある方は是非来年行ってみてください。聴き比べるとより一層「シャブ浜」の凄さが分かるはずです(色んな意味で)!

  • トーク:トミヤマユキコさんと

    トーク:トミヤマユキコさんと

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