渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2017年 1月13日(金)~17日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

イラスト

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1月13日(金)20:00~22:00 立川談吉 神田松之丞** POISON GIRL BAND 立川吉笑

「渋谷らくご」才能:立川吉笑、トリをとる。

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プレビュー

 ◎ニコニコ公式生放送「WOWOWぷらすと」中継あり(http://www.wowow.co.jp/plast/


 『現在落語論』発売から約1年。落語家になって7年目にして、レギュラー司会番組をもったりテレビ出演をこなしたりと、時代を走り抜ける寵児。その活動が、これまでの落語家の売れ方ではないあり方に繋がっている。
 卓越した物語設定、コントよりも上質な展開、観るものすべてをグイグイ引き込む落語は唯一無二。才能をなめまわす回です。


▽立川談吉
たてかわ だんきち
26歳で入門、芸歴9年目、2011年6月二つ目昇進。趣味は、ガンダムのプラモデル。落語を聴きながらガンプラを制作している。ツイッターのヘッダーもプラモデル。照れた表情が可愛らしい。PSvitaに興味があるようすをつぶやかれている。

▽神田松之丞 かんだ まつのじょう
24歳で入門、芸歴10年目、2012年5月二つ目昇進。プロレス好き。iPadを使いこなす。冬はお洒落なグレーのニットの上着を羽織って楽屋入りする。いま演芸会でもっとも注目されている若手。渋谷らくごでは松之丞さんのクリアファイルを発売中、クリアファイルの顔が静かなブーム。

▽POISON GIRL BAND ぽいずんがーるばんど
1998年結成、2000年再結成。1979年生まれ。立ち位置、客席から見て左・阿部智則(あべとものり 宮城県出身)、右・吉田大吾(よしだだいご 東京都出身)。
2004年、2006年、2007年「M-1グランプリ」決勝進出。映画好きのコンビ。何時間でも聴いていられる漫才。これこそ演芸の漫才。
吉田さんは初詣で今年「凶」をひいた。15ヶ月ぶりの「渋谷らくご」登場、立川左談次師匠の代演。

▽立川吉笑 たてかわ きっしょう
26歳で入門、現在入門7年目、2012年4月二つ目昇進。
2015年末『現在落語論』を出版。音楽番組の司会に抜擢される。先月開かれた、立川談志師匠の孫弟子6人での公演「立川流が好きっ」という落語会を立ち上げ引っ張った様子がツイッターで見受けられた。相当な酒豪で、毎日お酒を飲まれている。酒癖があまりよくないらしい。立川流の若手と落語研究会のような活動をして談志師匠の理念を継承している。

レビュー

文:井手雄一 男 34歳 会社員 趣味:水墨画、海外旅行

1月13日(金)20時~22時「渋谷らくご」

立川談吉(たてかわ だんきち)「天災」
神田松之丞(かんだ まつのじょう)「寛政力士伝 雷電の初土俵」
POISON GIRL BAND(ぽいずんがーるばんど)「漫才」
立川吉笑(たてかわ きっしょう)「ぞおん」


「VIRTUAL INSANITY」


立川談吉さん



  • 立川談吉さん

    立川談吉さん



 インド映画「ムトゥ踊るマハラジャ」のような、エスニック落語でした。
 序盤、まるで「ビリケンさん」のような愛らしさを振りまきながら、「おもちって、本当は危険な食べ物ですよね?」とか、「最近クックパッドが便利で、よく使っています」といった小咄で、穏やかに助走を付けているなと思ったら、次の瞬間、いきなり全力で踊り出したので、私は思わず「うおっ!」っと声をあげてしまいました。
 こうして、『短気は損気である』というテーマを、シチュエーションだけを変えて、何度も何度も訴えかける本編が始まるのですが、これが例えば「家族に腹が立って、もう我慢できない!」と、短気な主人公がご隠居さんに相談に行くと、「お前は愛が足りないよ。短気は損気だよ」と言われ、二人はそのままそれについて、ひとしきり踊りを踊ります。しかし、やっぱりまだ腹が立つので、「離縁状を書いてもらおう」と、別の男のところへ行くも、「すべては神様の思し召しだよ。短気は損気だよ」と、これまた同じことを言われ、また一緒に踊り始めるといった調子が、延々と最後まで続き、ラストはついに悟りを開いた主人公が、クマという友人のところへ行って、「やっぱり、短気は損気なんだよ!」という歌を、喜び溢れんばかりに大合唱しながら、これまで出てきた人たち全員と踊りまくって、この話はおしまいになりました。最後まで終始一貫した、「芯のある妙なテンション」で駆け抜けるその姿は、インドやタイの映画のそれと、大変よく似た印象でした。
 作品の結論としては、「この世のすべては神様の思し召しであり、人の一生はすべて運命で決まっているので、言い争いなんかしてる暇があったら、楽しく踊るべきである」という、ヒンズー教的な、突き抜けた諦観からくる、「楽観性の肯定」ではないかと、私は考えています。
 他にも映画なら、吹き替え版の「燃えよデブゴン」、漫画なら「逆柱いみり」、音楽なら「渋さ知らずオーケストラ」などが好きな方にオススメです。


神田松之丞さん



  • 神田松之丞さん

    神田松之丞さん



 愚零闘武多(グレート・ムタ)のような、華のある「ヒール・レスリング」でした。
 この方もムタと同じように、やはり三味線の入場行進曲と共に、花道から高座へ上がるのですが、最初は「頭巾」ならぬ「眼鏡」を掛けているため、その表情をうかがい知ることができません。ですが、今回は眼鏡を取るやいなや、客席に向かって毒霧ならぬ毒舌を吐いて、親指で首をかき切るという、ヒール・パフォーマンスをして、場内を盛り上げていました。
 その間、解説者は前回までの「オーバー90の老人ホーム」で行われたマッチメイクが、いかに「オーバー80」のそれよりも、過酷なものであったか、また「観客が全員坊主」という、完全にアウェーな状況のなかで、いかにしてブーイングを歓声に変えたかという、これまでの試合のハイライトについて、熱っぽく紹介していました。
 そうこうしているうちに、ゴングが鳴り、一度食らいついたら離さない、通称「ノミ」というリングネームのレスラーと、神田松之丞扮する「雷電」の試合が始まりました。試合は、いつも膠着状態に持って行こうとする、力士あがりの「ノミ」特有のファイティングスタイルに対して、観客からブーイングが出たところで、そいつを雷電があっさり、場外負けにしてしまいましたが、それを見ていた「黄金の左腕」を持つという、ノミのチームメイトのレスラーが、怒ってリングに乱入してくるという、波乱の展開となりました。
 雷電は、そいつの必殺ラリアット、「アックスボンバー」を食らって、鉄柱に追い詰められてしまいます。しかし、レフェリーはまさかの試合続行を指示。そうです、レフェリーもグルだったのです!絶対絶命のピンチに追い詰められた「雷電」でしたが、このピンチを毒霧で目つぶしをすることで、みるみる形勢を逆転し、必殺のムーンサルトプレスを華麗に決めて、文句なしのスリーカウントを取ったところでゴングが鳴り、今回の試合は幕を下ろしました。
 どこまで、連勝記録を重ねるのでしょうか。これからも、この方から目が離せません。
 他にもレスラーなら「ヘルレイザーズ」、芸人なら「プチ鹿島」、音楽なら「hide」が好きな方にオススメです。


POISON GIRL BANDさん



  • POISON GIRL BANDさん

    POISON GIRL BANDさん



 いろんなゲシュタルトが崩壊した、逆説の心理学漫才でした。
 普通、お話のリズムというものは、「タン・タン・タン」と、表からビートが刻まれて行くものですが、この方々の場合は、「半間遅れた、ンタ・ンタ・ンタ」という、「裏打ち」で話が転がっていくため、どこか時間をさかのぼっていくような、奇妙なループ感覚がありました。
 そして、ストーリーもそれに則っているため、せっかく「しりとり」などの会話が立ち上がっても、次は成り行き上、必ず「りんご」と来なければならないところを、いきなり「ぶどう」と言ってしまうので、もうその時点で、メインストリートが、いきなり通行止めになってしまいます。ですので、当然の帰結として、もうどうしようもなく脇へ脇へと、話がそれてしまう様子が、まるでカフカの小説のようで、大変に面白かったです。こうした理由で、最終的にこの「しりとり」はいつのまにか、「ゴリラの物真似というよりも、連獅子に似ているよね」という、わけのわからない方向に完全に消え去ってしまいました。
 他にも例えば「英語」を教えてくれと言う、台詞があります。そこで、じゃあ「これはペンです」を、英語で言ってみろという会話が始まるのですが、相手は「英語という存在、そのものを知らない」という、初手で詰んでいる状況のため、お話はスタート開始のわずか三歩目から、いきなり後ろへバックしてしまいます。ここでは、なまじ「英語っぽい発音」というものだけは知っているため、「コレハぺんデス」と、英語のイントネーションで、日本語を一生懸命練習してしまうという、文字通りひっくり返りそうな内容が幕をあけ、絶望的なまでのコミュニケーションの断絶のありさまが、そのまま次々に提示されていきます。一球、一球玉を新しいものに交換した、会話のキャッチボールと言えば、わかりやすいでしょうか。
 私はこの方々の作品に、「漫才」という形式それ自体に対する「強い信頼」のようなものを感じるのと同時に、文脈や共通項など無くても我々の会話は成立してしまえるという、「物語」のあり方に対する批評性のようなものを感じました。そういう意味では、この作品上のやり取りは、極めて現実そっくりなリアリティー溢れるものだと、言えるかもしれません。
 ゲームなら「ムーンライトシンドローム」、小説なら「円城塔」、漫画なら「弥次喜多 in DEEP」が好きな方にオススメです。


立川吉笑さん



  • 立川吉笑さん

    立川吉笑さん



 「目的を最初から手段化」している、新感覚のメタフィジカル落語でした。
 もちろん、目的というのは「落語」そのものなわけですが、それは今作に「落語内落語」があることから、端的に読み取ることができます。例えば、「絵に描いたドーナッツに、色を塗ってもらう」という「幻の落語」が序盤で始まるのですが、実はこんな落語は存在しません。なぜかというと、「俺たちの『この落語』って、実はまだ無いんだった!」と、登場人物たちが、メタフィクション的に気付いてしまい、唐突に話が中断してしまうからです。この超アクロバティックな展開に、目を白黒させていると、「この間、カレーを作っていたんですよ」という、普通のマクラが続いていくので、「なんだ、これはフェイントだったのか!」と、ようやくほっとすることができました。
 このように本作は、「落語」というもの、それ自体をサンプリングして、落語的な面白さを再構成するという、極めてhip-hop的な構造を持っています。
 しかし、そんなことを考えているのもつかの間、作者は再び始まった、このマクラの中で、自分の作った「カレーと会話」を始めます。一瞬、そうした冗談かなと思っていると、「自分の作ったカレーが寝なくて美味しくならないので、病院に連れて行く」というシーンへと発展し、ここでようやく、これが「マクラに擬態した本編」であるということが判明します。
 これこそ「落語という本編をマクラ化」してみせた、まさに「目的を手段化」してみせた、確たる証拠ではないでしょうか。  しかし、そんなことを考えているのもつかの間、まるで別のレコードを急に掛けたかのように、それとは全然違う、「本編のようなもの」が、そのマクラをぶった切って唐突にはじまります。それは、とある男が、自分の理解を超える異常な状況に出会い、そこに慣れ親しんでいくまでのストーリーでした。
 ここでようやく、この作品の本当の全体像が明らかになります。つまり、この「ぞおん」という本編自体が、この作品世界の展開を、俯瞰して説明するものになっているのです。
 このようにして、「目的を消してしまったために、もはや手段しかなくなってしまった」という、「ポスト落語」とでも呼ぶべき、唯一無二の作品世界が構築されています。
 絵画なら「エッシャー」、小説なら「殊能将之」、アニメなら「ひぐらしのなく頃に」、映画ならフェリーニの「8 1/2」が好きな方にオススメです。


 以上、一番手による、まるでウィッキーさんのような、日本語がペラペラなのに、どこか漏れ出てくる異国情緒によって、常識の軸をグラグラと揺すぶられる異様な話が終わると、続く二番手は、今話題のカリスマ興行師による、怪しい魅力を放つ「日曜日のセミナー」が始まり、この人を信じて追いかけてみようかしら、と本気で迷いはじめていると、続く三番手は、二人組のアートユニットによる、「ジャクソン・ポロック」か「草間彌生」みたいな、まさかのライブペインティングでした。
 そして、その「どこにも消失点がなく、目線を落ち着かせる部分が全然見あたらない作品」をバックにして、いよいよ登場した「大トリ」は、「BECK」のようなコラージュ音楽か、または「フライング・ロータス」みたいなゴリゴリのエレクトロニカで、「簡単には踊らせてくれない」変則DJの世界でした。 
 今回の、「伝統より革新を全面に押し出した作品群」を見ていると、落語や漫才というものは、芝居みたいに役を演じるという前提から出発して、アニメみたいに情報を記号的にデフォルメすることも、また音楽のように演者本人が作品に接近したり、離れたりすることもできるという、大変ヴァーチャルな表現が可能なんだなということを、あらためて実感いたしました。
 とりわけ、その「省略した情報」を、とことん積極的に活用する、立川吉笑さんの圧倒的な『才能』は、現在進行形的な面白みを強く持っているので、同時代を生きている「他ジャンル」が好きな方にこそ、是非とも生で見てもらいたい、傑作だと思います。とても良い物を見せていただきました。
 どうもありがとうございました。
【この日のほかのお客様の感想】
「渋谷らくご」1/13 公演 感想まとめ

写真:渋谷らくごスタッフ