渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2015年 10月9日(金)~13日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

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10月9日(金)20:00~22:00 瀧川鯉八、玉川太福、春風亭昇々、立川生志

「渋谷らくご」金曜の夜、思い切り楽しむ落語会

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プレビュー

金曜日の夜と鯉八さんは相性が良い。1週間使った脳みそに刺激を与える鯉八落語。どうなっているのか全貌がつかめない世界観で、よくよく考えると恐怖さえも感じるようなディストピアな世界。しかし鯉八さんの表現力の高さによって、自然とその鯉八ワールドを目一杯楽しんでしまっている。

浪曲の玉川太福さん、先日太福さんはツイッターで、ラグビーの日本代表のことをものすごく熱くつぶやかれていました。高校と大学をラグビーに捧げた熱い男です。がっしりとした体格から発せられる声が、ひ弱でへなへなした声なわけがありません。どっしりと重く心に突き刺さるお声です。浪曲という芸能がなにかわからなかったとしても、まずはお声にぶつかってみてください。最高に心を揺さぶられる芸能であるということがわかるはずです。

次が昇々さん、先月渋谷らくごでは「スーパー昇々ウェーブ」を起こしたばかり。ですが、この昇々さん、ウェーブに巻き込まれたままどこかに行ってしまいました。ダブルブッキングにより休演! こんなことってあっていいのか!? ネットで休演を告げると即座に反応した男がひとり。「ぼく出してください!」、スーパー小痴楽ヘルプです! なんという漢気! 「渋谷らくごで味わう緊張感が好きです」とのこと。みなさん、精一杯小痴楽さんに期待しましょう! そして緊張させてやりましょう!

そして最後が生志師匠、毒舌とひねくれた視点で世の中と落語を観察しています。しかし、本当は心優しい師匠、毒にはキュートな部分が見え隠れします。感情を思いっきり揺さぶられてみてください。

レビュー

文:noboru iwasawa Twitter:@taka2taka2taka2 50代男性 職業:会社役員 落語歴:少々 趣味:クライミング

10月09日(金)20時~22時「渋谷らくご」
瀧川鯉八(たきがわ こいはち)「おはぎちゃん」
玉川太福(たまがわ だいふく)浪曲「また大阪に行ってきました物語」
《曲師:玉川みね子(きょくし: たまがわ みねこ)》
柳亭小痴楽(りゅうてい こちらく)「磯の鮑(いそのあわび)」
立川生志(たてかわ しょうし)「芝浜(しばはま)」
〔高座返し(こうざがえし):春風亭昇市(しゅんぷうてい しょういち)〕

「金曜の夜、思い切り楽しむ落語会」

【瀧川鯉八(たきがわ こいはち)「おはぎちゃん」】

  • 瀧川鯉八さん

    瀧川鯉八さん

(東京かわら版名鑑、落語芸術協会HPより)
平成18年8月 瀧川鯉昇入門 前座名「鯉八」
平成22年8月 二ツ目昇進..
平成23年度 NHK新人演芸大賞 落語部門 決勝進出
平成27年度 NHK新人落語大賞 決勝進出(決勝10月26日)

鯉八さんが紹介される多くの場面において、異口同音に、「落語界の天才、若き奇才、無二の鬼才、稀才等」と言うちょっとeye-catchingな言葉が並び評されております。それは、これまでの落語において描くことがなかったテーマを訴求、追求した作品が多い為でしょう。地域寄席、学校寄席を除けば、ほぼ”新作落語”(自作現代作)を口演するスタイルが”コイハチワールド”となるのでしょう。

7月11日のシブラク、柳亭小痴楽さんのレビューの中で「成金」メンバーを紹介させて頂きました。その時の鯉八さんは『男気のある天才、奇才』と書かせて頂きました。”男気”と冠させて頂いたのは、2015年1月24日(土)新宿末広亭「五派で深夜」での事です。出演順は、あみだくじだったそうですが、開口一番で笑福亭べ瓶さん(昨年NHK新人落語大賞決勝進出)が爆笑のマクラとスピード感あふれる「いらち俥」(江戸落語では”反対俥”)でお客様をあたため、鯉八さんは自作現代作「ぼくの兄さん」でサクッと9分で、高座を降りました。それは、まだ二つ目になって半年、初めて新宿末広亭の高座に上がる立川流(立川流は定席には出られません、もしかしたら最初で最後かも)の立川笑二さんの為に、時間をたっぷり残して置く為でした。それを受け、笑二さんは「大工調べ(序)」”言い立て”(啖呵の部分)を見事に決め、満場割れんばかりの拍手でした。直後に上がった、三遊亭好の助さん、マクラで「二つ目、まだ半年ですって!私も頑張らねば!」と称賛。
「大工調べ」を見事に演じきった笑二さんも素晴らしかったが、それを演出した鯉八さん、所属協会は違えども、”男気”対応に感心し、感動すら覚えたことを、強く印象に残っております。

“コイハチ・ワールド”の魅力は、タツオさんの言葉を借りれば、デストピア(dystopia)と、正反対の社会であるユートピア(Utopia・理想郷)のパラレルワールドの中で、時間軸をずらすことによって、生じる幻想的な空間、ジョージ・オーウェルの「動物農場」やアンソニー・バージェスの「時計じかけのオレンジ」など未来的に描かれる空間と、今現在目の前に起きている現実との差を、人の感情の機微(きび)を表現することによって、笑いに繋げているのではないでしょうか。

さて本日は、・・・いつもの様に出囃子に乗って上手からゆっくり、ゆったり高座に。今日は何をやってくれるのかな?
通常、鯉八さんの場合、マエフリで自らを鼓舞するかの様に、ハードルをグイグイ上げ始めるのです。
たとえば・・・「私くらいの天才になりますと……」

開口一番「コイハチ・ビッグバンが来てます」・・・・「誰よりも自分に期待している」
いきなり”コイハチ・ワールド”全開。
「犬はかわいいのか?」
「いいや、犬かわいいよ!」「呼べばくるから!」
「人間は呼んでも来ない!」
「おはぎちゃ~ん!」
創作らくご、自作現代作なので、粗筋は控えます。

鯉八さん、四年ぶりにNHK新人落語大賞決勝進出(決勝10月26日)いたしました。
それも、他の成金メンバー2名、上方2名と共に、決勝5名。ちょっとした”事件”でしたが、冷静に考えれば、成金メンバーの個の力、集客力、話題性、どれも新しい今年の”風”であることは、間違えないでしょう。
今後、どの様な活躍を見せてくれるのか?どんな”落語”を演じてくれるのか?楽しみでなりません。そんな若手の御ひとりです。感謝。

【玉川太福(たまがわ だいふく)浪曲「また大阪に行ってきました物語】
 《曲師:玉川みね子(きょくし: たまがわ みねこ)》

  • 玉川太福さん・玉川みね子師匠

    玉川太福さん・玉川みね子師匠

(東京かわら版名鑑、一般社団法人日本浪曲協会HPより)
平成19年3月、二代目・玉川福太郎門下に入門。玉川太福(たまがわだいふく)
平成19年11月、浅草・木馬亭にて初舞台
平成24年 日本浪曲協会の理事に就任
平成25年10月「年季明け」

浪曲の世界には、落語・講談(関東)の「前座・二つ目・真打ち」といった身分制度はないそうです。入門から3~5年程度で、「年季明け」(もしくは「年明け」「名披露目」)という区切りをつける慣例があり、これは落語・講談の「二つ目」に昇進するような意味あいなのだそうです。

浪曲の関東と関西の違いは、7月11日シブラク玉川奈々福さんのレビュー、及び9月11日シブラク春野恵子さんのレビューでコメントさせて頂きました。太福さん、男流、関東節の数少ない浪曲師の御ひとりとなります。
一声(ひとこえ)、二節(にふし)、三啖呵(さんたんか)といわれ、個性豊かな声。絶妙なタイミングで繰り出される節(歌う部分)。物語の情景、人の感情を表現する啖呵(台詞の部分)。これらが三位一体となっていい浪曲ができると言われています。

前座さん(春風亭昇市さん)の高座返しが終わると、一瞬の静けさの中、先ず上手(かみて)に曲師:玉川みね子さん登場。
曲師:玉川みね子(きょくし: たまがわみね子)(一般社団法人日本浪曲協会HPより)
太福さんの師匠である、故・二代目玉川福太郎の配偶者 現在一般社団法人日本浪曲協会理事

ちょっとしたザワつきを打ち消すかのように、力強いビートの効いた三味線の音。少し遅れて、上手より玉川太福さん、拍手の中、舞台中央の高座へと、高校・大学時代にラグビーで鍛えた体は、颯爽としながらも、堂々と、なんとも頼もしい立ち姿、胸を張り笑みを含んだ表情は、会場全体を受け止め包み込む大きさを感じさせてくれました。
“かっこえ~じゃん”
「本当は、しゃべっちゃいなよ!に出たかったんです。スケジュールが合わず残念です。なので今日は、一人しゃべっちゃいなよ!を演らさせて頂きます」
「また大阪に行ってきたんです」

話のアラスジは、「大阪公演とその打上の後、帰京のため、寝台夜行列車に乗りました」とそれだけのお話ですが、放送作家をやられていただけに、見事な演出、構成、台詞ワリ、そしてケレン(笑い)たっぷりに、演じていただき、楽しませて頂きました。浪曲を勉強しないと行けないな~と再認識させていただいた一曲(一席)でした。感謝

因みに私の好きな玉川太福さんの創作浪曲は『銭湯激戦区』です。

【柳亭小痴楽(りゅうてい こちらく) 「磯の鮑(いそのあわび)」】

  • 柳亭小痴楽さん

    柳亭小痴楽さん

(東京かわら版名鑑、落語芸術協会HPより)
平成17年10月 「ち太郞」で初高座
平成20年6月 五代目柳亭痴楽門下へ「柳亭ち太郞」
平成21年9月 柳亭楽輔門下へ
平成21年11月 二ツ目昇進 「三代目柳亭小痴楽」
平成23年12月 第22回北とぴあ若手落語家競演会 奨励賞
平成27年10月NHK新人落語大賞 決勝進出(決勝10月26日)

7月11日シブラク柳亭小痴楽さんのレビューにて紹介させて頂きました。最近のトピックでは、やはりNHK新人落語大賞決勝進出(決勝10月26日)ですね。前出、瀧川鯉八さん、シブラクでおなじみの、春風亭昇々さん、成金メンバー2名、上方2名と共に、決勝5名。ちょっとした”事件”です。
9月20日(日) TBSラジオ赤坂スタジオにて行われました「爛漫ラジオ寄席」の公開収録時での紹介では、「人気急上昇中の若手二つ目の落語家、講談師11名で組まれたユニット”成金”そのリーダー・・・・・」いつの間にか”ユニット成金”として全国に放送される存在となっております。

本口演は、春風亭昇々さんの代演での出演です。昇々さん”旅の仕事”(地方公演)とダブってしまい、その経緯をツイッターで知った小痴楽さんが手を挙げた形になったようです。SNSを活用してるシブラクらしい展開ですね。

軽やかに駆け上がる様に高座へと、座布団から膝がはみ出すぐらいのところにちょっと斜にかまえ、すこしだけ早口でリズミカルに噺に入りました。マエフリで前出、TBSラジオ「爛漫ラジオ寄席」の公開収録での口演、マクラ全カット噺をされてました。当日ニコニコ公式生放送「WOWOWぷらすと」中継が入るので、たぶん気を使って”TBSラジオ”の名前は伏せたのでしょう、しかしTBS公開収録ではカットに。小痴楽さんらしいと言えば、・・・ですね。

スピード感あふれるマクラからマエフリ、キレッキレでした。大きな笑いを取った後、その勢いで明るく「磯の鮑」に入りました。廓噺(くるわばなし)ではありますが、男女の機微についてのプロット(物語)がほとんどなく、むしろ明るい滑稽噺として演じていらっしゃいました。このお噺、ちょっと演出を間違えると、ただ「与太郎さん」を”からかい””笑いもの”にし、苛(いじ)めている様な、嫌な噺になってしまいます。そうならないよう、テンポよく、明るく、表情豊かに演じられる「与太郎さん」は、とても楽しそうでした。

落語の一つの形で”オウム返し”というメソッドがあります。今回もその一つで、ご隠居から教わった事を自分でやってうまく行かずドタバタで失敗する。簡単に言ってしまいますと、そんなお噺です。

今回のサゲにも繋がる、キーになるフレーズ「磯の鮑の片想い」万葉集にある、歌に由来した言葉のようです。
「伊勢の海人(あま)の 朝な夕なに 潜(かづ)くといふ 鮑(あはび)の貝の 片思(かたもひ)にして」
(作者不明 万葉集 巻十一 ニ七九八)
《伊勢の海人が朝ごと夕ごとに潜って捕るという鮑の貝のように、私の恋もずっと片思いのままですね》
また、次のような歌もありました
「手に取るが からに忘ると 海人(あま)の言ひし 恋忘れ貝 言(こと)にしありけり」
(作者不明 万葉集 巻七 一一九七)
《手にとるだけで、片思いの苦しみをすぐ忘れられると海人が言った恋忘れ貝は、言葉だけでありました》

噺のアラスジは、控えます。ぜひ小痴楽さんの高座でお楽しみください。
出演が予定されている寄席、落語会です(各主催者要確認)
池袋演芸場十月中席 後半 10月16日~20日
浅草演芸ホール十月下席 後半 10月26日~30日
2015年10月16日西新宿ぶら~り寄席 ”成金”
2015年10月17日たまご祭り(第二部)
2015年10月21日お江戸日本橋亭定席 二ツ目勉強会
2015年10月22日第5回 アイム落語研究会
2015年11月13日第5回 健康落語会

今後、どの様に活躍してくれるか、どんな噺を演じてくれるか、楽しみな若手二つ目の御一人です。楽しまさせて頂きました。感謝

【立川生志(たてかわ しょうし)「芝浜(しばはま)」】

  • 立川生志師匠

    立川生志師匠

「ちょいと、おまえさん、おきとくれ」
マクラもマエフリもなく、すぅーーと噺に入る・・・一瞬シブラク会場が緊張に包まれまれた。
心の中で[芝の浜か~~]時計を確認すると、小痴楽さんは5分程こぼれた(オーバーした)。
張り詰めた空気の中、噺は淡々と進んでいく、記憶の中の「芝浜」を思い起こしていた。

何時の事だろうか年末の風物詩のように「芝浜」が扱われるようになったのは?
三代目桂三木助師匠 七代目立川談志師匠の存在は大きい。

元になった噺は、初代三遊亭圓朝師匠の三題噺が原作と言われてきました。三題噺とは、寄席などでお客様から三つのお題を貰い(もらい)、それらを絡めて、その場で作る即興の落語です。

「酔漢」(酔っ払い)「財布」「芝浜」と言う説と『笹飾り』『増上寺の鐘』『革財布』と言う説がある様です。しかしながら《圓朝全集》には収録されてはおりません。
“その前から類似の噺があった”とか”いやいやぜんぜん違う噺だ”とか、諸説入乱れておりますが、それは研究者にお任せするとして、19世紀中頃には「芝浜」として演じられた記録があるそうです。
現在の体形に整ったのは戦後、三代目桂三木助師匠が安藤鶴夫さんをブレーンにし、作家などの意見も取り入れて改作、ご自分の十八番(おはこ)として演じ、夫婦の愛情を暖かく描いた屈指の人情噺として知られるようになりました。

三代目桂三木助師匠の「芝浜」の魅力は絵画のように情景を写し出す描写力といわれております。師は「落語とは何か」と問われて、「落語とは絵だ」と答えています。つまり、演者が丁寧に描写する映像(絵)を、お客様に鮮明に見せる事こそが重要だ、とおっしゃっております。これは時代背景が大きく影響しているのではないかと考えます。1950年代まだ戦後の混沌とした世の中、テレビ放映がはじまりましたが、一般庶民の中心にはまだラジオでした。民間ラジオ局も開局し、真空管ラジオから聞こえてくるのは、歌謡曲、浪曲、講談、ラジオドラマも人気があったようです。
三木助師匠は、NHKの契約落語家でした、ラジオ放送という”寄席ではない形での落語”を意識して文学的情景描写等に趣を置き演じたのではないでしょうか。
三代目桂三木助師匠の「芝浜」を元に七代目立川談志師匠は、人間描写、特に夫婦の感情の機微を丁寧に描き演じております。三木助師の「芝浜」の女房は、「よくできた女房」として演じられております。談志師の女房はあくまで、どこにでもいそうな、普通の女房として演じられております。ラストにかかる夫婦のやり取り、泣き崩れながら経緯を告白する女房、それに対して怒りを抑えながら、得心する主人公、夫婦愛の情景を見事に演じておられました。
所得倍増計画から高度成長、日本列島改造論からオイルショック、プラザ合意からバブル崩壊、経済中心の世の中、薄れゆく”情”を夫婦愛として描いた見事な「芝浜」となったのでしょう。

立川生志師匠、9月20日シブラク、レビューにて紹介させて頂きました。あえて紹介する必要もありませんが、七代目立川談志師匠のお弟子さんです。「芝浜」には、いろんな思いをお持ちだと、推測されます。
アラスジを書くのは野暮と言うものでしょう。生志師の「芝浜」は”こうでした”と書くのもまた野暮でしょう。
一つだけ紹介するならば、2回目の「おまえさん、おきとくれ」女房は、なにか自分に言い聞かせるように、覚悟を決め、息をぐっと飲み込み主人公を起こしました。見事な演出でした。

「芝浜」は、演る噺家さんによって持っていき方や工夫の違う噺もありません。それだけに演者の噺に対する姿勢や感覚を試されれる、難しい噺なのかも知れません。(どの落語もそうですが・・・)
40分強で纏めた立川生志師匠の「芝浜」楽しませて頂きました。感謝。

  • アフタートーク:池田裕子さん

    アフタートーク:池田裕子さん

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