渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2015年 10月9日(金)~13日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

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10月10日(土)17:00~19:00 春風亭正太郎、古今亭文菊、立川吉笑、橘家文左衛門

「渋谷らくご」勢いに乗る4人!

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プレビュー

この4人の落語家が揃うことは珍しく、落語をはじめてご覧になる方、あるいは初心者の方が、この回に来て頂ければ落語の印象に「深み」が生まれるはずです。正太郎さん、先月若手落語家のコンクール「北とぴあ若手落語家競演会」で優勝した、いま最も追い風が吹いている若手落語家さんです。

渋谷らくご初登場文菊師匠。渋谷らくごのアンケートでも「文菊師匠が見たい!」という声が数多く寄せられ、ラブコールを送ったところ応えてくださいました。文菊師匠の着物姿は、スタイリッシュでお洒落。そして文菊落語もスタイリッシュでとってもお洒落です。会場の空気を変える「華」があります。スッとして気持ちいい!

次が吉笑さん。NHKに出演をしたり、ニコニコ生放送「WOWOWぷらすと」で司会を務めたりと、全方向にアンテナを向けているアーティスィックな落語家さんです。全国ツアーも終わり、一段と磨きがかかっている発想力のすごさをご覧あれ。

最後を締めくくるのは、文左衛門師匠。先月の寄せられた感想に「やっぱ袖から出てきたときからオーラも貫禄も違くて、私が思い描いてた落語家さんそのものの雰囲気だったしすごいかっこよくてきゅんとした」「噺を聴いてるとイメージがふくらんでいくからスゴい」というものがありました。腰痛のなか、座薬を入れた状態で落語をなさってくださいました!

来年には師匠の名前である三代目文蔵の襲名を控えて、これからさらに勢いを増すであろう文左衛門落語。落語を聴いているだけで、なぜか目の前に登場人物が自然に見てしまい、落語の世界が気付かないうちに見えてしまう驚異的な表現力と師匠がまとっている空気。ぜひ味わってみてください。

レビュー

文:noboru iwasawa Twitter:@taka2taka2taka2 50代男性 職業:会社役員 落語歴:少々 趣味:クライミング

10月10日(土)17時~19時 「渋谷らくご」
春風亭正太郎(しゅんぷうてい しょうたろう) 「棒鱈(ぼうだら)」
古今亭文菊(ここんてい ぶんぎく) 「四段目(よだんめ)」
立川吉笑(たてかわ きっしょう)「くじ悲喜(くじびき)」
橘家文左衛門(たちばなや ぶんざえもん)「らくだ」
〔高座返(こうざがえし):橘家かな文(たちばなや かなぶん)〕

「勢いに乗る4人!」

【春風亭正太郎(しゅんぷうていしょうたろう) 「棒鱈」(ぼうだら)】

  • 春風亭正太郎さん

    春風亭正太郎さん

(東京かわら版名鑑、落語協会HPより)
2006年4月、春風亭正朝師に入門。前座名「正太郎」
2009年11月、二ツ目昇進。
2015年3月、第14回さがみはら若手落語家選手権、優勝。
2015年9月、第26回北とぴあ若手落語家競演会、優勝。
2015年9月、 第7回前橋若手落語家選手権準優勝

上記のように、今年は賞レースの風をグッと掴み引き寄せ、順風満帆な若手二つ目の御一人です。

今回の「棒鱈」(ぼうだら)というお噺、どこにも「棒鱈」というフレーズが出て来ません。「棒鱈」は、俗語で”酔っぱらい””まぬけ””野暮天”などを意味するようで、今回は田舎侍を揶揄した言葉として使われているようです。
噺の終盤にかかるところで、料理名に”鱈もどき”が出て来ます、どんな料理か資料は見当たりません。棒鱈からの”掛詞”、且つ”〇〇もどき”=本物ではない(偽物)、を被せているのではないでしょうか。
登場する田舎侍は、はっきり特定はされておりませんが、言葉の訛り(なまり)から察するに、薩摩武士と推測されます。
幕末から明治にかけて、薩摩、長州の下級武士は、江戸において横暴な振る舞いを行い、江戸庶民から疎んじられていたようです。そんなところからこのお噺しは、作られたのではないでしょうか。
キーワードのなる”故障(こしょう)がはいる”『三省堂 大辞林』より→故障を入(い)・れる=不服を言う。邪魔をする。『大辞泉』より→故障=異議、苦情。

「棒鱈」と言うお噺、兎に角忙しい、人物の出入りが多い上に、”言い立て”(啖呵)は入る、都都逸(どどいつ)も入る、薩摩武士と推測されるお侍さんの”唄”も入る、それも野暮ったく下手にやらないといけない、酔っぱらいの熊さん(熊五郎)、温厚で面倒見の良い寅さん(寅吉)、御茶目な女中さん、賑やかしの芸者さんたち、最後に出てくる調理の職人さん。キャラクター設定がハッキリした登場人物が多く、演じ分けは難しい、かなりの演出、表現力がないと、人物設定がぼやけてしまいます。”言い立て”(啖呵)一つとっても、既に酔いのまわっている熊さん、江戸っ子らしさを出しながらも、”大工調べ”のような切れ味鋭い啖呵ではいけない、かなりお酒も入り酔っているのですから。この辺りの演じ分けは、しっかりコンセプトを決め、丁寧に演じないと、ちぐはぐな噺になってしまいます。
早い場面切り替えは、演者の腕の見せ所の一つでしょう。

正太郎さんは、表情豊かに、各キャラクターを丁寧に、且つメリハリ付けて演じていらっしゃいました。

シブラクもそうですが、今ほど多種多様な落語のスタイルを聞ける時代はないでしょう。様々なセンスを持った噺家さんたちが芸を磨き精進されてます。 “創作らくご”と言われる、新作、改作、を口演する噺家さんが多くなってきている昨今、”古典落語”に軸足をしっかりと置き、どちらかと言うと、Conservative な若手噺家の御一人が、正太郎さんではないでしょうか。

正太郎さんを表現する言葉として、聞かれるのは「あたたかい」「たのしい」「保守本流」「ハートウォーミングな」春風亭の”亭号”のイメージそのものかと思います。

古典落語に真摯に向き合い、一つ一つのお噺をしっかり咀嚼し、正太郎さんなりの味付けを加えて、我々に提供してもらえてます。温かいお噺は、温めたお皿の上に、冷たいお噺は、冷やしたお皿の上に、どれも一番おいしい時に、おいしく頂けるように、丁寧に手を加えて、ぶれない味で、我々を楽しませてくれるのです。

アラスジを30秒だけ
料亭の二階の御座敷です。既にかなり酔っている熊さん(熊五郎)面倒見の良い兄貴分、寅さん(寅吉)にむかって、自分で食べてしまった料理に付いて、ぐだぐだと文句たらしく、尋ねている。寅さん熊さんの本心を察し、芸者を呼ぶこととした、芸者を待っている間、隣の座敷から騒がしい声が漏れてくるのが気になり始める。隣室の客は訛りのきつい田舎侍で、芸者を呼び、品のない唄など歌い、騒いでいる。
「もずのくちばし~~」
「一がちぃー~~」
酒癖の悪い熊さんは次第に不機嫌になり、やがて隣へ苦情を言いに行こうとするが、温厚な寅吉に「無粋な真似はよせ」と厳しくたしなめられて思いとどまる。
しかし熊さん、田舎侍の顔を見てみたくなり、便所に立ったついでに隣を覗こうとする。襖を少しだけ開けて隙間から覗き込むつもりが、酔いのため体勢が崩れ、襖を押し倒して隣室の中に転がり込んでしまった。熊さんは非礼を詫びるが、馬鹿にするようなことを田舎侍に言われて逆上し、ついに喧嘩をはじめてしまう。
熊さんと田舎侍の喧嘩を止めようと店の者が大勢駆けつける。その中には料理人もいた。この料理人は「鱈もどき」という料理の仕上げに胡椒を振っていたところだったので、胡椒の瓶を手にしたまま二階の部屋に上がってきた、そしてサゲ(オチ)へ。

お噺に出てくる「胡椒」日本への伝来は意外にも古く、8世紀の半ば、中国から薬の一種類として伝えられたのが最初と記録されています。現在でも、奈良の東大寺正倉院には152粒のコショウが現存しているそうです。
中国では西方から伝来した香辛料という意味で、胡椒と呼ばれたようです(胡は中国から見て西方・北方の異民族を指す字)。日本には中国を経て伝来しており、そのため日本でもコショウ(胡椒)と呼ばれたようです。 天平勝宝8年(756)、聖武天皇の77日忌にその遺品が東大寺に献納された。その献納品の目録『東大寺献物帳』の中にコショウが記載されているそうです。当時の日本ではコショウは生薬として用いられたようです。コショウはその後も断続的に輸入され、平安時代には調味料として利用されるようになったようです。近松門左衛門(1653~1724)の浄瑠璃中の詞章に「本妻の悋気とうどんに胡椒はお定まり」とあり、正徳3年(1713)3月初演の歌舞伎十八番「助六」でも、主人公が出前のうどんにたっぷり胡椒をふった上、くゎんぺら(かんぺら)門兵衛の頭にぶちまける場面があるので、当時はこうした食べ方が一般的だったのでしょう。

都内の定期的な会として、毎年地元目黒で開く「春風亭正太郎の冒険」、半年毎の「正太郎in六本木」、季節毎の「正太郎コンプレックス」、月例、早稲田での「正太郎の部屋」等があります。

出演予定(主催者確認要)
新宿末廣亭 11月中席(11日~20日) 昼席
2015/10/27 落語協会特選会 第283回 二ツ目勉強会
2015/11/03 大間々なかめ亭 菊華寄席
2015/11/08 古典廻し #2-2
2015/12/16 すがも巣ごもり寄席

「深沢小さな美術館寄席」にて春風亭正太郎絵画展開催するなど、器用な面をお持ちです。
今後、どの様な活躍をしてくれるのか、楽しみでなりません。そんな若手二つ目の御ひとりです。
たのしませていただきました。感謝。

【古今亭文菊(ここんていぶんぎく)  「四段目」(よんだんめ)】

  • 古今亭文菊師匠

    古今亭文菊師匠

シブラク初お目見えなので簡単な経歴を
(東京かわら版名鑑、落語協会HP、古今亭文菊師HPより)
2002(平成14)年11月01日  古今亭圓菊師に入門
2003(平成15)年01月11日  前座となる 前座名「菊六」
2006(平成18)年05月21日  二ツ目昇進 2012(平成24)年09月21日  真打昇進 「古今亭文菊」と改名
受賞経歴
2006(平成18)年 平成18年度 NHK新人演芸大賞本選出場
2007(平成19)年 平成19年度 NHK新人演芸大賞本選出場
2008(平成20)年 平成20年度 NHK新人演芸大賞本選出場
2008(平成20)年 落語一番勝負若手落語家グランプリ
2009(平成21)年 平成21年度 NHK新人演芸大賞
2012(平成24)年 浅草芸能大賞新人賞受賞

自己PR 「お客様に喜んでいただけるような明るい高座を目指しております」

落語協会2012年は抜擢真打が3人生まれました。春の真打は春風亭一之輔師、秋に生まれたのが古今亭志ん陽師と今回ご紹介する、古今亭文菊師です。師は故・古今亭圓菊師の最後の弟子として2002年に入門、10年で真打となった落語協会においては、28人抜き異例のスピード出世であります。二つ目の時からその実力は高い評価を受けており、その凛とした高座姿・たたずまいは若くしてすでに風格さえ感じられます。『語り口の確かさにおいては人気の兄弟子・菊之丞師にもひけをとらず、笑いのセンスは、天才肌の兄弟子・菊志ん師にも負けない』と一門の中で、評されております。
特に芝居物(歌舞伎)などを扱った演目を得意とされており、ご自身も踊りの師匠に付き、精進に余念がありません。

今回のお噺の演目名「四段目」、歌舞伎のお芝居『仮名手本忠臣蔵』大序から十一段からなる、誰もがご存知の長編狂言(正式には狂言芝居)の「四段目」が元になっております。(別名「蔵丁稚」)
原話は1771年(明和8年)に出版された『千年草』の一遍、明治以後になって東京でも口演されるようになったようです。

アラスジを90秒だけ
ある大店の丁稚の定吉、使いに行ったっきりなかなか帰って来ないことが続く。定吉は無類の芝居好き、店の主人今日も帰りが遅い定吉に小言を言おうと待ち構えている。事前に番頭さんには、「止めに入るな」と釘をさす。
そこへ何も知らない定吉が帰ってくる。番頭さんから、店のご主人が怒っているので、早く謝りに行くように促されるが、お腹が空いたと、ぐずる。番頭さんから背中を押されるように、店のご主人の所へと。
「定吉!何処へ行ってた?」
「日本橋の加賀屋さんへ行ってまいりました。ちょうど蔵のお掃除をしていましたので、そのお手伝いをしていたので遅くなりました。あ、旦那様にお会いしましたら、『両三日中に伺いますのでよろしく』と、仰っていました」
ところが、その「加賀屋の旦那様」はついさっきまで、ここにいらして居たんだ。」そのことを衝かれると、定吉は両親を引っ張り出し、なんとか言い逃れをしようとする。ご主人は、芝居を見ていたのではないかと、追求する定吉は苦し紛れに、「私は芝居なんて大嫌いです。男が白粉をつけてベタベタするなんて、気持ち悪くて見ただけで気絶します」
ご主人「あ~そうか、それはよかった、明日店の者みんなで、歌舞伎を観に行くが、お前は留守番をしてくれ」と言い渡す。すると案の定、定吉の様子がおかしくなってくる。ご主人はさらに、「知り合いに聞いたら、今月の『忠臣蔵』は良いそうだ。何でも、五段目の山崎街道に出てくる猪の前脚を市川團十郎、後ろ脚を市川海老蔵がやるそうだ」
定吉は笑い出して、「そんな役を成田屋がやる訳無いじゃありませんか。あんなのは稲荷町という下っ端の役者がやるものなんですよ!」「でも、知り合いは……」「私は、今観てきたんです!!」「この野郎ッ。やっぱり芝居を観てきたな……。語るに落ちるとはこの事だ!!」

定吉、ご主人に蔵の中へ引きずっていかれ、そのまま閉じ込められてしまった。

時間が経つうちに、何も食べてない定吉お腹が空いてくる。仕方がないのでさっきまで観ていた『仮名手本忠臣蔵』四段目「判官切腹の場」を一人で演じて気を紛らわせようと考えた。
「御前ッ」
「由良助かァ……」
「ハハァ~!」
「待ちかねたァ……」
「あ~お腹すいよ~でも、芝居をしていると、なんだか空腹がまぎれる様な気がするよ。よーし、本格的にやってみよ!」
のんきな奴もあるもので、蔵の箪笥を開けて三宝代わりの御膳(お盆だったかな?)そして、九寸五分まで探し出し、大声で芝居の真似を始めてしまった。
「力弥、由良助は」
「いまだ参上、つかまつりませぬ」
「存上で対面せで、無念なと伝えよ。いざご両所、お見届けくだされ」
と短刀を腹へ。そこへちょうど女中が様子を見にきて、定吉が切腹すると勘違い。慌ててご主人に報告すると、ご主人も「子供のことだから、腹がすいて変な気を起こしたんだろう!」
とびっくり、定吉に飯を届けようと、お鉢をそのまま抱えて蔵へ。
そして、サゲ(オチ)へと。

文菊師の定吉、兎に角無邪気で可愛らしい、ちょっと小首を傾げながら、上目づかいで、小僧さんの仕草(両手を胸の前で何かをつまむ)をしながら、小声で言い訳をする。お芝居の話となると、パーッと明るく声のトーンも一段高く大きく、屈託のない小僧さんに仕上げておりました。

師の特徴でもある、歌舞伎のお芝居の場面、さすがにセリフ回しや目配り、仕草、歌舞伎への知識、愛情がにじみ出で、まるで歌舞伎役者のセリフを聴いているような気にさせてくれました。実はここは小僧の定吉が芝居の真似事をするわけですから、本当は芝居が上手すぎたらおかしいわけです。ですから師の「四段目」は次のように勝手に解釈をしております。
蔵の中でお芝居「塩冶判官切腹の場」の場面は、定吉が今さっき観てきたお芝居の”回想シーン”として置き換えれば、収まりがよく面白さが、際立ってきます。”回想シーン「待ちかねたァ……」と形が決まる”、ふっと素にもどり、弱々しく「お腹すいたよ~」また回想シーンにはいる「力弥、由良助は」と決め、また素にもどる。この落差は、きっと笑いの種になるのでしょう。

歌舞伎役者の市川海老蔵さんとも交流があるという文菊師、真打ちに昇進したときに作ったオリジナルの手ぬぐいと千社札。手ぬぐいの似顔絵は、あこがれの存在、十二代目市川團十郎さんに二ツ目昇進の際に描いてもらったものだそうです。

文菊師の師匠は、”厳しい師匠の御一人”古今亭圓菊師匠が生前使っていた菊をあしらった色褪せた手ぬぐいを、師は懐に忍ばせて高座に上がっているそうです。その圓菊師匠は、最後の弟師、文菊師の真打昇進晴れ姿を見届けて、旅立ちました。

年末12月29日には、浅草演芸ホールで吉例「古今亭圓菊一門会」が開催されます。今年で第44回目を迎えます。
とても、温かい会です。「一年の締めくくりをこの会でする」というファンも多いです。如何ですかここで三本〆を!

古今亭文菊師匠の「四段目」これからまだまだいろんな形で、楽しませてくれるだろうと予感させてくれた、一席でした。感謝。

【立川吉笑(たてかわきっしょう) 「くじ悲喜」(くじびき)】

  • 立川吉笑さん

    立川吉笑さん

今日の吉笑さん、マクラでもお話されてましたが、いろんなミッションが一段落した解放感からかもしれませんが、ちょっとテンション高めでした、早口の吉笑さんより一層早口で、”ぞおん状態”に入ってましたね。
8月22日(土)シブラクのレビューにて紹介させて頂きました。シブラクでは、レギュラー的存在ではありますが、その位置付けに甘んずることなく、常に新たなカードを切り続け、我々を楽しませてくれます。今回のお噺「くじ悲喜」に初めて出会った時のことは、鮮明に記憶してます。まさしく吉笑さんの「Gimmick”ギミック”(仕掛け)」にまんまと嵌り(はまり)、受け身が取れない状態でした。噺としては、一般的な”物を擬人化”し噺を広げていく、当然、物が言語を持ち、感情を持ち合わせます。複数登場人物がいれば、コミュニティが出来、派閥が出来ます。ここに人間社会の縮図が現れてきます。
物を擬人化した落語に柳家小ゑん師の「ぐつぐつ」というお噺があります。小ゑん師が苦し紛れに2時間で書いたという噺ですが、よく練られた噺です。ちょっとだけ紹介します。
サラリーマン風の人物が、駅を降りると遠くに赤い明かりが一つ。近づくと「おでん」の看板。店の中にふらふらと、中に忙しく働くおやじ。その目の前の銅壺の中で煮立っているおでんたちの声に耳をそばだててみてください。「おい、こんにゃく、もう少し向こう行けよ」「はんぺんちゃんはいいねえ、色が白くて肌はつるつるで」「絡んでくるなよ、糸こんにゃく」「ゲソまきが蛸の足を踏んだ!」おでんの具たちのつぶやきが、おでんの煮える音「ぐつくつ」と聞こえてくる。
なかなか売れない主人公「イカ巻き」に、客はしだいに感情移入していきます。そして、唐突に訪れる奇想天蓋な結末。ファンタジーにひそむ闇(デストピア(dystopia))と笑い。

「くじ悲喜」(くじびき)というお噺、ファンタジーでありますが、擬人化することによって、見えてくるのは、”人間の欲”、”人間の業”と置き換えてもよいですが、『人よりも良くありたい』『人よりも良く見せたい』普通にだれもが持ち合わせる感情の一つです。そこを際立たせることによって、”エゴ”、”対立”、”失望”、”孤立”、ネガティブな言葉が映像化されます。まるで子供の絵本のように、落語は感情をダイレクトに聴き手に映像化させてくれるのです。

落語「ぐつぐつ」、そっくりな絵本(おでんくん)がございます。「くじ悲喜」も絵本になるかもしれませんね。

ゼンコクツアーを終え、一段落、年末の「現在落語論」出版に向け大忙しでしょう。この件については、大師匠談志さんの「現代落語論」触れざるをえないので、別の機会にコメントさせて頂きたいと考えます。

何度聞いても、単純に笑えるこの「くじ悲喜」まだまだブラッシュアップされると思います。
次はどんなカードを切ってくれるのか、楽しみな若手二つ目の噺家さんの御一人です。たのしませて頂きました。感謝

出演予定です。(主催者確認要、連雀亭、獅子座、高円寺勉強会を除く)
10月23日(金) 7:30 PM ニュー・ラクゴ・パラダイス @ 渋谷・UPLINK
10月30日(金) 7:00 PM ☆立川談笑一門会☆ @ 吉祥寺・武蔵野公会堂
11月02日(月) 7:00 PM 吉笑の打ち上げ @ 新宿三丁目・道楽亭
11月20日(金) 7:00 PM 百栄の赤いシリーズ~赤い焼豚 @ 神保町・らくごカフェ
11月22日(日) 7:00 PM 成城落語応援会 そうだ じゅげむ … @ 成城学園前・成城ホール
11月26日(木) 7:00 PM 焦点 第2回 @ 下北沢・北沢タウンホール
11月27日(金) 7:00 PM ☆立川談笑一門会☆ @ 吉祥寺・武蔵野公会堂
12月10日(木) 7:15 PM ☆吉笑ゼミ。☆ @ 原宿・ヒミツキチオブスクラップ
12月25日(金) 7:00 PM ☆立川談笑一門会☆ @ 吉祥寺・武蔵野公会堂

【橘家文左衛門(たちばなやぶんざえもん) 「らくだ」】

  • 橘家文左衛門師匠

    橘家文左衛門師匠

(東京かわら版名鑑、落語協会HPより)
1986(昭和61)年10月 橘家文蔵に入門
1988(昭和63)年3月 前座となる 前座名「かな文」
1990(平成2)年9月 二ツ目昇進「文吾」と改名
2001(平成13)年9月 真打昇進「文左衛門」と改名
2016(平成28)年9月三代目「橘家文蔵」襲名予定。

文左衛門師匠が紹介されるとき、強面(こわもて)キャラが、今でも付いて回ります。それは、BS笑点(2003年~2007年)~笑点Jr.(2007年~2011年)で、強面キャラと言うより、”乱暴者キャラ”設定を番組上、前面に押し出した回答が多く、自己紹介も「楽屋の模範囚、文左衛門です」、隣席の三遊亭愛楽師を、事あるごとに突き飛ばすのが決まり事、そんなところからと考えます。ご自身もそんなキャラ付けを、楽しんでいるかのように、文左衛門師の手ぬぐいのデザインは、有刺鉄線柄、もう一つは、脱獄を連想させる丸く穴の開いた金網柄、今年の噺家手拭デザインコンテスト『第四回噺家の手ぬぐい大賞』”あんたが大賞”受賞(実行委員長五明樓玉の輔師)。正月、シブラクのホワイエに展示されておりました。因みに第三位は、自転車の車輪がモチーフの柳家喜多八師でした。

6月15日シブラク扇辰師匠のレビューにて紹介させて頂きましたが、扇辰師、文左衛門師、小せん師、にて三K辰文舎(サンケイシンブンシャ)なるユニットにてバンド活動されております。現在では冠に(株)サンケイリビング新聞社が付き定期的に文京シビックホールにて、開催されており、年末には高円寺”ノラや”HACO吉例大忘年会が予定されているようです。

今回の「らくだ」初めてお聴きになった方には、びっくりするようなお噺です。元は上方落語の演目の1つで、人物の出入りが多い上に、酔っ払いの芝居が入る、唄は入る、など演者にとって演出が難解で忙しいお噺の1つと言われております。題名は、主人公のあだ名を表しますが(上方では「らくだの卯之助」、江戸では「らくだの馬」)、登場した時には既に死人であるという、他に例のない落語です。

本題は「駱駝(らくだ)の葬礼(そうれん)」。上方の4代目桂文吾師が今の形に整え、大正時代に3代目柳家小さん師が東京へ持って来られ、演じられる様になったようです。

「らくだ」というあだ名については、1821年(文政4年)、両国広小路に見世物として”らくだ”が連れてこられたことに由来し、江戸の庶民達は、その大きな体を見て「何だこいつは?」と、驚嘆と共に大きな人や、のそのそした奴を”らくだ”になぞらえて表現したと言われております。

落語「らくだ」と言えば、六代目笑福亭松鶴師(笑福亭鶴瓶師の師匠)。なにかとエピソードが多いのこ師匠、まだ若き七代目立川談志師と三代目古今亭志ん朝師が、大阪へ行った時のこと、松鶴師から毎晩のように御馳走になったそうです。晩年、談志師は松鶴師について、普段の高座は「相撲場風景」などの軽いネタしかやらず「大したことないな」と思っていた矢先、”完成度の高い「らくだ」をたっぷりと演じたのを聴いて体が震えるほど感動した”と語ったそうです。

噺の中に出てくる「かんかんのう」、元は唐人(清国人)の扮装で「かんかんのう きうれんす」と意味のない歌詞で踊ることから「唐人おどり」「かんかん踊り」とも言われております。長崎の唐人屋敷の土地神の祭りとして行われたもの、現在もこの祭りは行われております。これが世間にひろまったのは長崎・丸山遊郭で上記の意味のない歌詞がつけられ流行したものを「唐人飴売り」がひろめたと言われております。1820年には大阪で「唐人踊り」の興行が大当たりし、翌年江戸でも大流行。その翌年には 歌詞・踊りともみだらになってきた事を理由に奉行所は市中での「唐人踊り」の禁止令を出し規制したそうです。

“死骸を文楽人形のように動かし、禁止されている踊りを踊らせる”酷い嫌がらせそのものでしょう。

マキノ雅彦(津川雅彦さん)監督により映画にもなりました中島らもの傑作小説『寝ずの番』製作年度 2006年、出演:長門博之 (落語指導・出囃子 – 桂吉朝・桂吉弥)
宴会になってしまった通夜の晩、亡くなった落語家(長門博之)を起し、皆で輪になって”かんかんのう”を踊るシーンが出て来ます。(劇中の落語家は、六代目笑福亭松鶴師がモデルとなっていると言われてます)

五社英雄監督作品『北の螢』1984年公開 出演:仲代達矢 岩下志麻 ラストシーンに「ああ、蛍が見えますなあ……」ゆう(岩下志麻)が微笑む。臨死状態における幻覚があらわれたのか。ゆうの眼は、春の北海道をみている。月潟(仲代達矢)も微笑する、やがて―二人は、幻想のなかで、”かんかんのう”を踊る。暗闇をバックに、スローモーションで二人は踊り続け、エンドロールへ。

全く違うシチュエーションの中での”かんかんのう”どんな意味がある踊りなのでしょか。時間がある時の調べてみたいと思います。

「らくだ」と言うお噺、見どころ聴きどころのひとつに、らくだの兄貴分、丁目の半次に無理やり勧められ、しぶしぶ酒を飲む、くず屋の久さん(久六)。この男、普段は大人しいが実はものすごい酒乱だったのだ。呑んでいるうちに久六の性格が豹変(ひょうへん)していく、この場面薄皮を一枚ずつはがすように、変化にグラデーションをつけ、いつの間にか、立場が逆転していく、師は稀に見る強面キャラでありながら、非常に繊細で緻密な表現力を備えています。くず屋の久さんの心理の変化、態度の変化を鮮やかに浮き彫りにし、その卓越した表現力こそ師の落語の本質なのでしょう。

7月13日シブラク「ふたりらくご」において師は、「文七元結」を演じられました。持ち時間30分のところを、55分の熱演でした。噺に出てくる”本所達磨横町の長屋”その空間表現をするために、師は”戸を開ける”仕草の時、ほんの一瞬ですが、”戸が開きにくい”目線を戸の上部に移し、力を入れ直し二度で戸をあけました。なんというディテールまでにこだわった、演出でしょう。それに対比するかのように、吉原「佐野槌(さのづち)」の戸は、指先で滑るように戸は開きました。この戸が開かない仕草で、”本所達磨横町の長屋”は貧乏長屋を表現出来ているのでしょう。

「高座に表現出来るのは氷山の一角です」と師は仰いました。『表面に現れない「噺の背景、登場人物の人となり」を自分の頭で考え、咀嚼する。それがあって初めて、他の噺家の真似ではない「自分の噺」として出来るんです』と御話されてます。たしかに師の「ちりとてちん」「千早ふる」「道灌」は、寄席などではよく演じられる噺ではありますが、まったく違った噺のように、何度聞いても新鮮に笑える噺になるのでしょう。

10月10日、同日の黒門亭の第一部(12時開演)にて、文左衛門師は高座を勤めてます。高座に上がると「え~~~見た通り二日酔いです」と会場は温かい笑いと共に、和やかムードに空気がかわりました、短いお噺「馬のす」をサクッと決め、シブラクに向ったのでした。こんな御茶目な部分も併せ持っているのです。

師にとっては大きなイベント、来年9月三代目「橘家文蔵」の襲名を予定しております。ご自分の師匠の名籍を継ぐと言う事は、大きな喜びでしょう。それと共に大きな責任を感じているのではないでしょうか。
名跡により継承されるのは「歴史」「伝統」「信用」、時には「芸統・気風」。奇しくも、故・橘家文蔵師匠の命日は9月10日です。

神保町のらくごカフェにて、文左衛門師は、『月例「文蔵コレクション」』を開催しております。次回は、11月 14日 (土曜)開場:13時半 開演:14時の予定です。是非足をお運びください!

三代目「橘家文蔵」を襲名し、一回りも二回りも、大きな芸で、我々を楽しませてくれるでしょう。
「らくだ」楽しませて頂きました。感謝。

【この日のほかのお客様の感想】
「渋谷らくご」10/10 公演 感想まとめ