渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2016年 2月12日(金)~16日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

イラスト

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2月13日(土)14:00~16:00 春風亭昇々、昔昔亭A太郎、立川志ら乃、瀧川鯉八

「渋谷らくご」瀧川鯉八トリ公演!渋谷らくご各賞受賞者の会

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プレビュー

 この回は、2015年の渋谷らくご各賞受賞者の出演者が出演する記念すべき回です。この回のトリは鯉八さん、2015年「渋谷らくご大賞 おもしろい二つ目賞」を受賞した新進気鋭の落語家さんです。鯉八さんの話芸に触れてしまうと、いままで生活してきた世界が再構築されるかのように見え方が変わってしまう。とにかく新しいらくごを創造しつづけています。まだ二つ目。地方や、年配の人の多い場所では、まだ受け入れられないかもしれません、しかし、こういった都市型芸人こそ、渋谷らくごから飛び立っていってほしい存在です。落語にはいままでなかった手法で、落語をアップデートし続けている、鯉八さんに目は釘付けになってしまうでしょう。

 そして3番手に登場2015年「第一回創作大賞」を受賞した志ら乃師匠。いま大注目アニメ、昭和元禄落語心中をモチーフにした落語をつくり、声優の関智一さんを弟子にして、原作者の雲田はるこさんとタッグを組んで落語を盛り上げたりと幅広く活動を続けています。観客を喜ばせることに一生懸命で、幅広い視野で活動しているから志ら乃師匠の落語が面白くないわけがない。

 2番手のA太郎さんは、2015年「渋谷らくご特別賞 奇妙な二つ目賞」を受賞しました。奨励賞みたいなものです。端正な顔立ちと爽やかな佇まいなのに、どこか影を感じる。狙って奇妙なわけでなく、自然と奇妙さが生まれてくる。もちろん落語もその奇妙さを生かした創作らくごから、あえて奇妙さを隠すことで際立つ爽やかさを生かした古典らくごまで、どれも面白い。奇妙な存在です。

 トップバッターの昇々さん、2015年「創作大賞」の候補にノミネートされながら、他の仕事で出場できなかった残念マン。イケメンなのに、狂気を感じる落語家さんです。無冠の帝王として出演です。去年1年間の渋谷らくごの総決算と言っても過言ではないでしょう。ぜひお越しください。

レビュー

文:ちあき Twitter:@chiaki_ichi 女 会社員 趣味:アウトドア、サイクリング

2月13日(土) 14時~ 16時「渋谷らくご」
春風亭昇々( しゅんぷうてい しょうしょう ) 「明烏」
昔昔亭A太郎( せきせきてい Aたろう ) 「不動坊」
立川志ら乃( たてかわ しらの ) 「子ほめ」
瀧川鯉八( たきがわ こいはち ) 「ミルクはいらない」

鯉八落語の証明

パラダイムシフトはなんとも呆気なく行われた。
2016年2月13日。2月にしては暖かすぎる土曜日の渋谷。人々は脱いだコートを腕に抱え、つかの間の陽気に賑わっていた。そんな街の一角、日の当らないいかがわしい通りに経ったビルの中、それは起きていた。

「瀧川鯉八は天才である」。ちょっと落語が好きな人なら耳にタコが出来るほど飛び交っているこのセリフ。確かに彼がいわゆる”落語”の枠を飛び出していることは、彼の高座を一度見ればわかる。新作落語というジャンルに収めるには余りにも急進的すぎる噺、まるで完璧な句読点でも打つかのように、一語一語、十分すぎるほどの間をとりながら繰り出す語り口、くまのプーさんのような外見も含めて、その存在は明らかに唯一無二だ。(プーさんのような噺家さんなら山ほどいるのだが…)
そんな彼がこの日、渋谷らくごでトリを勤めたのである。

  • 瀧川鯉八さん

    瀧川鯉八さん

鯉八さんの創る噺にはとても不思議な魅力がある。その魅力を語ろうとするとき、一番しっくりくるのは”シュール”という言葉な気がするが、この言葉はしっくり来るだけで的を射ていない。なぜって、シュールは”超現実的、現実を超えた”という意味だが、それを言うなら古典落語の方がよっぽどシュールなのだ。だとすれば鯉八さんの噺の魅力は何なのか。

この日のネタはこうである。

「ねえ」「ん?」「なんでもない」
噺の冒頭、二人の登場人物はこのやり取りを何度も繰り返す。この二人が誰なのか、性別も、関係性も、二人がどこで話しているのかも全く分からない。二人は魚の気持になったことがあるか、南蛮漬けにされた小アジはどんな思いか、のどに詰まった魚の骨をご飯で落とす方法がいかに不合理か、非生産的な会話を重要そうに交わしている。徐々に二人の正体が明かされるが、その途端に場面が切り替わる。今度は登場人物が三人。たもつ、ちえ、ぼんぺい。彼らは「純喫茶・くさかべ」に集って、やはり非生産的な会話を繰り広げている。店にはいつも喧嘩ばかりの夫婦や、部下を叱りつける上司の姿。長年連れ添った旦那が体を”あの部分”から洗い始めると知って憤る妻、不遜な態度を注意した部下が、何故か会ったこともないはずの自分の妻の話を始め動揺する上司。どの会話も本人たちには重要そうである。噺はカメラがズームアウトするかの様に進み、視点が後ずされば後ずさるほど多くの登場人物が現れ、噺の全貌が見えてくるが、後ずさった分だけ彼らの”重要な”会話はより卑小にくだらなく思えてくる。
つまりこの噺は、どうでもいい会話だけで構成されている。けれどスターバックスへ行って周囲の会話に耳を澄ませてみればわかるはずだ、これは実はシュールどころか、限りなく現実に近いのだ。所詮人の会話などだいたいにおいて意味がなく、くだらない言葉ばかりだ。無意味な日常こそが、実は”シュール”以上に滑稽であることを、この噺は浮き上がらせている。アフタートークでキュレーターのサンキュー・タツオ氏が口にした「壮大な暇つぶし」という言葉が腹落ちした。そう、みんなみんな暇つぶしなのである。生きていること自体、もしかしたら暇つぶしにすぎないのかも知れない。
噺の題名は「ミルクはいらない」。
なぜこんなタイトルなのか、もちろん意味などわからない。

渋谷らくごで二つ目がトリをとったことはこれまでも何度かある。サンキュー・タツオ氏が煽りに煽った神田松之丞さんのトリの回に始まり、春風亭昇々さんや柳家ろべえさんもトリを勤めた。それらの回に比べると、今回は年末に行われた「2015年渋谷らくご大賞」の各受賞者の回ということが前面に出ており、鯉八さんがトリを勤めること自体は思いのほかあっさりと取り扱われていたような気がする。けれどこれは長い目で見ても大きなターニングポイントだろう。鯉八さんにとってというよりは、落語界において。あるいは私たちの時代にとって。

この日の他の演者も素晴らしかった。 昇々さんの「明烏」は、不健全な程に穢れていない若旦那のキャラクターが昇々さんの狂気と相まって、噺が本題に入る前、若旦那が子どもと一緒に遊び赤飯を何杯食べたなんて話す辺りからすでに異様さが漂い、「昇々版・明烏」といってよいオリジナリティがあった。

  • 春風亭昇々さん

    春風亭昇々さん

奇妙な二つ目賞受賞のA太郎さんは、その端正な顔立ちに薄気味悪い笑みを浮かべルーティーンをこなし、ネタは「不動坊」。テンポよい本編に対して、本編以外の部分(マクラとネタ終了後高座をおりるまで)の所作や表情が不自然で、そのギャップは正に”奇妙”であった。

  • 昔昔亭A太郎さん

    昔昔亭A太郎さん

志ら乃師匠の「子ほめ」は、正統派な流れであるにも関わらず師匠ならではのアレンジが効いていて、個人的にこんなに面白い「子ほめ」は初めて見た。マクラの客いじりも含めてさすが真打の一席だった。

  • 立川志ら乃師匠

    立川志ら乃師匠

これだけ個性的な三席であったにも関わらず、鯉八さんは全て持って行ったのである。
あるいは予め計算されていたのかも知れない。そもそも新作を得意とする三人が古典を演じたところを見ると、鯉八さんへ流れを作ろうと企てられていたのかもしれない。けれどどちらにしたってマクラも振らず30分、あのネタで会場をさらった彼はやはり凄い。いや、恐ろしい。鯉八落語が、古典落語の後で成り立ってしまうことを証明してしまったのだから。

シュールレアリスムという芸術運動は、パリのカフェで起こり、その後第二次世界大戦後芸術家たちがニューヨークへ逃れたことで、その運動が世界的なものとなり、やがて芸術史上もっとも有名な運動となったという。この日、ユーロスペースで行われた、札止めと言ったってせいぜい100人強のこの会場で起こったこのことが、もしかすると落語史上の重要な地点になるかもしれない。パラダイムシフト。瀧川鯉八がトリをとったことをそんな風に言うのは大袈裟だろうか。私は過言ではないと思う。

2016年2月13日。少しずつ日が長くなり始めて、会場を出ると渋谷の空はまだ明るく、街はつい2時間前と何も変わらないかの様だった。けれど実際にはその2時間の間に何かが変わっていたのである。まだ気付いている人はそれほど多くはないけれど。

瀧川鯉八はその表現方法に落語を選んだ。
つくづく面白い時代に生まれてきたものだ。

  • トークゲスト山下陽光さんと

    トークゲスト山下陽光さんと

【この日のほかのお客様の感想】
「渋谷らくご」2/13 公演 感想まとめ