渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2016年 3月11日(金)~15日(火)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

イラスト

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3月11日(金)18:00~19:00 古今亭志ん八、隅田川馬石

「ふたりらくご」ほのぼの、癒しの落語会。

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プレビュー

 古今亭志ん八さんは、今年公開された映画『の・ようなもの のようなもの』で、主演の松山ケンイチさんが演じる落語家が劇中でやっている創作らくごをつくった方です。創作もイケれば古典もできる! 決して声を張らずに聴く人の心を温めていく笑顔の志ん八さん。いま注目株の若手落語家です。志ん八さんのつくる創作らくごは、突飛なシチュエーションに頼ること無く、日常の延長線上でおこなわれる会話を中心に構成されます。だからどこか微笑ましく、自然に笑みがこぼれてしまいます。古典も同様。最初から最後までニコニコできるのです。渋谷らくごでは、創作らくごを中心にかけていたのですが、先月はついに古典らくごをかけてくださいました。古典らくごでもニコニコと爆笑のバランスが心地いい! 今月はツイッターで、なにやら5年ぶりのネタをかけると宣言なさっておりました。さて、なにをするのか!? 楽しみです。

 渋谷らくごで心地よいといえば、おなじみとなった馬石師匠。古典の達人。のほほんとした空気からはじまる落語は、落語が初心者の方でも構えること無く聴けてしまうこと間違いなし。心地よいリズムとメロディーは極上そのもの。継承されつづけた落語をそのままやっているように見えるのにも関わらず、毎回新鮮で爆笑してしまう。とめ、はね、はらいをしっかり押さえた行書のような芸風です。この笑いを生み出す手法も、毎回変化をつけているのですが、それを気付かせないという達人ぶり。

 週末の金曜日、一週間の疲れをこの一時間でスッカリ取ってくれる、癒しと笑いの落語会です。病気治るかも。

レビュー

文:noboru iwasawa (Twitter:@taka2taka2taka2 50代男性 職業:会社役員 落語歴:少々 趣味:クライミング)
自己紹介コメント:因果と丈夫


3月(弥生)公演
3月11日(火)18時~19時 ふたりらくご
古今亭志ん八(ここんてい しんぱち)「長屋の花見」(ながやのはなみ)
隅田川馬石(すみだがわ ばせき)「笠碁」(かさご)

「落語協会野球部、新旧エース”ほのぼの、癒しの落語会”」

  • 古今亭志ん八さん

    古今亭志ん八さん

古今亭志ん八(ここんていしんぱち)さん、最近のトピックでは、映画『の・ようなもの のようなもの』(原作森田芳光、監督杉山泰一、主演松山ケンイチ、北川景子、落語指導古今亭志ん丸師)の劇中に志ん八さんの創作落語(出目金)が採用され、またちょこっとですがご本人も出演もされてました。主演松山ケンイチさん[若手落語家修行中の志ん田(でん)役]のNumeroインタビュー記事によりますと、『「出目金」は苦しかったですね。あれは古今亭志ん八さんが作った新作落語なんです。だから、You Tubeにも転がってないし、お手本がないというかコピーしようがなかった。まぁ、僕が演じた志ん田のオリジナリティーを出すにはうってつけの演目だったんですけど。もうひとつ映画の中でやった「初天神」は、柳家小三治さんの映像を資料で観ていて、下手なりに小三治さんのやり方をなぞったんです。でも、志ん田が二ッ目に昇進するときに、殻を破って自分を落語で表現するシーンで披露するのが、「出目金」だと思った。だから、どうゆうふうにオリジナリティーを出していくかを考えた時に、青森弁のままでいいんじゃないかという話になったんです』

簡単に経歴を紹介します。
(落語協会HP、東京かわら版名鑑より)
古今亭志ん八(ここんていしんぱち)
2003(平成15)年 古今亭志ん五師に入門 前座名「章五」
2006(平成18)年11月二ツ目昇進 「古今亭志ん八」を襲名
2010(平成22)年 古今亭志ん五師没後 古今亭志ん橋師門下となる
受賞歴
2008(平成20)年さがみはら若手落語選手権 決勝進出
2010(平成22)年TENプレゼンツ大ネタ10分バトル 優勝
その他
2016(平成28)年 映画映画『の・ようなもの のようなもの』出演

色鮮やかな濃いオレンジの羽織、紋は”竿とメジナ”というご自身の趣味を表現したなんともユニークで個性豊かな志ん八さん、アサダ二世先生(奇術)との釣りのお話は、いろいろ高座で聞かせていただいてます。今回のマクラは落語協会と漫才協会の野球大会の出来事、この野球大会の歴史は長く、エピソードは公表できない物も含めいろいろある様です。なんといっても野球大会が出会いのきっかけとなり結婚したご夫婦がいらっしゃいます、落語協会所属の柳亭こみちさんと漫才協会、落語芸術協会所属の漫才コンビ宮田陽・昇のツッコミ担当、宮田 昇さん。当時、落語協会と芸術協会のカップルと言う事で話題になりました。その後夫婦の間にも昨年末2人目のお子さんも生まれスクスクト育っているようです。
志ん八さんの古典落語を観る機会はすくないです。
今回のお話、「長屋の花見」元々は上方のお噺で「貧乏花見」として演じられております。
大正時代に東京へと言う説もありますが、 記録によりますと、明治37年ごろ、奇人といわれた天才・三代目蝶花楼馬楽師が東京に移し、明治38年3月の、日本橋常磐木倶楽部での第四回(第一次)落語研究会に、まだ二ッ目ながら「隅田の花見」と題したこの噺を演じたようです。
これが事実上の東京初演で、大好評を博し、以後、この馬楽師の型で多くの演者によって口演されるようになったようです。
90秒だけアラスジを。
「銭湯で上野の花の噂かな」「花の盛りは野暮も出る」貧乏長屋の住人が、朝そろって大家に呼ばれた。みんなてっきり店賃の催促だろうと思って戦々恐々。なにしろ、入居してから十八年も店賃を一度も入れていない者もいれば、もっと上手はおやじの代から払っていない。おそるおそる行ってみると大家、ウチの長屋も貧乏長屋なんぞといわれているが、景気をつけて悪魔っぱらいだ、ちょうど春の盛りだし、みんなで上野の山に花見としゃれ込もうと言う。酒も一升瓶三本用意したと聞いて、一同大喜び。ところが、これが実は番茶を煮だして薄めたもの。色だけはそっくりで、お茶けでお茶か盛り。玉子焼きと蒲鉾の重箱も、「本物を買うぐらいなら、無理しても酒に回す」と大家が言う通り、中身は沢庵と大根のコウコ。毛氈(もうせん)も、むしろの代用品。まあ、向こうへ行けばがま口ぐれえ落ちてるかもしれねえと、情なくもさもしい料簡で出発した。初めから意気があがらないことはなはだしく、出掛けに弔いの話、骨上げの話をして大家に怒られるなどしながら、ようやく着いた上野の山。桜は今満開で、大変な人だかり。毛氈のむしろを思い思いに敷いて、一つみんな陽気に都々逸(どどいつ)でもうなれと、大家が言っても、お茶けでは盛り上がらない。誰ものみたがらず、一口で捨ててしまう。「熱燗をつけねえ」「なに、焙じた方が」「何を言ってやがる」「蒲鉾」を食う段になると「大家さん、あっしゃあこれが好きでね、毎朝味噌汁の実につかいます。胃の悪いときには蒲鉾おろしにしまして」「何だ?」「練馬の方でも、蒲鉾畑が少なくなりまして」玉子焼きは「尻尾じゃねえとこ」。月番が大家に、おまえはずいぶん面倒見てるんだから、景気よく酔っぱらえと命令され、ヤケクソで「酔ったぞッ。オは酒のんで酔ってるんだぞ。貧乏人だって馬鹿にすんな。借りたもんなんざ利息をつけて返してやら。くやしいから店賃だけは払わねえ」「悪い酒だな。どうだ。灘の生一本だ」「宇治かと思った」「口あたりはどうだ?」「渋口だ」酔った気分はどうだと聞くと「去年、井戸へ落っこちたときとそっくりだ」一人が湯のみをじっと見て「大家さん、近々長屋にいいことがあります」「そんなことがわかるかい?」ここからサゲへと。
なかなか、軽快に、春の温かみを感じる志ん八さんらしい、一席となりました。

桜の花見は、昔から行われていたもののようですが、庶民の娯楽として花見が行われるようになったのは、江戸時代といわれています。そのためか、花見をテーマにした落語は「花見の仇討」「崇徳院(すとくいん)」「花見小僧」「あたま山」「花見酒」などほかにもたくさんあります。
さて、この長屋の連中が花見に訪れたのは、江戸では上野の山(王子の飛鳥山とする場合もあり志ん八さんのマクラでも名前が出てました)、上方では桜の宮といわれています。今でいえば東京の上野恩賜公園(上野公園)と大阪のJR桜ノ宮駅周辺の大川沿いにあたり、変わらずに桜の名所となっています。実は、もともと江戸に桜はなかったとか。今の上野公園は江戸時代の寛永寺の敷地跡にあり、三代将軍徳川家光が吉野の桜を寛永寺に移植させたことに始まって、桜の名所にまでなったということです。上野の桜「花の雲鐘は上野か浅草か」という、芭蕉の有名な句でも知られた上野山は、
寛永年間(1624~44)から開けた、江戸でもっとも古く、由緒ある花の名所でした。しかし、寛永寺には将軍家の霊廟があり、承応3年(1654)以来、皇族の門主の輪王寺宮が住職を務める、江戸でもっとも「神聖」な土地となったため、酒盛りなどもってのほか。暮れ六つ(午後六時ごろ)には山門は閉じられる上、花の枝を一本折ってもたちまち御用となるとあって、窮屈極まりないところでした。そのため、上野の桜はもっぱら文人墨客の愛するものとなり、市民の春の行楽地としては、次第に後から開発された、品川・御殿山や飛鳥山、向島に取って代わられたようです。
桜を植えたのは諸説あるなかで、護岸工事を行い土手を安定させるために人の往来を促したとの記述も残っております。

志ん八さんの出演が予定されている定席、落語会
国立演芸場 3月上席 昼席
国立演芸場 3月上席 夜席
2016/03/19せめだるま天どん作品集
2016/03/19三日月の会
池袋演芸場 3月21日 昼席
2016/03/21文七で今笑ノ会
池袋演芸場 3月23日 昼席
池袋演芸場 3月28日 昼席
2016/03/23 TEN寄席 [詳細]
2016/03/23厚木で独演会
2016/03/23お江戸日本橋亭
2016/03/29 第1回志ん八と市江
2016/03/30連雀亭日替り昼席
2016/03/30滝野川落語会

  • 隅田川馬石師匠

    隅田川馬石師匠

隅田川馬石(すみだがわばせき)「笠碁」(かさご)

馬石師の紹介は、平成28年6月15日「扇辰・馬石ふたりらくご」演目「締め込み」、同年8月22日「しぶやらくご」演目「火焔太鼓」のレビューにてコメントさせていただきました。

志ん八さんのマクラを受けて、落語協会野球部の御話から始まりました。マラソンで走りこんでいるのは聞いていましたが、落語協会野球部のエースだったとは、知りませんでした。落語協会と漫才協会の野球での勝負から、碁の勝負へと噺は進んでいきました。

「碁敵は憎さも憎しなつかしし」
「笠碁」というお噺、原話は古く上方、初代露の五郎兵衛(1643~1703)作の笑話本で元禄4(1691)年刊「露がはなし」中の「この碁は手みせ金(禁)」。マクラに「碁敵は憎さも憎しなつかしし」という句を振るのがこの噺のマエフリですが、この句の出典は明和2(1765)年刊の川柳集「俳風柳多留」(はいふう・やなぎだる)初編で、「なつかしし」は「なつかしさ」の誤伝の様です。

70秒だけアラスジを
碁の大好きな幼馴染の大店のご主人の二人、毎日のべつあれやこれや言いあって碁を打っている。一人のご主人が相手の家にやってくる。さっき根岸の友人宅で負けてきたのだが、敗因は「待った」をするからと指摘されたという。そうなると、二人で勝負せざるを得なくなる。「今日は一つ待ったなしでやりませんかな」「結構なことで、え~え~いや~手前も近頃待ったが多いと・・・」と早速打ち始める。「では、一つ、ここへ。」「ぁぁあのね~ここね~いつもの~どけてもらえませんか…」「待ったですか」「そうじゃございませんが、…どけてもらいませんか。」「だめです。」「三年前の暮の事、お金をお返ししましたが、返済を待ってくれと言われて、待たないと言ったことがありますか?」「それはお世話になりました。ですから返したじゃありませんか。」「返さなきゃあ詐欺ですよ。」とだんだん二人は興奮してお互いに「へぼだ!」「大へぼ!」と言いあう。そして、「帰れ!」「帰ら~!」「何言ってやんでえ。来るな!」「来るもんけえ。」と喧嘩別れ。
数日たった雨の午後、片方は暇を持て余している。「よく降るねえ。どうも…、こんなときにあいつが来てくれたらねえ。」と今になって「待ったって言うんじゃなかった…」後悔する。かといって呼びに行くのも気が悪い。他の相手じゃ駄目だ。でもそろそろ来そうだからと、男は店先に碁盤を置いて、喧嘩別れした相手を待っている有様である。相手も、家でごろごろしてもどうしようもないから、大山参りの菅笠をかぶってやってくる。
「おや、来やがった。…あれ、向こうを向いて歩いてやがる。おっそろしく汚ねえ笠被ってやがる。…こっちを見やがれ、こっちを。碁盤が目に入るのに。おい、茶と羊羹出しとくれ。…あ、向こう行きやがった。素直に来ればいいのに、…あ、又来やがった。…けつまづきやがった。…何だい。」と待ちに待った碁敵が来たのはいいが、入りづらいので我慢できず、「やい!へぼ!」と呼びかける。相手もきっかけが欲しかったので、「へぼって何でエ。こっちが待ったをするなと言うのに、待ったを掛けやがって。へぼはどっちだ。」「言いやがったな。じゃあ、どっちがへぼか。勝負だ。」と碁盤を差し出したから、「やらなくってこっちだって勝負だ。」と入り込んでくる。「ようし、やろうじぇねえか」とサゲへと。

馬石師の「笠碁」喧嘩別れした後、様子を見に行き店の前を行ったり来たりの所は、首を振らない演出でした、これは金原亭の形で、すっきり整った形になってました。

この「笠碁」を下敷きに、古今亭志ん生 (5代目)は碁を将棋に変え、題名も「雨の将棋」と変更し演じていた。 話のあらすじはほぼ同じだが、最後に二人が将棋を指す場面で紛失した王将の駒の変わりに座敷に入り込んできたアブラムシを使用したり、盤上からいなくなったアブラムシが股の間から出てきて「王様勝てないと思って金の後ろに隠れやがった」とサゲるなど笑いの色が強くなっている。

落語の中の囲碁 、4000年の歴史を持つ囲碁は、6世紀の初めごろには日本に伝わり定着していったと言われてます。中世には庶民にも広がり、落語に登場するようになりました「碁将棋に凝ると親の死に目にあえない」とマクラでよくいわれるように、ほとんどが碁に夢中になるあまり騒動が起こるというもの。 「柳田格之進」では50両が”紛失”して父娘の運命が狂い、「文七元結」では50両を置き忘れた文七が命まで危うくする。一方、「碁どろ」は泥棒にも気がつかない滑稽(こっけい)さが描かれています。

馬石師の出演が予定されている定席、落語会
国立演芸場 3月上席 昼席
国立演芸場 3月上席 夜席
末廣亭 4月上席 昼席
鈴本演芸場 4月下席 夜席
2016/03/14 第1回らくご・古金亭ふたたび
2016/03/21 三人吉座
2016/03/25 3月 落語協会特選会 第18回 奮闘馬石の会
2016/05/12 らくご街道 雲助五拾三次
2016/06/04 こてんこてんの会〜百栄と馬石〜

【この日のほかのお客様の感想】
「渋谷らくご」3/11 公演 感想まとめ