渋谷らくご

渋谷らくごプレビュー&レビュー

2017年 11月10日(金)~15日(水)

開場=開演30分前 / *浪曲 **講談 / 出演者は予告なく変わることがあります。

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11月14日(火)18:00~19:00 瀧川鯉八

「ひとりらくご」 瀧川鯉八を聴く1時間

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プレビュー

 2015年渋谷らくご大賞の瀧川鯉八さんは今年も数々の名作を創り上げ、磨き上げ、少しずつ、この世界にその名を浸透させつつあります。
 この落語家の存在は、今後の落語界の精神的支柱になるでしょう。
 この1時間は、瀧川鯉八の現在地を確認する1時間でありながら、「未来の予言」でもある1時間です。
 最先端の落語を聴きたい人にお届けします。

▽瀧川鯉八 たきがわ こいはち
24歳で入門、芸歴11年目、2010年二つ目昇進。2015年第一回渋谷らくご大賞受賞。岡本太郎が好き。体重が99キロということで、いまダイエットを試みているとのこと。ただツイッターでは、美味しそうなオムライスやうどんの写真が定期的にツイートされている。

レビュー

文:海樹 Twitter:@chiru_chir_chi 最近買ったものは花札。友達と遊んだ結果、惨敗

11月14日(火)18:00~19:00 「ひとりらくご」
瀧川鯉八(たきがわ こいはち)「魔術・やまない雨・おはぎちゃん・いまじん」



「鯉恋」



 先日、初めて新宿末廣亭へとドキドキしながら行った。寄席には何ともいえない、もったりとした空気が漂っていて心地よい。その日にどんな人が出るのか確認せずに行ったので、知らない落語家さんやら、手品をする人やら、何て言ったらいいのかわからない名状しがたい人などがいっぱい出てきた。
三時間ぐらい寄席にいただろうか。その間に知っている人が出てきたのは、一人だけ。その唯一の人が瀧川鯉八さんだった。入るときに貰った番組表には名前がなかったので、聞いたことのある出囃子が流れてきたので驚いた。渋谷らくごでしか知らない鯉八さんが末廣亭の高座に上がっている姿を見て、なんだかとても不思議な気分だったことを覚えている。そんなことを思い出していると、出囃子が聞こえてきた。

 
  • 瀧川鯉八さん

    瀧川鯉八さん

「魔術」

 一席目の「魔術」は、魔法ではなく「魔術」という言葉を選ぶところが妙味。魔術師よりも魔法使いの方が言葉としては言いやすい。けれども鯉八さんは、あえて魔術師という言葉を選んだのだろう。私が思うに、それは魔術師の方が胡散臭い感じがするからだ。

 「チャオ」ではなく「ドーン!」という声、男の前に突然魔術師があらわれる「お前の望みをなんでも叶えてやろう」。うーん、私だったら何とお願いするだろうか。空が飛べるようになりたいとか、大金持ちになりたいとか。男は「別にいい」と一言、にべもない。

  「わしが魔術師だと信じていないのだろう」
「いや信じてる」
「お前も魔術を使えるようにしてやるぞ」
「別にいい」

不思議な男だ、魔術師よりも不思議だ。魔術師と男との会話が続いていくうちに、私は鯉八さんの創り出す不思議な落語の世界へと吸い込まれていった。

「やまない雨」

 二席目の「やまない雨」はネタおろし。おそらく喫茶店にいる男と女の会話から始まる。この男、とにかく会話が下手でどうしようもない。でも憎めない、きっと私と重なる部分があるからだろう。

「じゃああなたの番」という雑な会話のフリから、女は「私ちょっと周りからズレていて」と話し出す。母親が買ってきたシュークリーム四個とおはぎ一個、家族でじゃんけんをして勝った人から選んでいくことに。最初に勝った女はさっそく、おはぎを選ぶ。
不思議だ。シュークリームとおはぎ、どちらも美味しい。けれども、そっちを選ぶのかよと思ってしまう。自分の中にある価値基準を、ハッと気付かされた。

「こんどは僕の番」といって、男はある日突然天気を操る能力を手に入れてしまった時の話をする。まるで「魔術」のような話に引き込まれていった。鮮やかにサゲて終わるところ、鯉八さんかっこいい。

「おはぎちゃん」

三席目は「おはぎちゃん」。私は初めての「おはぎちゃん」体験。

「おは~ぎちゃ~ん」と人から呼びかけられると、「は~い」と返事をしてくれる。

「おは~ぎちゃ~ん」
「は~い」
「おは~ぎちゃ~ん」
「は~い」
「おは~ぎちゃ~ん」
「は~い」
クセになる。なぜだかわからないけれど、中毒性がある。もっとこの「おは~ぎちゃ~ん」「は~い」のコール&レスポンスの生み出す心地よさを味わっていたい。

噺の中盤「何故自分たちは『おはぎちゃん』と呼ぶのか?」「呼ぶ必要があるほどかわいいか?」と、「おはぎちゃん」を呼んでいた人々から疑問が生まれてくる。私が思うにそれほど可愛くはないのだろう(おそらく鯉八さん似だ)。でもそうじゃない、「おはぎちゃん」が周りの人々を必要としているのではなく、人々が「おはぎちゃん」を必要としているのだ。そのことに気付いた瞬間、今まで見えていた世界がぐるんと変わる鮮やかさ。絶品。

ところで「おはぎちゃん」はなぜ「ぼた餅」ではなく「おはぎ」なのだろうか。噺の途中で「ぼたもっちゃん」と呼ばれて、「おはぎちゃん」が不機嫌になる場面がある。その時に私は、「萩の花 ぼた餅の名ぞ 見苦しや」という1642年に成立した『鷹筑波集』にある句を思い出した。この句は、「おはぎ」には「ぼた餅」という呼び名もあるけど後者の呼び方はダサいよね、といった意味合いの句である。

おそらく「おはぎちゃん」も、この「ぼた餅」という名称の野暮ったさに嫌悪感を抱いているのだろう。そもそも「ぼた餅」という名称は、「ぼてっとした餅」に由来するという説がある。そのように考えていくと、約400年前の句に見られる「ぼた餅」という名称のダサいという感覚が、鯉八さんの「おはぎちゃん」を通して現在へと繋がっていることがわかる。

「いまじん」

四席目の「いまじん」は江戸の世に生きる武士、青十郎・黄十郎・赤十郎の三人による酒席での遊びが舞台。彼らの遊びは、もしも自分たちが戦国時代の武士だったらと想像すること。ぐいぐいと殿に詰め寄る若い武士、翻弄されながらも話を盛り上げていくお殿様、意外性のあるお姫様。三者三様のキャラクターの面白さ。

三人による戦国時代を舞台にした想像劇は、物語のなかの物語という不思議な世界。その世界を揺蕩っていると、最後にがくっと世界がひっくり返されて現実へと戻ってくる。最初に鯉八さんによってかけられた魔術が解けたのだ、としばし放心。


一時間の「ひとりらくご」。鯉八さんは、噺と噺をゆるい関係性で紡いでいったように感じた。「魔術」では現実とは異なる落語の世界に自然と誘っていき、「やまない雨」では魔術のような能力を手に入れた男の話が出てくる。噺の途中に印象的なおはぎが出てきた「やまない雨」の流れで「おはぎちゃん」となり、みんなの力によって生み出された幻想が「いまじん」の世界へと繋がっていく。

とっても鮮やかな鯉八さんの落語。
もっともっと知りたい、もっともっと体験していきたい。


【この日のほかのお客様の感想】
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